第二章 薔薇の誓い

01 二人目の使用人

 ルイが目覚めたという知らせは即座にヴェリテ城の住人たちに伝わったはずだ――といっても、ローズレイ公爵とカトルだけしかいないからこのふたりだけなのだが。


 と思ったら、違っていた。


「おはようございます、シルフィール様っ!」

「お、はようございます……」


 きらきらと青白い光が星のように瞬く寝室の中で、目を醒ますなりものすごく爽やかな挨拶が降って来た。窓ひとつないのにこの眩さはいつまで経っても慣れない。朝(かどうかも定かではないけど)からぐったりしてしまうところだ。

 さらに今日はそれだけではなく、お手伝いさせていただきますね、と身づくろいするための用具一式が運ばれてきたので自堕落な朝寝は許される状況になかった。


 何より……この、いまにもシルフィールの寝間着を剥ぎ取ろうとしている爽やかな女性は誰なのだろう。

 かつて私が着ていたような紺のシンプルなドレスに白のフリルエプロン――といった服装を反転したような、つまりは白のシンプルなドレスに黒のエプロンという恰好をしている。


「あの……」

「申し遅れました! わたくしはアンと申します。我らが蕾姫、シルフィール・イヴェル様――若奥様の方がよろしいですかね。むむむ……」


 アンと名乗ったメイドらしき姿の女性は右頬に人差し指を押し当て考え込んだ。シルフィールと同年代か、すこし年上ぐらいに見える。


「あ……もしかして、カトルさんが話していた方、でしょうか」

「左様にございます。ヴェリテ城にてお仕えしているローズレイ家の臣のひとりですわ」


 そう言って、アンはぱちりと茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。

 なんというか、ちゃきちゃきしている。赤みがかった金髪ストロベリーブロンドを肩先で切りそろえており、活発そうな印象があるからだろうか。


 促されるままに衣服を脱いで、用意されていた夜空を写し取ったかのような濃紺のドレスに身を包んだ。ゆったりとしたドレープが美しく、かつてシルフィールが仕えていた令嬢、シルヴィアが着ていたようなコルセットでぎゅうっと締め上げるような窮屈そうなものとは真逆のデザインだ。


「素敵なドレスですね……」


 思わずくるっと一回転して、ドレスの裾のひらめきを愉しんでしまった。生地もすべすべで光沢があって、いかにも高級感がある。しがないメイドのシルフィールには生涯縁がなかったであろうドレスだった。婚礼衣装として、イヴェル家に用意されたものよりもはるかに上質だとわかる。


「ふふふーん、良いでしょう? 【蕾姫】様のためにわたくしがご用意いたしました。見立てどおりよくお似合いですわ」


 アンは誇らしげに胸を張る。口調といい態度といいどうもメイドらしくはないが、カトルと同じように親しみが持てる人物のようだった。

 ただ――シルフィールが本物のイヴェル家のご令嬢などではない、ということに気付かれるのはマズい。同性のアンはシルフィールのお世話係、ということになるのだろう。

 人手不足ゆえ、始終一緒にいるというわけではなさそうだが……同性の目は厳しい。所作なんてすべて付け焼刃だし、シルフィールの令嬢振る舞いに疑問を抱く可能性がある。


 危険だ――内心警戒心を強めながら、笑顔を作っているとアンはを真ん丸にして首を傾げた。


「どうかしましたか、シルフィール様」

「い、いえっ、なんでも……」


 そういえば、と言いかけて再びアンは人差し指を頬に押し当てた――癖なのだろうか。


「シルフィール様はこのヴェリテ城の【蕾姫】様なのですから、わたくしやカトルにそこまでへりくだる必要なんてありませんよ?」

「あは……すみま……ごめんなさい、慣れなくて」


 元使用人が、使用人を使う立場になったわけなのだし。自分と似たような立場だったひとに対していきなりシルヴィアのように令嬢らしく、尊大に、そこ意地悪く振る舞うことなんて無理だ。不可能だ。


「もう、この城の男連中はド阿呆ばかりですからねっ。シルフィール様、心細かったでしょう――慣れない環境の中でおひとり、ほったらかしにされて」

「いや……そういうわけでもなくて」


 優雅なおひとり様生活を満喫していた、とは言い出しにくいほどにアンは憤慨しているようだった。


「これからはわたくしがいます。最初はそうですね、お友達のように思って接してください――なんておこがましいでしょうか」

「ううん……嬉しい。ありがとう、アン」


 友達、という言葉にほんの少し安堵してシルフィールが表情を緩めると、アンはにっこりと太陽のように微笑んだ。

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