03 どうやら思い違いをしていたようです。

 豪奢な建物には慣れている方だとは思うが、イヴェル領の屋敷とはまるで様子が違った。古びた石造りの城内は、地下洞窟と同様に青光石の照明が壁に埋め込まれているが薄暗く、どことなくじめっとしている。


 男はシルフィールに「ここでお待ちください」とだけ言い残して、姿を消してしまった。

 通されたのは広間だろうと思ったのだが、ダンスパーティーをするような場所ではなさそうだ。広いは広いのだが華美な装飾や調度品もほとんどなく、がらんとした印象だ。


 この部屋に限らず、ヴェリテ城はどことなく物寂しい。それに案内されるあいだ使用人の姿も見かけなかった――それどころか、誰か、シルフィール以外、誰もいないのではないかと思えてくるほどに城の中は静まり返っている。


 青い光が天から降り注いでいる。


 高い天井には星々を模した青光石が散りばめられていて、その輝きが床に点々と軌跡を描いていた。イヴェル邸を出てからかなりの時間が経過したような気もするが、いまもまだ夜なのだろうか。


 そういえばこの島に来てから一度も外の景色を見ていない。

 部屋の奥へと歩いていくと、正面に何かオブジェのようなものが据えられていることに気づいた。


「……えっ?」


 最初は婚礼の儀の準備がしてあるのだろうと思ったのだが、近づいてみてシルフィールは凍り付いた。天井から射す青光がこの一角をまるで、祭壇のように誂えていた。


 右手に四基、左手に四基。

 そして中央に一基。

 合計、九つの石棺が壁にもたれ掛けるようにし、立てて配置されている。

 ――地下墓地、そんな言葉が頭に浮かんだときだった。


「きみが【蕾姫】だね?」


 ぞっとするほどにひんやりとした声音が耳朶を撫でて、体温が一気に下がった。

 心臓が跳ね上がる。何も悪いことをしていたわけではない、はずだ。それでも悪戯を見つけられたような心地でシルフィールは振り返った。


 背後に立っていたのは、蝋のように色白な顔をした、長身痩躯の男だった。

 養父となったイヴェル侯爵よりも少し若いぐらいで、シルフィールより間違いなく十以上は年上だろうが、とても美しい容姿をしている。

 彼の夜闇のような黒髪と、血のように紅い虹彩が人間離れした美しさを際立たせていた。


 ぎこちなく淑女のお辞儀をしてから、緊張で震えた声で言った。


「シルフィール・イヴェルと申します。あなたが、ローズレイ公爵、でしょうか」

「いかにも。私が【怪物公爵】こと、アルテュール・ローズレイだ」

「……ご挨拶できて光栄です、公爵様」


 表情をこわばらせたままのシルフィールを見て、ローズレイ公爵は首を傾げた。


「おや。笑わないのか? ……しまったな、ユーモアのセンスが百年前で止まっているらしい。至急、世俗の文化を学び直さなくてはならないな」


 笑うところだったらしい。シルフィールの緊張をほぐそうと気遣ってくれたのだろう。

 公爵は唇を吊り上げ、いかにも凶悪そうな顔つきを作り直していた。


「い、いえ、お心遣い感謝いたします。あの、こちらで婚礼の儀を、行うのでしょうか」

「いや。まだ早い……今日は、挨拶だけでもと思ってね」


 公爵の紅い眸が石棺の方に向けられる。

 つまり此処は先祖の墓地、ということなのだろうか。石棺に向かってお辞儀をしたシルフィールを、ローズレイ公爵は興味深そうに眺めていた。


 ついてきなさい、と命じられ、シルフィールは部屋を後にした。

 赤い絨毯が敷かれた長い廊下を歩きながら、沈黙に耐えかねたシルフィールが口を開いた。


「このお城、どこにも窓がないんですね」

「ああ……そうだな。よそから来た君には窮屈だろう、すまないね」

「いえ、その」


 海の近くだというのに、外が見えないのは少し残念だった。外の音もあまり聞こえない。ただ唸るような風の音が壁伝いに時折響いている。


「今日は疲れただろう。早く休むといい……着替えはもう、君の部屋に用意させているよ」

「ありがとうございます」


 いまさらながら恥ずかしくなってきた。長時間の移動でおそらくドレスも髪も乱れているに違いない――自分で言いだしたものの、このまま結婚式などできやしなかっただろう。鏡を見て整える時間さえなかった。

 ふいに足を止めたのは、階段を上った右手にある部屋の前だった。


「君の部屋は隣だが……此処は」


 ローズレイ公爵がかすかに躊躇うような素振りを見せたので、シルフィールは思わず口を挟んでしまった。


「公爵様の寝室でしょうか?」

「……ん?」


 公爵はきょとんとした。壮年の男性なのに、まるで幼い子供のようにあどけない印象になる。どうやら自分が令嬢らしからぬはしたない発言をしてしまったような気がして、青ざめた。


「ああ、そうか……蕾の姫君、君は勘違いをしているらしい」

「えっ、あ、その……私、そういうつもりでは、えっと」

「どうぞ? せっかくだ、紹介しよう。ついておいで」


 公爵はドアを開け、部屋の中へと入って行ってしまった。従わないわけにもいくまい、シルフィールは意を決して足を踏み入れる。


 この部屋も廊下や他の部屋と同様に窓がなく、照明に青光石を使っている。

 古びた意匠……いや、趣のあるデザインのクローゼットや椅子、テーブルなどの調度品に目を向けていたシルフィールを公爵が手招きした。あえて目を逸らしていた方向である。


 そこには、大きな寝台が安置されていた。思わずぎくりとする。

 もしかすると、結婚前でも関係ないということなのだろうか。もしかして【怪物】の異名はそういう、手が早いとかふしだらとか、そういう意味合いで……悶々と考えながらも、恐る恐る歩み寄るシルフィールを、公爵は面白がっているようにも見えた。


「シルフィール嬢……冬から来た蕾の姫」


 甘くうっとりするような低音で彼は囁いた。


「残念ながら、きみの結婚相手は残念だけど私ではないよ」

「え……?」


 自分は【怪物公爵】の花嫁、そう言われて送り出されたはずだが……茫然としているシルフィールに、公爵は寝台を指し示す。

 そこには、黒髪の少年が横たわっていた。


 年齢はシルフィールとおなじくらいか、少し下ぐらいだろうか。眠っているため、いくらか幼く見えるのかもしれない。寝息も聞こえないほどに、深い眠りへと落ちているようだった。細い筆ですっと描いたように優美な線を描く眉も、高い鼻梁も、ローズレイ公爵によく似ていた。

 瞼の下には、血のように紅い双眸があるに違いない。

 頬には赤みがなく、まるで人形のようだった。


「紹介しよう。このねぼすけが我が愛息子、ルイ・ローズレイ……これが、君の花婿だ」

「は、はぁ……こちらの方が、私の、旦那様、ですか」


 声を抑えるわけでもなく公爵が話すのでシルフィールははらはらした。気にすることはない、と豪快に笑ってみせる。


「ルイは本気で寝始めると百年は起きないんだ」

「あは、は……嫌ですわ、公爵様ったら!」


 相変わらずユーモアのセンスは独特だったが、今度こそ笑うタイミングを逃さずに済んでほっとした。シルフィールは心の中で大きく拳を掲げる。でも令嬢らしい笑い方だったら「うふふ」とかの方が良かっただろうか。


 口元を引きつらせながら笑みを浮かべたシルフィールに公爵は怪訝そうな目を向けた。


 う、またしてもおかしな挙動を取ってしまっただろうか。


「さて、シルフィール嬢。ルイはそのうち起きるだろうから、時々様子を見に来てくれると嬉しい」

「で、ですが……まだご挨拶さえしていないので、吃驚されるのでは」

「なあに、結婚するのだから遠慮は要らない。ルイもこの手の状況には慣れている」


 端正なルイの寝顔を眺めながら、公爵は息を吐いた。


「それにあいつは丈夫だから、何をしてくれてもいい。見た目こそひ弱かもしれないが、いささか乱暴に扱ったとしても壊れはしないさ。ひっぱたいて起こしてくれても構わない」

「さすがにそのようなことは……」


 うっかり、ルイ公子に馬乗りになってフライパンを叩いて騒音を出したり、「いつまで寝ているつもり⁉」と怒鳴りつけながら寝台から蹴落としたりする自分を想像してしまった。そんな第一印象最悪の状態で「はじめまして」は避けたいところだ。


 たわむれに公爵が頬を引っ張ってみてもルイが起きる気配はない。


「ずいぶんお疲れみたいですね」

「……まあ、いつものことではあるから、仕方がないさ。就寝前に少々怪我をしたせいで時間がかかっているのかもしれないな」


 ぽつりと公爵がこぼした言葉に、あらためてルイの顔を眺めた。苦痛に歪んでいるわけでもなく、ひどく穏やかな寝顔だ。無邪気な子供のようでさえある。

 公爵に促され、部屋を後にした。


 もう少し話を聞きたかったような気もしたが、深入りするのは時期尚早だと判断した。まだローズレイ公爵の為人もわかっていない。余計な口出しや詮索で気分を害されるのは困る。


 それに、シルフィールの素性に疑念を持たれて追い出されることだってありうる。


「……なんだか私も眠くなってきた」


 用意されたシルフィールの部屋で一人きりになると、大きな欠伸が出た。長時間すまし顔でいなければならなかったので、ずっと我慢していたのだ。この城に来て、ようやく一息つけたような気がする。


 勢いよく靴を脱ぎ捨てると、シルフィールはふかふかの寝台にドレスのまま飛び込んだ。本物の令嬢なら着替えのために使用人を呼ぶのかもしれないが、勝手のわからない場所で誰かにお願いするよりも、何もかもひとりで片づけた方がずっと気楽で、効率的だ。


 しわになる前にドレスを脱いで寝間着に着替え、就寝の準備を済ませてしまうと今度こそ眠るつもりで寝台に寝転んだ。それなのに、頭の中を今日一日の出来事がぐるぐる回っていて、なかなか寝付けなかった。


「私、本当に来ちゃったんだ」


 嘘を吐いているわけではないが、ずっとシルフィールの胸には罪悪感という重たい石が埋められている。


 ローズレイの花嫁は四大侯爵家の息女でなければならない――そのような条件が出されていたとイヴェル侯爵が話していた。イヴェル家の籍に入れられたとはいえ、養女であるシルフィールを「四大侯爵家の息女」としてローズレイ家が認めてくれるのかは微妙なところだった。


「偽物のおまえなんか要らないって、このお城からも追い出されたらどうしよっか。はは、どうしようもないけどさぁ……」


 イヴェル領に居場所がない以上、シルフィールはこの城に居座るしかないだろう。

 その場合は下働きでもなんでもすると申し出てみようか。【怪物公爵】などと物騒な二つ名のわりに、ローズレイ公爵は気さくで、鼻持ちならないイヴェル侯爵よりも親しみが持てた。


 明日が今日よりもいい日になる保証なんて、どこにもないけれど、とりあえずあるがままを受け入れるしかない。シルフィールは問題を先送りにして目を瞑る。


 ようやく眠りについたものの、地下洞窟の長い長い階段で大きな毛むくじゃらの怪物に追いかけられる夢を見た。

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