第4話

「これは……」


 メイド長にメイドとして働くことを丁重にお断りされた後、部屋に戻った途端、目に飛び込んできたのは、白い壁紙にでかでかと塗られた赤い文字。


『命が惜しければ、この城から出て行け』


「花嫁様、お花を飾りに……きゃあ!?」

 可愛らしい花を生けた花瓶を抱きやってきたマーガレットが、壁に書かれた文字を見て悲鳴をあげる。


「ひどい……一体、誰がこんなひどいメッセージを!」

 マーガレットに同情の眼差しを向けられ、リリアーナは首を傾げる。

「でも……命が惜しければって、忠告してくれているので。親切なメッセージかもしれません」

「は? え、えっ、あの!?」

 少しも臆することなくずんずんと血文字の方へ近づいてゆくリリアーナに、マーガレットが引いている。


「こ。怖くないんですか?」

「大丈夫ですよ。この文字も血とみせかけて、ただの血のりみたいだし」

 くんくんと鼻を近づけ匂いで確認するリリアーナの姿に、マーガレットは信じられないと言いたげな表情だが。


 リリアーナにしてみれば、血のりで書かれた文字などなんてことない。

 伯爵家にいた頃は、部屋に小動物の死骸など、もっと嫌な気持ちにさせられるものを投げ込まれたりしたこともあるのだ。


「とはいえ、この壁は掃除したほうがよさそうですね」

 ということで雑巾が欲しいとオリビアに頼みに行けば、青い顔をした彼女に、掃除は自分が行うのでその間お風呂へどうぞと案内された。


 湯浴みの手伝いをするとオリビアとは別のメイドがやってきたが、彼女は怯え強張った表情をしてた。

 気分が悪いのかと気を利かせたリリアーナが、一人でくつろがせてほしいとお願いすると、ほっとしたように浴室からでてゆく。


(やっぱり、わたしの存在自体も怖がられている?)


 なんでだろう――自分の正体――は、まだ誰にも知られていないはずなのに。




 湯船に浸かってホカホカに温まったリリアーナは、リラックスした気持ちで風呂からあがると、そろそろ掃除は終わっただろうかと自室へ戻ろうと思ったのだが。


「聞いた? 新しい花嫁様の部屋に、血文字のメッセージが浮かび上がっていたって」

「こわ~い、やっぱりエドワード様は呪われているのよ」

「これは、明日の朝までもつかしら……」

「やだやだ。絶対に明日の朝、花嫁様を起こしに行く係にだけは任命されたくないわ」

「今回の花嫁様付きは、オリビアでしょ。かわいそうに、朝起こしに行ってベッドで冷たくなった死体を発見なんてしたら」

「一生のトラウマになっちゃう!」


 わいわいと廊下で立ち話しているメイドたちの話を聞くに、自分は近々死ぬのだと、この城の者たちから思われているらしい。


 それも、早ければ明日の朝には……


 オリビアと目が合うたび、怯えたように視線を逸らされる理由も察せられた。

 リリアーナの死体を一番に発見しなければいけない可能性が高いため、怖かったのだろう。それと、変に情が移るのも避けたかったのかもしれない。


(噂を纏めるに、エドワード陛下の下には今まで何人もの花嫁がやってきたけれど、みんなすぐに死んじゃったってことかしら)


 それも呪いだなんて囁かれているのだ。おそらく、謎の突然死……




「リリアーナ様。お部屋が整いました」

 部屋に向かう廊下の途中で、リリアーナを迎えに来たオリビアと鉢合わせた。


「あの……お部屋は元通りに清掃しましたが、もし気味が悪ければもちろん他のお部屋に移動することも可能ですわ」

「いいえ、あれぐらい大丈夫ですよ。部屋のドアを開けた途端の不穏なサプライズには慣れっこです」

「えっ、そんな笑って流せるレベルじゃ……」

「せっかくオリビアさんが綺麗にしてくれたんですもの。わたし、今日はあの部屋で休みます」

「そんな……わたくしは、メイドとして当然のことをしたまでですので」


 掃除してくれてありがとう、と微笑んだリリアーナを見て、オリビアは少し悲しそうな顔をしながら「もったいないお言葉です」と俯いたのだった。




 そして、深夜。

 リリアーナはなにが来るだろうかと少しワクワクしながら、薄暗い部屋のベッドの上で夜更かしをしていた。


 いつの間にか天候は荒れ始め、外から聞こえるのは激しい雷雨と風の音。

 呪いの力と対峙するには、お似合いの演出といえよう。


 オリビアは部屋を出て行く際何度も、なにかあればすぐに呼び鈴を鳴らすか、大きな声で呼んでくださいと念を押すように言ってくれたけれど……正直、一人の方が応戦しやすい。

 リリアーナの手元には生前父から貰った魔術書が一冊。


(毒を盛られたり、刺客に襲われたことはあったけど、呪い殺されそうになったことはないわ)


 活き活きしながらリリアーナは魔術書を開き返り討ちの方法を調べる。


(お父様とは、絶対人間に使ってはいけないって約束だったけれど、もし相手が人外または『わたしと同じ』だったなら魔法で応戦できる)


 ガタ――ガタガタガタ


(来た!)


 その時、バルコニーの窓ガラスが急な強風により軋むような音を立て始めた。

 しかし。


(……なんだ。戦闘魔法の実践をするのは、お預けみたいね)


 外にいる気配を察し、リリアーナは魔術書を枕の下にそっと隠して、ベッドから抜け出したのだった。

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