蛇面の男

秋坂ゆえ

蛇女

 蛇なんて実際に見たことがないのに、私はその朝起きた瞬間、夢に見ていたその蛇面の男で頭がいっぱいになっていることに気づいた。

 実物はどんなもんかと思って蛇の写真をググってみたけど、こんなのが人間の顔と混ざるなんて想像もつかなかった。


 でも彼は、蛇面の男だったのだ。

 

 どうしたら会えるだろう、なんて、夢の中で出会った、現存するかも分からない人物に、私は半ば本気で恋をしていたのかもしれない。しかし蛇面の男がその後夢に出てくることはなかった。

 私は彼のことが気になるあまり、蛇に関連したアクセサリーや小物を集めるようになった。デフォルメされたイラストなどではなく、写実的なもの、もしくは実物の写真などで、学校の友人たちは皆私の頭がおかしくなったと最初は笑ったが、段々と不気味がって距離を置かれるようになった。



 私の体調が徐々に悪くなっていったのは蛇面の男に出会ってから三ヶ月ほど経過してからだった。生理不順になり、左の胸部に痺れのような痛みが走るようになった。最初は気にせず学校やバイトに行っていたが、それも段々不可能になっていった。歩こうとしても足が前に出ない。立ち上がろうとしても身体に力が入らない。

 これはおかしい。

 流石に病院に行った方がいいと判断したが、こんな症状、何科に行けばいいのだろうか。

 左の胸が痛いのだから、もしかしたら心臓の問題かもしれない。そう考えるとうなじにすぅっと冷たい風が吹く。

 でも待って。

 私の心臓って、まだ左についてたっけ?


 

——一度、キレイな蛇の抜け殻の画像をネットで見たことがある。

 それはとても美しくて、儚げで、誰もが全力で守りたくなるような魅力があった。


 蛇面の男と彼を象徴する蛇に、私の人生は随分と狂わされた。

 アマゾンの奥地にホームステイに行ったり、そこまででもなくても赤道に近い地方に一人旅に出たり、といった具合に。


 気がつくと私は周囲から良い意味でも悪い意味でもこう呼ばれるようになった。


『蛇女』


 笑ってしまった。私は蛇面の男に会いたいから蛇を追ってきたのに、私自身を蛇と同一化するなんて、他人の解釈は本当に身勝手だ。


 そうこうしている内に大学受験の時期となり、私はどの学部のどの学科に入ればあの蛇面の男に会いやすいか、効率的に探せるか、いまだに考えていた。



 私が住む地域で最も大きくレベルも高い大学に見学に行った日のことだった。

 高校生の見学者はガラスの天窓から気持ちの良い日光が照らす部屋でお決まりの書類を書かされていた。氏名やら学校名、学年、興味のある分野、見学に来た理由、等々。

 私はササッと書き終えて、一番に部屋を出て廊下の机に座る管理者にそれを提出し、とっととキャンパスの見学に行こう、と一歩踏み出した。

「あの、すみません!」

 突如、後方から割と大きな声で呼び止められたので、私は驚いて振り返った。

 呼びかけてきたのは私服の男子生徒で、おそらく私立高校の受験生だ。

「あの、すみません、失礼ですが、その、貴方は——」

 肩で息をしている理由が分からない。彼は私を追って慌てて書類を書いて出てきたのだろうか?

「あの、本当に失礼なんですけど——」

 言いながら彼が顔を上げた瞬間、私は驚愕のあまり顔から表情というものをぽとりと落とした。

「その、K高校で『蛇女』……さん、って呼ばれてる方ですか?」

「あ、はい……」

「あ、あの、俺も蛇、好きなんです。飼ってた時期もあったり、して。それでその、本名知らないんでなんてお呼びしたらいいか分からないんですけど、蛇に凄く詳しくて、アマゾンまで行った人がいるって聞いて、俺ずっと、中学の時から話してみたいなって、ずっとずっと、思ってて——」

「一緒に、見学しましょうか、今日」

「え?」

「いえ、私、どの大学のどの学部なら一番蛇に近付けるかで志望校決めるんで」

「あー! 俺も! 俺もです! もしよければ、是非一緒に!」

 屈託のない笑みを浮かべる彼と共に歩き出しながら、私は恍惚としていた。

 身長が高く、くせ毛で、栗色の髪。

 しかし顔は病的なまでに色白で、線が細く、その眼はほんの少し釣り上がっている。

 これこそが、あの日夢に見た顔。

 やっと会えたね、蛇面の男、くん。

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蛇面の男 秋坂ゆえ @killjoywriter

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