序ノ廻ノ起 後ノ編

 目の前に広がるのは、とても広い空間……だけど、蜘蛛の巣だらけの天井だし、資料やら書物やらっぽいものが、大量に詰め込まれた本棚がずらーっと並んでいるし、しかも埃っぽい。明かりも天井からつり下がってるガス灯だけで、薄暗い。でも、視界は不思議と暗すぎたりしないし、奥の方までよく見える。本棚が並ぶ傍に、デスク並んでいて、そのデスクの上にも大量の資料とか本が積み上がっていて、とてもじゃないけど、綺麗とは程遠い場所だった。一応、仮眠スペースらしき場所と、ふかふかのソファがテーブルを挟んで向き合っていたりしてる応接スペース、あとは何故か奥の方には、大量の缶詰とか水筒らしきものが積み上がっていた。多分非常食だろうなぁと思って見てると。


「ルカ君、こっちこっち。はやくはやく」


 ヨハンソンさんが僕を手招きしている。慌ててヨハンソンさんの前まで小走りで近づくと、ヨハンソンさんはデスクの上の荷物をどかし、持っていた雑巾で汚れやほこりを拭きとっていた。


「ここ、これが今日からルカ君のデスクだよ。私物はこの中に入れてね。後、コーヒーとかお茶は給湯スペースにあるから、そこで。これから一緒に頑張ろうね、

「……えっ」


 、か……というか、僕はこの鎮魂歌レクイエムに所属して、不可思議な事件とかを担当するとは聞いてたけど、結局何をどうするかっていうのは詳しくは知らない。一体、何をさせられるのか、不安になってきちゃった。


「あ、あの。僕は一体何をさせられるんでしょうか……?」

「あり?」


 僕の質問に、ヨハンソンさんの目が点になる。


「聞いてない? ”ガッちゃん”から」

「ガッチャン?」

「あーごめん、ガブリエルさん。君の審議に異議を唱えた人。なんか銀髪で傷だらけでおっぱい大きくて露出多い人」

「いや、そこまではアレですけど……」


 ガブリエルさん、僕を助けてくれた人。確かに、「僕を引き取る」と言ってくれたけど、本当に詳しい事は全然何も教えてくれなかったな。「あとは頑張れ!」なんて言ってたけど、投げやりだったなぁ……。


「まぁいいや。おさらいしとくか。まあ、さっき不可思議な事件とか発生から何年も経った事件を担当したりするほかに、立件にしようがない事件を解決に導くっていうねぇ。あ、たまに上の部署の手伝いも行ったりするよ。イベントの手伝いもするし、慈善活動みたいな。あと、募金とか公園掃除とかもさ――」

「えっと、要するに……他の部所や教会騎士とか異端審問官たちじゃ解決できないから、頭がおかしいとしか言いようがない相談とか、ハードクレーマーとか無茶苦茶な苦情をたらいまわしにされてきて、それをのらりくらりとかわすだけで、他は何もする事がない……って感じでしょうか?」

「あッ、う……あぁ、うん。ま~、見方によっちゃ、そう見えるかもしれないわねぇ~……」


 ヨハンソンさんの目が泳ぎ、そう言いながら慌てるように自分のデスクに向かい、デスクの引き出しを引いたり、上の資料を何冊か腕の中に抱え込んだり、何か探している様子だった。


「よいしょっと……確かにやる事ないけどね。でも、資料の確認とかも立派な仕事だよ。ここが例え、だとしてもね」

「……はい、どんな仕事も、仕事は仕事ですもんね」

「そうそう! 何事も真面目に堅実に~ね」


 ヨハンソンさんは僕の肩をぽんぽん叩き、笑い飛ばした。……そういや、なんか他に部署の人はいないんだろうか? そう思って僕は再び部署内を見回す。


「ここには、ガブリエルさんとヨハンソンさんだけですか?」

「いいや? もう一人、13歳の子がいるんだよ。「レク」君っていう、死んだ魚みたいな目をした子でね。黒髪の子なんだけど」

「黒髪……へえ、なんだかいいですね。ラテン系の子ですか? アジアの子ですか? それともアフリカの子でしょうか?」

「いや、それは知らん。なんせ、身元不明の孤児だからねぇ」

「へえ……」


 と、その時。昇降機が降りて昇ってくる、あの大きな音が響き渡っていた。僕とヨハンソンさんが反射的に昇降機の方を見る。


「誰かきた。お客さんかな?」


 「珍しい事もあるんだな」とヨハンソンさんが呟きながら、昇降機に近づくと。

 昇降機から姿を現したのは、いかつい顔の眼鏡かけたおじさんだった。白いタオルを頭に巻いて、ヨハンソンさんよりずっと年上で、髪色と顔の作りからして、東洋人だと思う。何かをぶら下げて、しかもしかめ面で昇降機が昇りきるのを待っていた。おじさんがリモコンを落とすと、それが「ガンッ」と音を響かせる。


「あぁ、ガンってやらないで、一昨日直したばっかなんだから!」


 ヨハンソンさんがおじさんに近づいて慌てたようにそう言うと、おじさんが手にぶら下げていた白いものをヨハンソンさんに突き出す。よく見たらそれは、黒いもじゃもじゃ頭の男の子だった。


「あんたが責任者けぇな! こいつが食い逃げしようとしてたんっちゃ」

「食い逃げだなんてひどいですなぁ」


 男の子が無気力にぶら下がりながら反論すると、おじさんは怒り狂って怒鳴る。


「どう見ても怪しいけえ、教会騎士なんぞ信じられんがや!」


 彼が身体を捻り、おじさんの手から逃れる。うまい事するなと思っていると、おじさんに向き直った男の子は、おじさんを上回る怒鳴り声で対抗していた。


「財布、忘れてただけでしょうがァん!?」

「ま、まあまあ、落ち着いて「レク」君。ピーフピーフ。スリーピース。なんちゃって」


 ヨハンソンさんが今にも掴みかかりそうな勢いの彼を羽交い絞めにして持ち上げた。身長が低いので、ぶらーんとぶら下がっている。……というか、あのもじゃ頭君が「レク」君なんだ……。確かに死んだ魚みたいな目をしてる。


「で、おいくらくらい食べたのかな、この子」

「全部で3フラン飛んで11スーだがや」


 3フラン飛んで11スー……確か、家具付の部屋を借りるのに、週1フランくらいだった気がする。一回の食事代としては相当高いな……。


「よく食べるんだよねぇこの子」

「ツケにしろやァ!」

「君曲がりなりにも衛兵でしょ?」


 怒り狂うレク君にヨハンソンさんは必死に宥めている。でも、怒ってるのに表情が一つも変わらない。感情が無いのは顔だけなのかな。すると、ヨハンソンさんは、器用に片手でレク君を掴みながら、自分の羽織っているコートの懐から財布を取り出し、言われた金額を取り出して、おじさんに渡した。


「どうも、ご迷惑をおかけしました」


 おじさんはそれを受け取ると、レク君を睨みつける。


「今度、財布しゃーふ忘れたら、おめえをギョーザのタネにして茹でるよ?」


 レク君は一瞬身体をびくりと痙攣させ、おじさんが昇降機に乗り込んで降りていくのを見守っていた。


「ではおかげさまで、毎度みゃあど


 おじさんの姿が見えなくなると、ヨハンソンさんがレク君を床に降ろす。降ろされた彼は、なんだか叱られてしゅんとなっている犬みたいに、俯いていた。


「すみません」

に会いに行くって、病院行ってたんじゃなかったの?」


 ヨハンソンさんがそう言うと、レク君が目を逸らす。


「多分、すれ違った時に財布盗まれたんです、あのタトゥー野郎。次会ったらぶん殴ってやります」

「暴力沙汰はご法度、教会騎士の基本だよ」


 レク君が地団駄を踏んでいるのを見ると、彼のバッグから何か白い布が覗いていた。


「君、それ……」

「ん? ――はっ!?」


 レク君が僕の指さす方向に目をやると、急いでそれを引っ張り出す。中から出てきたのは財布だ。


「ぼくの財布! なぜこんなところに……ヨハンソンさん、返します!」

「あぁ、慌てない慌てない、慌てない……」


 レク君が慌てて財布からお金を取り出そうとするので、ヨハンソンさんも慌ててそれを制止する。


「レク君、それよりも紹介したい人がいるんだよ」

「んえ」


 ヨハンソンさんが僕を指し示した。


「こちら、「ルカ・フィリッポス」君」


 そして、レク君の方も指し示す。


「こちら、「レクトゥイン・パース」君」


 レク君が一礼した後、目を見開き、僕に近づいてきた。僕に近づくたびになんだかニンニクのにおいが立ち込める。そして、顔を近づけてじーーーっと凝視してきた。


の「ルカ・フィリッポス」君でありますか。、「フィリッポス家惨殺事件」の容疑者である」


 僕はどんな顔をすればいいか分からず眉をひそめるが、彼は気にしていないのか、そのまま死んだ魚みたいな目で僕を凝視しながら。


「はじめまして、「レク」です。お会いできて、だいぶ感動です」


 僕が硬直していると、レク君は「ふむ」と声を出す。


「……意外に普通の人間だな。人は見かけに寄らんもんですなぁ」


 そう言って、レク君はその場から離れた。

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