第25話 ウェブ作家、邪神と相まみえる事:三題噺#49「接触」「回復」「予定調和」/春待ち三題噺:乙
「あーっ。やっぱりこの新作は伸びが良いなぁ」
投稿サイトのマイページを確認したおれは、星の数やPVを確認し、ひとりほくそ笑んだ。昨日投稿したばかりで、まだ話数も二話ほどである。それでも――多くの読者が足跡を付け、そして期待の星を与えてくれている。
内容については多くを語るまでもない。風采の上がらない少年――それは別に筆者たるおれの投影ではない。断じて、だ――が、可愛らしくて色っぽい超絶美少女たちに惚れられてチヤホヤされるラブコメだ。ああ確か、主人公は義妹と二人で暮らしているという話だったか。
序盤であるし、エピソード辺りの文字数も二千文字足らずではある。コツを掴み羞恥心を投げ捨てれば幾らでも書けるような作文たち。それがこうして評価され、多くの読者たちから感想を貰うに至っているのだ。
思考停止で読めるような小説を書き、この界隈で特異な予定調和の展開と紋切り型のヒロインたちが評価される。おれはその事で満足していた。寂しさや虚しさ、ましてやこの狭いウェブ小説の世界に対する怒りなど抱いてはいない。そんなものはとうに忘れてしまった。
そうだ。おれは今のウェブ作家としてのこの活動に満足しているはずだ。やはり好意的なコメントは嬉しいし、小遣い稼ぎにもなるしな。
ふとワークスペースを眺めているうちに、ある作品が目についてしまう。
それは最初に投稿していた小説だった。文字数ばかり膨らんでいる割に、読者が寄り付かない駄作だった。あの頃のおれは、ウェブ小説の界隈を知らなかった。だからこそ、おのれの好みだけを詰め込み過ぎたのだ。主人公が試練の中でもがくような展開も、爽快感よりも感情の機微を精緻に連ねた描写も、隙間時間の暇つぶしには必要のない物だ。
この小説にPVが付く事は殆ど無い。コメントだってそうだ。時々誰かがやって来て、「玉犬先生らしくない作風ですね」などと言った感想を落とすくらいである。
忌々しい。我ながら産み落とした作品ながらも忌々しい。
おれはだから、この作品を削除した。別にバックアップはパソコンに残っている。数か月も更新せずにエタっている、それも糞つまらない作品などはこの玉犬には要らないものだ。せいせいした。出来損ないの泥臭い物語を削除した俺は、心の底からそう思っていた。
その一方で、心の奥底で隙間風が吹きすさぶような感覚を抱いたが、そんなのはきっと気のせいだ。
※
目を覚ました時、おれは見知らぬ場所に突っ立っていた。
冬である事を感じさせるような、ひどく寒々とした場所だった。実際に肌寒く、灰色の空からちらちらと降って来るのは雪だった。地面に堕ちればすぐに溶けるような淡雪であっても、白茶けた地面に舞い落ちる雪を見れば、どうしても寒さを感じてしまうのだ。
そして白茶けた地面の向こうにあるのは、朽ちかけた大きな廃屋だった。ただ大きいだけではなく、神社の類だったのは、折れて倒れた鳥居の残骸や、「※※神宮」と刻まれた石碑などを見れば明らかな事だった。
「ああ、何でこんな……」
おれは驚きに声を上げたつもりだった。だがその声には、思っていた以上に哀しみと過去への懐かしさが宿っていた。見知らぬ場所であるはずなのに、おれはこの場所を知っている。夢の中で、何度も同じ場所が登場するように。
「――やっと来てくださりましたね」
神宮のなれの果ての向こうから、若い娘の声が聞こえてきた。ややあってから声の主の姿があらわになる。童顔の、しかしスタイルの良い美少女だった。彼女は両腕で黄色い毛並みの狐を抱えていた。狐にはさも当然のように三本の尾があった。
おれは強い驚きに目を見開き、少女と狐を見つめていた。一人と一匹、いや二人の事はおれもよく知っている。彼女らにはリアルでは決して出会えない事も。何せ彼女たちは、おれの小説の登場人物に過ぎないのだから。
少女の方は
「美桜に柚月、だよな……? ここは何処なんだ? どうして、どうして君らは俺たちの前にいるんだ?」
「質問には答えます」
とまどったおれの言葉を遮るように、美桜が口を開いた。今まで作り上げてきたおれのイメージとは裏腹に、冷静な声音だった。
「ですがその前に、柚月さんを回復させて頂きたいのです。この世界を作り上げた、私たちの神ともいえるあなたには、そんな力があるはずなのですから」
回復に神だと? おれがツッコミを入れる時間など与えずに、美桜はぐっと近づいてきた。おれの手は柚月のまるい頭に接触したのだ。
直後、柚月の身体が光り輝き始める。柚月は美桜の腕からするりと抜け出ると、そのまま二本足で立ちあがっていた。
「……これこそが論より証拠という物だろう」
柚月はそう言って俺の方を見た。その姿はもう狐の姿などではなく、サムライの格好を現代風にアレンジした金髪の美麗の戦士だった。その声は美桜以上に凛としていて、冷静な表情はまさに狐そのものだった。
「私もかの邪神に襲われ、力を奪われて難儀していた所だったのだ。今やあなたに力を分けて頂いたお陰で、十全以上の力が戻って来た。礼を言う、ありがとう」
「柚月さん。このお方は私たちの正しい神なのですよ。もうちょっと敬意を表した方が……」
柚月に礼を言われ、美桜がその態度に苦言を呈している。おれはただ無言で二人を眺めていた。別に柚月の物言いが不満だったわけではない。情報量が多すぎて、何が起きているのか解らなかったのだ。
※
おれがこの世界に呼ばれたのは、傍若無人に振舞う邪神を討つためだった。死と再生を司るこの邪神は……柚月たちがいる世界で突如として暴れ始めたのだという。その余波で隣接する世界――いずれもおれの作品世界なのだが――が崩れ、融合し、今に至るのだという。柚月や美桜はどうにか邪神の魔の手を逃れたが、大いなる邪神を前に無力だった。
そして世界をあるべき形に戻すべく、ある意味真なる神ともいえるおれに接触し、召喚した。創作世界の神というのは作者に他ならない。だからこそおれには、おかしくなったモノたちを回復する力を持ち、のみならず邪神を討つ事も出来るのだ。柚月と美桜の説明は、およそそのような物だった。
だがそれでも、おれは不安でならなかった。おれたちが挑もうとしている邪神がどのようなものか、もちろん知っていた。邪神は……おれが最初にアップした作品でのラスボスだった。あの時はクトゥルー神話やら日本の伝承やらを詰め込むのが好きだったから……やつもまた神話生物の系譜に連ねていたのではなかろうか。
ラスボスとやらもおれの世界の構成員であるが、さりとて神話生物に立ち向かうのは恐ろしい事ではないか。正気度を持っていかれるのではないか。
だがそれでも、おれは柚月たちを置いて逃げる事は無かった。世界を、あるべき物語をめちゃくちゃにされた事への怒りを、きちんと感じていたのだから。
おれは唐突に、昔の事を思い出した。無邪気に、奔放に、そして真剣に創作に打ち込んでいたあの時の事を。
※
「くふ、ふふふふ。ようやくわが城に辿り着いたか」
異形の跋扈する道なき道を進み、おれはようやく邪神の前に相まみえる事になった。やつは狂信者に造らせた神殿に佇んでいたのだが、その神殿もまた、柱が倒れ屋根が崩れて砕け散っていた。だが彼の権能の為なのか、神殿の敷地内には極彩色の花々が毒々しく咲き誇っていた。地面には緋色の彼岸花に黄金色のタンポポ、枝葉を茂らす木々は紅白の椿に山茶花、柱や木々に絡まるツタカズラは藤の花と朝顔と言った塩梅に、四季も何もかも無視した百花繚乱だった。美しくも冒涜的な光景だった。
グロテスクに冒涜的な花畑の中央にいる邪神の姿から、おれは視線を外せずにいた。この世界の生き物の中には、別の存在と融合してしまったものもいた。だがこいつは最初から様々なものと融合したような姿で、超然と佇んでいるようだった。
あの頃知った常世の神の影響もあって、奴はぶよぶよした芋虫の胴体に、ジャコウアゲハのごとき目玉だらけの三対の翅を具えていた。それでいて移動のための肢は鳥や爬虫類のそっくりだ。
だが一番衝撃的なのは、その顔だった。首から下までは見事な異形ぶりを示しているはずなのに、その頭部はまさしく人間の若い男のそれだったのだ。邪悪な笑みにゆがんではいるが、童顔でやや女顔の、あどけない面立ちだ。
その顔は――新作ラブコメで描いていた主人公の顔そのものだった。あるいは、若い頃の――
美桜が半泣きの表情で俯き、それを柚月が支えている。おれは北斗七星の刻まれた宝剣――剣なんて持った事はないのに、それはおれの手にピタリと収まっていた――を突きつけながら吠えた。
「忌まわしい邪神め! 暴れ回った挙句世界を荒らすとは、赦されざる狼藉だな」
思っていた以上にクサい台詞を吐き出してしまった。だが邪神は心底嬉しそうに笑うだけだった。
「くはは。美桜のやつはわざわざ真なる神を召喚しおったか。まぁそれは良い。我とて、お前と相まみえる事こそを望んでいたのだからな。しかし――」
邪神は言うと、獣めいた前腕の一本をおれに向けた。
「我が世界を荒らし、幾つもの世界を融合させたことについて、お前が腹を立てる道理はあるのか? 元よりこの世界を見限り、先に捨て去ったのはお前の方では無かったのか?」
なぁ、そうだろう? 恐ろしいほどに無邪気な邪神の笑顔に、おれは心臓を掴まれるような思いになった。邪神が仕出かした事はさておき、彼の言葉自体は正しいのだから。
そしておれは、邪神の顔が若い頃のおれに似ている事に気付いてしまった。
※
邪神との闘いはそう長引きはしなかった。おれがあっさりと勝利を収めてしまったのだ。ぶよぶよした芋虫の胴体は言うに及ばず、棘と鉤爪を具えた無数の肢も、途中から生やした甲虫めいた装甲も、宝剣の鋭さの前では絹ごし豆腐ほどの硬さしかなかった。
あえなく邪神はズタズタにされ、ほとんど人間の若者と変わらない姿になって転がっていた。ますますもって新作の主人公にそっくりである。毒々しい花々は早々にしおれ始めていた。
それでもやつはまだ息があった。弱っているように見せかけて反撃する可能性があるかもしれない。おれは宝剣を突き付けながら警戒し続けていた。邪神を斃さねば元の世界には戻れない。元の世界に戻らなければおれの肉体は抜け殻のままだ。美桜たちにそう言われていたのだから。
「あは、あははぁ……やはり、真なる神だけあって強いなぁ……」
「言い残す事はないか」
改めて、邪神の喉元に宝剣を突き付ける。忌まわしき力を文字通りそぎ落とした宝剣を前に、邪神は笑みを浮かべていた。こいつの心からの笑みを、おれは初めて見た気がした。
「全て思惑通り、とでも言っておこうかね」
「何だと?」
瀕死の状態の邪神を前に、おれは眉をひそめた。強がりや負け惜しみではない、しっかりとした言葉である事を感じ取ったからだ。おれとて趣味と言えども言葉を操っている。だからこそ解ってしまうのだ。
「もとよりこの茶番劇は……我らが一計を案じて行ったものに過ぎないのだよ。停滞し、朽ちていくだけに過ぎぬこの世界に、新たな風を吹かせるためにな。
ああだから、そこにいる美桜や柚月も、実の所我とは共犯関係なのさ」
創作世界の神であるこの俺が、作品を放置して無かった事にしようとしたのがどうにも赦せなかった。邪神ははっきりと、一言一句噛み締めるように言い放った。
「慾に突き動かされて世界を構築する楽しさは我にも解る。我は死と再生を司っておるし、何より我もまたお前の一部だからな。だからこそ解ってしまうのだよ、今のお前が野放図に作ろうとしている世界が、本当に望んだものなのかどうかくらいはな」
「……」
弱々しく微笑む邪神を前に、おれは何も言えなかった。彼の言葉は、他の攻撃の何よりも強大な威力を持ち合わせていたのだから。
「今回は我の負けだ。ああ、約束通りお前を元の世界に戻そう。我は憎まれ役でも構わんが、柚月たちの事は大切にしろよ。ああもちろん、美桜の事もな」
「立花君……」
美桜の慕わしげな声とともに、邪神は静かに目を閉じて動かなくなった。毒々しい草木はとうに枯れて朽ち果てていた。だがその代わりに、荒れ果てた神殿を覆い隠すように桜木が乱立し、淡い桃色の花を咲かせていた。
一陣の風が吹き荒れ、桜の花が一斉に散る。散った花弁は渦を巻き、おれの周りに取り巻いたのだった。
※
気が付いた時には、おれはパソコンの前で突っ伏していた。何やら長い夢を見ていた気がする。恐ろしくも心躍り、楽しくも物悲しい夢だった。ああそうだ。おれは創作世界に潜り込む夢を見ていたのだ。まったく、夢の中まで小説世界で戯れるとは。
そんな事を思っていると、頭からはらりと何かが落ちてきた。それは季節外れの桜の花びらだった。
きまぐれ短編集 斑猫 @hanmyou
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