第16話 アヤカシイーターのハクビシン:3

 さて、気付かぬうちに妖怪化し異能を具えるようになったタマキであるが、それでもまだ日々の暮らしに大きな変化は無かった。この時のタマキはまだ知らなかったのだが、妖怪の力は意識して使わねばあって無いに等しい状態のものだったのである。

 そんな状況が変化するのは、ある夜の事だった。

その決定打となる夜に、タマキは路上でごちそうを見つけたのだ。ごちそうというのはロードキルされたテンである。走る凶器とも言える自動車に強かにぶつかったらしく、その身体は不自然に曲がり、曲がった所や口許からは血液が流れ出ていた。血はまだ完全に固まっておらず、ぬくもりが残っていた。

 そしてこのテンは単なる獣などではない事もまたタマキは知っていた。生前の彼とは面識があったからだ。変わり果てた骸になっている彼であるが、これでもこのテンは、タマキと同じく妖怪だったのだ。タマキの住む縄張り――タマキ自身はうらぶれた寺院の敷地内を中心に縄張りとしていた――のすぐ傍にやはり縄張りを作っていて、そしてタマキがうっかり縄張りを侵さぬように目を光らせている節があった。


「……テンの兄貴であってもクルマには、ニンゲンには敵わないって事か」


 くだんのテンは妖術の使い手でもあった。狐火に似た焔を操り、時にタマキめがけて投げつける事があったのだ。焔は本物で、枯草だけではなく青草さえも焦がし燃やすことすらできる代物だった。

 獣の身でありながら経文を唱えたり、雷鳴を模した光や大音声をあげる程度の異能しか持ち合わせぬタマキなどとは異形としての格が違う事は明らかだった。それでも、死んでしまってはどうにもならないし、人間相手ではどうにもならなかったのだが。

 タマキは人間を恐れる側の妖怪だった。故郷だった寺院が廃寺になったのも人間の仕業だったからだ。何ならタマキ自身も、人間に捕まりかけた事もあるし。

 そのような事はさておき、タマキはテンの亡骸を喰らい始めた。路上に流れ出る血を舐めとり、毛皮を裂いてその奥にある肉を頬張ったのだ。ハクビシンは菓子狸という別名もあるが、何も野菜や果実のみを口にして生きている訳では無い。雑食性だから、肉を喰らう事とてあるのだ。それを言えば、それこそ肉食性の強いテンやイタチとて、時には果物を口にする訳であるが。

 テンの血肉は不思議な味だった。肉食獣の血肉だからまずいとか、そういう意味ではない。身体が妙に火照り、何かが駆け巡っているのをタマキは感じたのだ。

 結局のところ、タマキはそう多くを口にする事は出来なかった。食べた量は少なかったのだが、それ以上は入らなかったのだ。



『おい小僧。良くもまぁ俺を喰らったなこの野郎』


 くだんのテン妖怪の姿を見たタマキは、すぐにこれが夢なのだと悟った。轢き殺され、タマキが血肉を貪ったはずのテン妖怪は、五体満足な姿でタマキに詰め寄っていたのだから。その両肩からは、彼の得意技である焔が噴き上がり、水色や橙色に色を変えながら揺らめいていた。


「どうしたんです兄貴」

『どうしたもこうしたもねぇよ。化けて出てやっただけさ。良い感じにチャンネルがあったからな』

「化けて出たって取り殺すつもりですか」


 殺されてはかなわぬとタマキは耳を伏せる。テン妖怪は呆れたようにため息をついた。


『今の俺は抜け殻みたいなもんだ。そうしたってどうにもならん……とりあえず俺を弔え。小僧、あんたは寺生まれだろう』


 さもタマキが住職であるかのような物言いである。タマキは動揺したが、取り殺されない事に安堵してもいた。


 目を覚ましたタマキは、今再びテンの亡骸の許に足を運んだ。そこにあるのは毛皮のほんの一部だけだった。タマキが眠っている間に、鴉やら何やらが亡骸を突き回し、食べられる所を殆ど食い荒らしたらしかった。

 足先と尻尾の先と思しき部分をかき集め、タマキはおのれの縄張りに引き戻る。テンの兄貴のたくましい爪やつややかな毛皮を思いながら、その遺骸を土中に埋めた。その際に意味もなく覚えていた経文を口にしたが、それがテンに伝わったのかどうかは解らない。

 だがそれ以降、テンが夢に出る事は無かった。


 そしてタマキ自身の身に起きた変化を、おのれの持つ真の異能に気付いたのはそれから数日後の事である。

 何とタマキは、喰らった相手の異能を引き継ぐ事が出来たのだ。テンが操っていた焔の術は、今やタマキも難なく使えるようになっていた。異形喰らいないしアヤカシイーター。それこそがタマキの真の異能だった。タマキがそれに気付かなかったのは、廃寺の縄張りに執着し、獣と変わらぬ慎ましい暮らしを送っていたからに過ぎなかった。

 アヤカシイーターの能力に目覚めたタマキは、妖怪として強くなる可能性を知ってしまった。そしてそれこそが、彼の妖生としての始まりでもあったのだ。

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