家庭菜園きゅうり。

 退屈な卒業式がやっと終わり、光の差す扉から校舎を出た。

 眩しい光に顔を上げる。

 目の前を横切った男子生徒の学ランの第二ボタンは糸のほつれを残して消えていたし、少し遠くの女子生徒は目のまわりを赤く腫らして切なげに校舎を見つめていた。

 見渡した景色に、終わりの実感が段々と湧いてくる。

 高くなった日が眼鏡のフレームに反射して目が痛い。

 とりあえず日陰に移動することにした。

 だが、日陰を探してぼうっとしながら足を進めていると、どうしても見つからず自分の知らない路地についてしまった。流石にぼうっとしすぎたな。

 こんなことならいち早く家に帰ってしまえばよかったかもしれない。なぜその判断が出来なかったのだろうか。

 まぁ、とりあえず日差しを防げたからよしとしよう。


暫く休憩しても結局まだ目がチカチカとしているが、このままじっとしているわけにはいかない。

 瞬きを繰り返しながら、少し路地を進んでみた。

 するとどうだろう。

 はらはらと舞う桜が、手招きするようにこちらへとんできた。

 桜に導かれるように歩いて、やっと見えた。

 この世のものとは思えないほど幻想的で、

大きな大きな桜の木。

 感動して見上げていると、

こつんと足に何かがあたる感覚。

 消しゴムが転がってきていたようだ。

 でも、何故?

 ここは路地を抜けた先。学校があるようにも思えない。 ましてや屋外で消しゴムが転がることなどあるのだろうか。

 不思議に思って顔をあげた。

 大きな大きな木の下に、光を反射する桜色の髪を靡かせた少女。あまりここで見るような制服ではない薄いピンクのセーラー服に、整えられた薄茶のスカーフがひらひらと動いていた。

 おまけに綺麗で長い睫毛に白い肌。

 どんな女優でもハリウッドスターでも勝てないようなキラキラとして、けれど素朴で純粋で。

 今まで見たこともない美しさに、ああ彼女はこの世の存在ではないのだと心の中で勝手に納得した。

 そんな彼女を見てしまった自分は目を奪われて釘付けになる。

 視線をこちらに向けた彼女は照れたような顔をし、舞い落ちる花弁に混じる貴重な桜の花をまるまるひとつ華奢な手のひらで受け止めた。

 その一つ一つの画になる仕草にまた息を飲んだ。

 そして彼女はその手を目の前に持ってきて、そのままふうっと息を吹きかけた。

 途端にその桜の花は光りだし、まるで自分が手繰り寄せているかのように風にのって自分の方へと渡ってきた。

 思わずその桜の花を自分の手の中に閉じ込めた。

 手に向けていた視線を上げるとそこは路地の入口で、桜なんて一欠片も見当たらない。

 さっきから訳のわからないことばかり起きている。どれだけ分かりたいと手を伸ばしてもさらりと華麗に躱されているように、まったくもって理解ができない。

 だけどもう一度あの桜の木が見たい。

 桜の木の下の少女に会いたい。声が聞きたい。名前が知りたい。

 あの心の高揚を、非日常へのときめきを、もう一度味わいたい。

 心の端でそう思った時にはもう足が動いていた。もちろん、あの路地の先へ。

 ここを右。

 ここを左。

 そのまま、まっすぐ。

 顔を、上げた。

 ──何もない。たしかにここだったはずなのに。

 あったはずの場所に、何もない。

 ここに大きな桜が咲いていて、その下には儚げな君がいて。

 自分と君との間に、たしかなやり取りがあった。

 なのに今ここにはただのコンクリートの壁しかないのだ。

 消えてしまった?それとも元々なかった?

 眼鏡の反射でやられてしまった目の幻想だったとか。

 いや、そんな訳がない。

 だったらこの手に握られている桜はなんなんだ。

 確かな温もりとともに、この手にのっているこれはなんなんだ。

 あのこは、一体誰だったんだ。

 うまく回らない頭の中でをぐるぐると思考を働かせながらあたりを見渡す。

 だが、結局何も見つからない。

 そんなことをしているうちに、掌のひとひらさえ見失っていた。それだけが君と出会った証拠だったと言うのに。

 後ろ髪を引かれながら、仕方なく路地を出る。

 空からの光は雲で遮られ、眼鏡が反射することはなかった。

 気づけば先程までずっと続いていた目がチカチカする感覚もなかった。




 一歩、踏み出した瞬間。


 上品な笑い声が、遠く聞こえた気がした。



 「…桜が、綺麗ですね。」

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家庭菜園きゅうり。 @haruponnu

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