それが、あなたの夢なんですの?

 そして、その夜。

 わたくしは、ベッドに腰掛けて、ぼんやりと窓の外を見上げていました。


 ドゥナルさんの作ってくれた夕食をいただいたあと、わたくしは一人部屋に戻っていました。

 昨日までお父様が使っていたベッドは、いつのまにかシーツが取り替えられ、部屋も綺麗に掃除されておりました。

 細かく、丁寧な気配り。

 またしても海賊のイメージが崩れてしまいますわ。


 ────今日は一日、いろんなことがありすぎましたわ。

 海賊の隠れ家というから、もっと乱雑なものを勝手に想像していたのに。

 ドゥナルさんと言う方は、なにごともマメで丁寧で、細かいところまで配慮が行き届くタイプなのかも知れません。

 シーツやお掃除以外にも、わたくしが緊張しないように、警戒しないように、細々と気を遣ってくださっています。

 むしろお客様扱いのようで、かえって気疲れしてしまう程です。


 正直。

 まだ、嫁入りしたという実感がわいて来ません。

 そもそも、海賊の嫁ってなにをしたらよいのでしょうか。

 船の上で航海のお手伝い?あまり力仕事でお役に立てるとは思えません。それともここのような隠れ家で?あいにく、お料理もお掃除も、お母様から呆れられる程にしかできません。


 わたくしは、どうやったらお役に立てるのでしょうか。

 今までは、貴族令嬢としてはあまりにもダメダメな娘でした。ですが、嫁入りしてまでダメダメなままでいるわけにはいきません。

 ……とにかく、なにかお手伝いでもなんでも、役に立てるところを見せなくては。

 いつまでもお客様扱いされているわけにはいきませんもの。


 鼻息を荒くしていると、ドアが遠慮がちにノックされました。


「は、はい」

「いいかな?」


 ドゥナルさんの声が、ドアの外から聞こえてきました。


「なんでしょうか?」

「えっと」


 遠慮がちな声の後、逡巡するような間があって。

 少し、ドアが開けられました。


「少し、話したいなと思って。君と」

「えっ……」


 ドアの隙間から、ドゥナルさんがそっと顔をのぞかせています。

 相変わらず、唐突と言うかなんというか。

 いつもながらこの人の言動は読めませんわ。


「ど、どうぞ」


 わたくしが答えると、ドゥナルさんはドアを開けて入ってきました。

 いつのまにか、作業着っぽかった服からゆったりした部屋着に着替えています。


「そう言えば、無かったよね。部屋着」

「そう……ですわね」


 と言いつつ、一応簡素な着替えも持ってきてはいます。カバンに入ったままですが。

 ただそれは、お屋敷で着ていたドレス風の軽い部屋着。粗末な木造倉庫風のこの小屋の中では、明らかに浮いてしまいますわ。

 ……といって、海賊船に乗り込んだとして、そっちで着られるかもわかりませんが。


 部屋に入ってきたドゥナルさんは、持ってきた服をベッドの上にそっと置きました。

 そしてそのまま、ベッドに座っていたわたくしのとなりに腰掛けて────。


「えっ……?」


 ギッ、とベットがきしむ音。

 ────すぐ横に、ドゥナルさんの顔。


 ちょっと待ってくださいませ。

 っていうか、なんでいきなり真横に座りますの?

 どうしてこの人はいつも、言うことやることがいちいち唐突なんですの?


 呼吸すら感じるほどの距離に、わたくしは思わず息を止めてしまいました。


 ────じゃ、なくて。

 近いからって、動揺している場合じゃありませんわ。

 わたくしは、嫁入りしたんでしたわ。


 ドキドキしながら、ドゥナルさんの顔を見上げます。

 ドゥナルさんはやさしく、ちょっと遠慮気味に、笑いかけています。


 や、その。

 嫁入りした日の夜。

 することがあるというのは、それなりに聞きかじってはおりますけれども。

 なんか普通におしゃべりして、普通にゴハン食べて。普通にお手伝いとかして。

 その後のこととか、完ッ全に頭から抜けておりましたわー!?


「ごめんね、いろいろ」

「────え」


 平静を装いながら内心のワタワタを必死で抑えているわたくしに、ドゥナルさんは小さな声で言いました。

 小さく頭を下げるドゥナルさん。


「急な話だったし、大変だったでしょ。いろいろ」

「あ、謝らないでください」


 わたくしは慌てて手を振りました。


「ドゥナルさんはまったく悪くありませんわ。すべてはお父様が決めたことですし」

「うん。それでも」


 もしかして、気にしている、のでしょうか。

 元はと言えば、お父様が勝手に海賊と、しかもわたくしやお母様に何の相談もなく、この人と交わした約束のせい。

 しかも、その婚姻話を推し進めたのはお父様の思惑がすべてのはじまり。

 謝られるどころか、むしろこちらが巻き込んでしまった側じゃありませんか。


 とは言っても、今更どういう言うつもりはありません。

 どうせいずれは、どこかワーリャ家にとって都合の良い相手に嫁ぐ身。

 成り行きで流されて、相手を決められることに変わりはありませんもの。


 ただ、ドゥナルさんの邪魔にならないよう、足手まといにならないよう。

 今のわたくしにできることは、そのくらいですわ。


「────少し遠くなっちゃうんだけどさ」

「はい?」


 遠くを見たまま、ドゥナルさんは言いました。


「南の大陸の近くに、本拠地にしてる港町があるんだ」

「南の大陸……」


 行ったことがない土地。

 この島から出たことのないわたくしにとってはどこもそうなのですが。

 海の向こうの土地というのは、想像もつかないほど遠い場所のように思えます。


「いつも使ってる商館があってさ。そこなら、もうちょっと綺麗だから」

「そう……なんですの?」

「ずっと船の上だと大変だし、こないだみたいに戦いに巻き込まれたりするし」


 そうでした。

 お父様は別の海賊に襲われたところを助けられたんでした。

 うっかりしていましたが、この人も海賊なのだから、他の船と戦うこともあるんですのよね?


「だからさ。陸で待っててよ」

「え……」


 もしかして、気を遣われている……?

 というか、戦いに巻き込まれないようにしてくれているのでしょうか。


 けど……

 それじゃ、ドゥナルさんはどうするのでしょう。

 まさかずっと陸にいるわけではないでしょうし……ということは、わたくしだけ置いて行かれるということになるのでは?


「それじゃ、嫁入りした意味がありませんわ」


 思わず、わたくしは口走っていました。


「船の上でも、どこでもいいので、なにかお手伝いをさせてください。邪魔にはならないようにいたしますので」

「…………」

「船でのお仕事とか、お料理とかお洗濯とかも覚えますわ。あとは……護身術!護身術くらいならできますから!

 どうか、お手伝いをさせてください」


 おそらく。

 ドゥナルさんなりに気を遣ってくれているのでしょう。

 決して、邪魔者扱いしているわけじゃないのは、わかります。わかるのですが。

 ですが、なんの役にも立てず、お手伝いもできないままというのは性に合いません。

 それじゃ、お屋敷にいた時と同じ、なにもできない、出来損ないの妹のままじゃないですか。

 わたくしも、なにかできることはあるはず。できること、やれることを探したい。


 ドゥナルさんは困ったように頭をかいて、天井を見上げました。


「ええと、さ」

「はい」


 考えるように、遠い目をするドゥナルさん。

 少ししてから、ドゥナルさんは口を開きました。


「僕は、いつかお金を貯めて、みんなで静かに暮らせる島を買うのが夢なんだ」

「……はい?」


 今度はなにを言い出すのでしょうか。

 突然なのはいつものことなのですが。

 わたくしは、じっと次の言葉を待ちました。


「カリカとスプもそうだし、今船に残ってる仲間もみんな、帰る場所がないからさ」

「帰る場所、ですか?」

「うん」


 そう言えば、お父様が言ってましたわ。カリカとスプは、孤児だったのを引き取って育てたんだ、と。

 ……ほかにも、捨て子だったり行き場をなくしたのを養っている、と。

 ドゥナルさんの家は、そうした境遇の子供たちがいるのだ、と。


「それに、好きじゃないんだ、戦うの」

「え?」

「おかしいでしょ?海賊なのに、って」

「い、いえ……」


 ……まったく。

 ほんとうに、海賊らしくない人ですわ。

 でも、そういう人だから、お父様は『娘を嫁にやる』なんてことを言い出したのかもしれません。


「似合わないことは、なるべくしたくないんだけどさ。でも、みんなと暮らしたいから」


 そう、ドゥナルさんはつぶやきました。


「それが、あなたの夢なんですの?」

「夢、っていうか」


 少し照れたように笑って、ドゥナルさんはわたしのほうを向きました。


「まあ、そうかも」


 その、柔らかな笑顔に、私は思わずドキッとしてしまったのでした。



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