前日譚②
「大まかには、話は聞いたよ」部屋に通された大久保教諭は開口一番に言った。休日だと言うのに髭もしっかり剃って髪も整え、わざわざスーツを着てネクタイを締めている。夏の暑さの中でそんな格好だから、当然汗でシャツも濡れていた。部屋の冷房が思いの外強かったのか、一礼して脇に抱えていた上着を着た。
「あれを僕の机に置いていたのは君だったんだね。三井くん」
「……はい」
「言い訳をしたくないけど、できればあんな手紙ではなく直接相談をして欲しかったな」
「……すいません」
健流にも後ろ暗いところがあった。彼自身も煙草のブログを運営し、康二に代理で煙草を買ってもらっていた。直接相談できなかったのはそういう理由があったからなのだが、伊良部教授は伏せていてくれたらしい。
「確かに、野球部のことなら柳田さんが扱った方がいいだろうと思って聞き取り調査をお願いした。正直に言って、僕はまだ柳田さんがそこまで酷いなんて信じられない」
「3年生が煙草を吸っている動画を見ますか?」晶が横から口を出した。デジカメのデータは凛太郎のスマホを経由してすでに手元にある。
西海中学校の教諭は見慣れない中学生に不審げな顔を見せた。伊良部先生から簡単には話を聞いているだろうが、学校関係者からすると生徒の喫煙は相当デリケートな話だ。他校の人間を巻き込みたくないはずだった。
「拝見しよう」それでも不安を横に置いて、タブレットの映像を確認する。紛れもなく勤務先の生徒が煙草を吸っている映像だ。
「……確かに」ため息をついてタブレットを返した。
「でも、だからと言って柳田さんが嘘をついたり、いじめを放置しているとは限らない。単に気付かなかっただけかもしれない」
「本当にそう思っているんですか? あのゴミ箱の失火原因が煙草かもしれないって言ったのは、あなたではないのですか?」
「……その通り。あの投書を見たのは僕と柳田さんだけだしね」晶の質問にすこし動揺した様子を見せながら、健流を見た。
「でも、ボヤは三井君がやったんだろう?」
「そうです」返事をしたのは晶だった。
「それでも、あなただって薄々は柳田がおかしいって思っていたんじゃないですか。そうでないと、わざわざ現場のゴミ袋を調べて吸い殻を探したりしなかったでしょう?」
大久保は返事ができなかった。
晶もはっきりと分かっていたわけではない。発火源が特定されていないのに、土日でも回収する必要があるくらいの大量のゴミの中から、わずかな吸い殻を見つけるのが不自然に思えただけだ。警察官のようなプロならともかく、素人は意識して探さないと難しいだろう。
憶測だったが、図星を突かれて固まった教師を見て、確信した。圧力をかけるように、そのまま視線を定めて返事を待った。
「まぁまぁ、そこまでで」沈黙を破ったのは老獪な教授だ。
「ひとまずは大久保くん、君にお願いしたいのは校長先生にアポを取ることです。連絡先は知ってますか?」
「……知ってますが、会ってもらえるかはわかりませんよ。校長もお忙しい方なので」
「では何故ここまでわざわざ来られたのですか。電話で断ることだってできたでしょう。本当はあなたも柳田を疑っているんだ。そうして校長に約束を取り付けることもできるが、詳しく話を聞いて確かめたかったからここまで来た。違いますか?」
「灰野くん、君が賢いのはわかったから、そう
大久保は諦めたように頷いた。
「あのー」
それまでクッキーを頬張りながら黙っていたエプロン姿の榛菜が、手を上げた。
「提案なんですけど、もし先生が気になるのなら、明日一緒に傍聴……ではなくて、話を聞いたらどうですか?」
⭐︎
「証人を呼びます。大久保先生、どうぞ」
晶がドアを開けると、手筈通り大久保教諭が立っていた。青ざめた顔で柳田を見ている。さっきの会話をドア越しに聞いて、柳田が嘘をついていたことがはっきりと理解できたようだった。
「柳田さん、残念です」
きっと彼の本音なんだろう、と晶は思った。柳田が裏切ったのは子供たちだけではなかったのだ。
——————
「そのほうが大久保先生もすっきりするんじゃないですか? で、よかったら、ちょっと演出にも付き合ってもらえませんか?」
「演出?」
「そう! たぶん健流くんの投書は柳田が……柳田先生が処分してるから、そのコピーを先生から裁判長、じゃなくて校長先生に渡して欲しいんです。元のデータは健流くんが持ってるのですぐにコピーはできるんですけど、晶くんが渡すより先生が『これがその書類のコピーです』って渡した方が信用してもらえるし、柳田も……柳田先生も文句をつけずらいだろうから」
大久保は目を丸くしている。晶と健流も同様に急に
⭐︎
「ここに、写しがあります。校長、ご確認をお願いします」
大久保教諭は内心、悔しいのだろう。晶には彼の目が光彩を失ったかのように見えた。
「ちょっと待て、俺に見せろ」
柳田が先に書類を奪い取った。
晶は慌てた。康二の名前入りの紙はあれだけで、鞄に入っているもう一枚は原本と同じく康二の名前がないものだ。「誘い」に使う書類を破り捨てられでもしたらこの後の
「スキャンしているので後で印刷したものをお渡ししましょうか?」
大久保はそう言いながら、紙を取り返した。その時に少しだけ、悲しげながらも意思のある目を晶に向けた。
君たちの勝ちだ、とでも言いたげに。
——————
「投書の文面に細工を?」
「そう! どうせああいう手合いはのらくらと嘘ついたり話を逸らしたりするんだから! ちゃんと『康二くんが酷い扱いをされてたことを知ってた』って裁判長、じゃなかった校長先生にアピールしないとね」
「ふーん……僕にはいまいち思いつかないな。具体的にはどんな?」
「例えば、そうだねぇ」
『野球部の山崎、鳥飼、生田は煙草を吸っています。
そればかりかその立場を使って、
一ノ瀬をパシリにして煙草を買わせています。
これはイジメで、犯罪です。
僕には彼らを裁くことができません。
先生の力で彼らを裁いてください。』
「これだけ?」
物足りなさげな健流の質問に、榛菜が快活に答える。
「そう! あんまり改変したら流石にバレるから、これくらいがちょうど良いんだよ。上手に嘘をつくときは、真実の海に
「……はるなちゃん、あとでお父さんと教育について意見交換しないといけなさそうだね」
伊良部教授が眉を寄せてつぶやく。
晶はまだ見ぬ榛菜の父親を気の毒に思った。
⭐︎
「まずは事実確認をと思い、柳田さんに相談しました」
「で、なんと?」
「聞き取りの結果、そのような事実はない、と伺いました」
「本当かね?」校長が疑わしそうに柳田を見た。
次の言葉が肝心だ。はたして榛菜の言った通り、一ノ瀬にも聞き取り調査をしたと思わせる返事を返してくれるのか。
「ああ、投書とは、それのことでしたか」
冷静ぶって返事をしているが、話し出しに少し詰まっている。緊張しているのだ。確実にダメージはある。
「確かに、念のため4人に聞き取りをしました」
——————
「はっきり康二くんの名前をどこかで出させて、そのまま話し切るんだよ。特に裁判長じゃなくて校長先生にはそこはしっかりアピールして、柳田が『最初から一ノ瀬康二を四人目の登場人物だと思っている』ように見せかけないとだめ。そこに積み重ねていって、最後にネタバラシするの! その文書では四人目を一ノ瀬康二だと特定できないぞ、って」
「こういうことをこの場で言うのは違うかもしれないけど、白崎さんってイタズラし慣れている感じするね」
健流の言葉に榛菜は誉められたと思ったのかにっかりと笑う。
「うまいでしょ! よくパパと一緒にママにこういうの仕掛けるんだよ。うちのママってたまに一人でケーキとかアイスとか食べちゃうんだけど、隠すの下手でさぁ! パパと一緒にこれでよくママの嘘を見抜いて
伊良部教授は彼女の母方の祖父だったはずだ。つまり揶揄われている彼女のママは伊良部教授の娘である。
きっとあの寄せられた眉間の皺の間で、義理の息子の処遇を考えているのだろう。
晶は改めて榛菜の父親を気の毒に思った。
☆
「では、認めるのですね。嘘をついたことを」
「嘘などついていない。投書などと大袈裟なことを言うから、そのイタズラの紙のこととは思っていなかっただけだ。それにちゃんと聞き取りもしたし、本人たちの言質も取っている」
「四人とも、ですか?」
言え。一ノ瀬康二に聞き取りをしたと言うんだ。
「そうだ」
「いじめのこともですか?」
その文面にあるいじめについて、誰にどんな言質を取ったんだ。
「そうだ。そんなものはない」
焦ったらだめだ、と晶は自分に言い聞かせた。
「パシリにしていると言うのは?」
「一ノ瀬にはマネージャーの代行をしてもらってる。見ようによってはパシリに見えるかもしれん」
よし。言わせた。視界の端で、大久保がいよいよ視線を落として俯くのが見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます