告発準備①



「明日、告発準備班は伊良部先生に会いにいく。現状の説明のために僕、健流は白崎さんと同席する。できれば『中学校の一番偉い人』校長とスムーズに会って話をしたいから、会うための約束を取ってもらうか紹介状を書いてもらいたい」


「まぁ、話は聞いてくれると思うよ」榛菜はじぃじの反応を思い出しながら答えた。

「明日じぃじの家で会う約束だけど、いきなりでも大歓迎だっていってたし」


「それは孫の白崎さんが会いにくるからだと思うよ。必ずしも僕らを歓迎しているとは言えないな。もし失敗すれば即効性が低い方法を取らざるを得ないから、少し時間をかけてでも協力者を確保したいけど、相手の反応次第だな」


「伊良部先生は話がわかる人だと思う。最後に受けた授業では『義を見てせざるは勇無きなり』の解説をしてたし、きっと分かってくれる」


「私からも前もって説明しておくからそんなに問題はないと思うけどなぁ」


「そう? それならいいんだが。……個人的には、もし時間と余裕があるんだったら、大学での研究の話とか聞いてみたいな」




 ——————





「で、君は榛菜ちゃんの何なのかね?」


「え……あ、その……」


 珍しく晶が口籠る。三人で訪れた伊良部邸であったが、榛菜は早々にばぁばと一緒にお菓子を作り始めた。客間に残された晶と健流は針の筵である。まるで孫娘を誘惑する悪い虫のような扱いだ。事前に榛菜から聞いた話とはだいぶん印象が異なる。


 伊良部名誉教授は小柄で、若干恰幅が良く、落ち着いた印象だった。歳の割には豊かな白髪で、銀縁眼鏡の奥にある瞳は知性をうかがわせる光がある。シンプルだが質の良さそうなポロシャツを着ており、胸のポケットが膨らんでいるのは煙草だろうか。


 見た目はいかにも知的な老人だが、その鋭い視線がいま、孫娘に近づいてきた二人の少年に向けられていた。


「塾の席がたまたま近くでして、勉強や学校の話をしているうちに仲良くなりました」


「仲良く?」


 言い方が悪かったらしい。どう言えばいいのだ。


「仲良くというか、その、勉強一般の話をするようになりました。その際にたまたま友人の話をして、今回は協力してもらった次第です」


「ほう……友達の相談をするくらいには仲がいいということかな?」


「ええ、その、そうです。いや、どちらかというと白崎さんの友人を経由して彼女の学校の問題解決を手伝ったことがきっかけですから、彼女の友達を含めた友人関係と言いますか、個人的な関係というよりはグループで仲良くなった印象です」


 我ながら苦しい。別に悪いことをしているわけではないし嘘をついているわけでもない。しかし孫娘との何らかの関係を疑う老人に何と言えばいいのか思いつかない。言い訳をする悪い虫に見えていないだろうか。晶が全く予想していない展開である。


「決して年齢や立場に見合わないような関係ではありません」言っててさらに苦しくなってきた。

「ただ、僕の友人のために伊良部先生を紹介してほしいと、そうお願いしただけです」


「ほほう? 年齢や立場に見合わない関係とは、どのような関係ですか? ジジイには皆目見当がつきませんね。教えていただけますか?」


「その、それは一般的に言われる表現を使ったまでで、具体的なことは僕にも良くわかりません」


「よくわからない言葉なのに使っているのですか?」


「失礼しました。ご心配をかけるようなことはしていないつもりだと言いたかったんです」


「心配をかけるようなことはしていない? そうは思えません。榛菜ちゃんからはいろいろ君の武勇伝を聞きましたよ。10年前の殺人事件の真犯人を推理した名探偵なんだそうですね? でも、そのときに? 榛菜ちゃんを脅して? 無理やり聞き込み調査をさせたというのは? 本当なんですか?」


 晶は天を仰いだ。


「……若干認識に相違があるような気もするのですが、見ようによってはそうなるかもしれません」


「しかも今回は? 同じく無理やり西海中学校に潜入捜査をさせたと聞きましたが? 真偽の程は?」


 肩を落とし顔を伏せた。


「行き違いがあったことは認めざるを得ません」


「つまり?」


「……事実です。強くお願いしました」


「ほほう? では、今回も強くお願いしてこの場にいるのかな?」


「いや、その、前回ほどではない、と考えてます」


 これは想像していたよりも相当に難しそうだ。凛太郎ならうまく切り抜けられたかもしれないが、晶にはまったく切り抜けられる目星がつかない。配役を間違えたか。それにしても、榛菜は必要以上に晶のことをこの賢くて硬い老教授に話してしまっているようだ。余計なことを言うと藪を突くことになりかねない。というよりもすでに藪から飛び出た蛇に頭からかじられている気分である。


 隣の健流を見ると、彼も困った顔をしている。学校で見る先生とはまた違った様子らしい。


「先生、面倒なことだとは思うんですが、どうかお願いします」健流が頭を下げた。

「浅はかなことをしました。本人とよく相談するべきだったのに、僕が勝手に余計なことをしたせいで、友人が酷い目にあっているんです」


「余計なことか。たしかに余計なことをしてしまったね」顎に手を当てた。

「君たちの話を聞く限りでは、はっきり言って問題を複雑にしただけだと思います。最初に相談する相手が悪かったというのならば、改めて別の教師に頼むこともできたはずです。一人目がダメだったからと言って、いきなり実力行使というのはよくなかったですね」


 正論だった。いじめの糾弾をするためにボヤを起こそうと言うのは、いくら安全措置を取っていても誉められたことではない。


 ただ、正論だからと言って素直に飲み込めるものでもない。健流も悪いことだとわかっていても、追い詰められた気持ちで必死に行動したのだ。それを否定されてしまっては彼の立場がないではないか。


 晶はどうしても反論したくなった。


「確かによくない行動だったかもしれません。でも彼も必死で友達を助けようとしたんです。手段は良くなかったかも知れませんが、悪戯のような軽い気持ちでは」


「『目的は手段を正当化する』と言いたいのかね?」いっそう眼光が鋭くなった。

「若い君たちがそんなことを言うとはね。あれは当時のイタリアの混乱期に政治を安定させるために書かれた『君主論』の言葉だし、権力者におもねったものである、という意見もある。もっと歴史的文脈の読み込みも必要だと思いますよ。いずれにしても、昔の言葉そのものは貴重ですが、当時の言葉を現代人の感覚で語られては当のマキャベリも困るでしょう」


「すいません、そんなことを言うつもりではありませんでした。ただ、他に手段が思いつかなかったんです」


「もし君たちが当時のイタリアのように分断され、周囲の協力を得られず、自軍さえも持たないのなら多少の言い訳にはなるだろうけども、君たちには他に周りに大人がいたし、大人がいなくても君たち自身が協力できたはずです。他に手段がなかった、とは言えないと思います。何なら『教育委員会への相談』『保護者会へ連絡』『理事会への報告』という武器だってある。なまくらかと思ってるかも知れないが、あれはなかなか教師には切れ味がありますよ。特に校長や教頭にとっては致命の刃です。それさえも知らないのなら、やはりまだ幼いと言わざるを得ないし、素直に大人に相談するべきでした。三井君はご両親には相談しましたか?」


「……いいえ」


「どうしてしなかったんですか?」


「聞いてくれないと思いました」


「そう思っただけ? 実際には聞いてくれたかも知れませんね。ご両親つてに学校へ相談しても良かったのではないかな? 子供が言って聞いてくれないことでも、保護者であれば違う反応が返ってくることは多いですよ。君も経験があるのでは?」


「……はい」


 晶も多くは知らないが、健流の家庭は裕福で不自由をすることはないらしい。ただ、両親はどちらも放任主義でともに多忙らしく、滅多に家族が揃わないということも聞いていた。それゆえに煙草の実験もできた反面、相談もしずらい環境だったのではないだろうか。


 もちろん、だからといって全く相談できないわけではない。ボヤを起こしていい理由にも当然ならない。


「灰野くん」


「はい」


「君自身には全く大人の伝手つてはなかったのかい? ここへくる前に、相談する大人やそれに近しい人は?」


「いません」


「嘘だね」やれやれ、と首を振る。

「君には大学生のお兄さんがいるんだって聞いてますよ。しかも法学部だそうですね? 以前も法律のことで相談をしていたとか。お兄さんに相談しても良かったのではないですか? しましたか?」


「……していません。あまり効果的だと思えなかったので」


「君は科学者を目指しているとも聞きました。分野は違えど学術を志すなら、まずは正道をいくべきだと思います。その結果を経てから工夫を考える。いままで経験的にお兄さんが協力的でなかったとしても、その手続きはしておくべきです。科学分野で実験をするならなおさらでしょう。条件を整え、環境を用意し、仮説を立て、それでようやく実験の準備ができる。君はまだ条件を整える段階さえも踏んでいない」


 痛い指摘だった。


 晶も健流も言いたいことがないわけではない。友人と連絡が取れず非喫煙者という確証を得られなかったとか、効果の割には面倒な見返りを求められるとか、そういう言い訳ならできる。では、教師や先輩の喫煙は糾弾して、友人の喫煙は見逃していいのか? とか、代償を払うのが嫌で協力者を選ぶのか? とか、いくらでもさらに反論されそうだった。


 言ってみれば、自分達の無意識の打算や間違いを指摘されているのだ。大人に相談し、時には友人をも巻き添えにしてしまうがきちんと罪を追求すること。面倒な代償を払うことになるかもしれないが、それでも友人のために苦労をすること。傷ついても面倒でもそれこそが正道なのだ、それができない時に初めて搦手からめてを検討しなさい、と恐ろしく当たり前でまともなことを言われているのだった。



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