7:あなたが赤き龍……なわけがないか。

「次の儀式は、この鉱石に生じた水を集める作業だ」


 私の目の高さに鉱石をかざしながら告げたのは、それはそれで厄介な内容だった。


「――ちょっ……この卵大の石に生じた水を集めろ、ですって?」


 表面積を考えてもとても小さい。水を集めるとして、どうすればよいというのか。しかもよりにもよって、鉱石に生じた水、である。湖に沈めてその表面に残った水を集めたのでは意味がない。

 私が笑みを引きつらせて聞き返すと、ザクロは肩を竦めて見せた。


「そう言われているんだから、やるしかないだろ。俺は俺が知っているとおりのことを告げているだけだ」

「む……」


 今さら他の石を探すのも大変に思えた。

 どうせここでまた噛み付いても「だったら龍神に喰われるのをおとなしく待ってろ」と言われるのがオチよね。なら、仕方ない。

 私は近くに石を置いて隣に腰を下ろす。諦めたわけではない。これも作戦の一部だ。私はただじっと待つ。


「ん? 降参か?」


 私の行動の意図がわからなかったらしい。不思議そうな顔で私に角灯を向ける。


「降参? 本気でそう思ってるの?」


 置いた鉱石の表面を見て、そして空を見上げる。雲一つない空にはたくさんの星が輝いている。明け方も近いらしく、星の位置がだいぶ変わっていた。

 気温が下がってきたからだろう、私の身体がわずかに震える。


「だが、そうやってじっとしていたら身体が冷えるだろ? 風がないとはいえ、この天候だとまだまだ寒くなる。諦めたなら、君が閉じ込められていた祭壇の中で暖をとったほうが良いんじゃないかと思って」

「あら、私の身を案じてくれてるの? 別に大丈夫よ。身体は丈夫な方だし。それに、交渉に失敗したら龍神様にゴックンの運命よ。気にすることじゃないわ」


 私は外気に晒されている脚をさすりながら答える。ひんやりしており、身体が冷え始めているのがわかる。


「そうは言うが、寒いんだろ? 身体、震えてるのわかるんだが」

「う……た、確かに寒いけど、我慢できるし。――ザクロさんこそ、寒いなら祭壇で休んでいていいのよ? わざわざ私と一緒に寒い思いをする必要なんてないんだから」


 しつこく聞いてくるのは彼自身が寒いと思っている所為だ、そう理解した私はザクロに提案する。勝手に付き合ってくれているとはいえ、私がそう言い出さないと行くにも行けないだろう。


「ったく、強情なんだな……」


 小さく舌打ち。そして彼は自分が羽織っていた上着を脱ぐと、私の肩にやや乱暴に掛けた。

 あったかい……

 ザクロがさっきまで着ていたために温もりが残っている。がたいのいい大きな身体を包んでいただけに、私の小さな身体はすっぽりと包まれた。なにより、彼にとっては肘くらいの長さまでしか袖がないのに、私からすると手首がもう少しで隠れそうになるくらいあってとても驚いた。

 私はザクロを見上げる。彼はにこりと笑む。


「どんな狙いがあるのかは知らんが、それ着てろ」

「でも、あなたが寒いんじゃない? そんな薄着じゃ、風邪引くわ」


 肌着しか身につけていない状態だ。そんな格好で付き合わされては体調を崩すに違いない。


「鍛えているから心配するな。この程度で病気になるほどやわじゃない」

「鍛えてどうにかなる問題? 霧が出るくらい寒暖の差がある状況なのに――」

「なるほど」


 どこかで暖かくしているように告げようとしたところを遮られた。私は目をぱちくりさせてザクロを見つめる。


「なるほどって?」

「霧が出るのを待っていたんだなって。やっとわかってさ」


 言ってザクロは空を見上げ、湖に目をやった。辺りが徐々に明るくなってきて、湖の表面がだんだんと霞んできていた。


「今夜の気象条件は悪くない。それなら確かに露を集められる」


 ザクロの指摘してきたことは、まさに私が企んでいたことだった。小さく肩を竦め、おどけて返す。


「どれだけ集まるかはわからないけどね。賭けるなら悪くない賭けでしょ?」


 雲のない空は冷え込みを促す。近くに湖もあり、外気と水温の寒暖の差を利用してうまいこと利用すれば、霧はより発生しやすいだろう。その霧と鉱石との間に温度差があれば効率的に水を集められるというものだ。


「悪くない賭け、か……」


 私は自分が掘り出した鉱石に目を向ける。

 これでうまく水を集められない場合は術でどうにかするくらいしか思いつかない。卑怯かもしれないが、それはそれで私の実力だ。

 さぁ、来いっ……

 霧が私のいる辺りまで到達して、地面に転がしていた鉱石の金属光沢が鈍り始めた。霧が濃くなっていくに連れて見えにくくなるのだが、どうやら作戦は成功したらしい。私は顔を近づけて、その表面に浮かぶ小さな水滴を確認すると、ザクロに顔を向けた。


「よし、やったわ! ――さぁ、ザクロさんっ! 次のお題はっ!」


 私が威勢よく問うとザクロは一瞬だけぎょっとしたが、すぐに嬉しそうな顔をして答えた。


「あぁ。次はその鉱石に生じた水分を葉に乗せて飲むんだ。葉はできるだけ若い方がいい」

「……また面倒そうな課題をぶつけてくるもんね」


 喜びも束の間。私はため息混じりに呟く。


「そういう言い伝えだからな。かつて誰かがやったことなんだろうよ」

「本当に誰かがやったことなのかしらね。こんな厄介なこと」


 鉱石を動かさないように避け、私は目的の若葉を求めて木々の茂る方に歩き出す。明るくはなってきたが、今度は霧で見通しが悪い。足元に注意しながら慎重に歩む。


「さぁね。誰かがその課題をやってのけていたかどうかはわからんが、君はそれをするかしないかは自由だし、おとなしく喰われるか、交渉して自由の身を手に入れるか、力技で倒すかも自由だ」


 ザクロはその場に留まり、私に言葉を返す。


「はいはい。確かに誰がこなしたものなのかってことは問題じゃないわ。私が、今、それを選んでやっているってことには変わりないんですもの」


 不満がこもった声で返しながら茂みに到着。適当な葉を探し始める。

 しかし、不思議よね。

 伸びる枝葉を分けてごそごそとしながらふと思う。

 ザクロさんって、本当にあの村の人なのかしら?

 そう。この儀式を始めたときはまだ気が動転していたから思い至らなかったのだが、村に伝わっている龍神の儀式については私もちゃんと調べてきている。

 龍神に生け贄を捧げる儀式があるというのはもちろん調査済みで、ゆえに私がぐるぐる巻きにされて祭壇に転がされた理由もすぐ理解した。

 だが、龍神を呼び出すための儀式についてはどうだろうか。

 そういうものが存在することは知っていたはずだった。そのための文献だって調べた。そうであるはずなのにすぐに思い出せなかった理由――

 村に伝わっていたのは『儀式が存在する』ということだけで、具体的な方法は伝わっていなかったのよ。

 私はごくりと唾を飲み込む。

 でも……

 では、彼が私をからかっている可能性はどうだろうか。私が無知であることを利用して、暇をつぶしている――

 私は首を小さく横に振る。

 いや、それはない。

 わざわざ文化調査員を相手にからかうような暇人が存在するだろうか。

 それはさておき、彼が私をからかっているにしては、文化調査員としての知識から予想できる内容に限りなく似通っているのが妙だ。知りすぎると言っても言い過ぎにならないほどに。

 術に精通している人間であれば、これらの儀式の意味するところもわかると思うのよ。でも、彼から力は感じないものね……

 正確には彼にないのではなく、何かによって抑えられているような歪な感じがする。

 奇妙な点といえば、炎が燃えているかのように輝く赤い髪、赤い瞳も特徴的だ。それは私が出会った誰とも違う特殊な色で、私の色と似た不思議な色――

 実は赤き龍なんだよ、俺――とか、言い出したりしないわよね?


「おーいっ! 何やってんだ? 若葉摘むのにそんなに時間いるか?」


 びくっと身体が震えた。まさかこんなことを考えているちょうどその瞬間に声を掛けられるとは思っていなかった。びっくりしすぎて思わず自分の胸に手を当てる。心臓がドキドキいっているのがはっきりわかった。

 も、もうっおどかさないでよっ!

 小さく深呼吸。呼吸と心拍数を平常に戻すと、私は返事をする。


「心配いらないわよ! ちょっと選定に悩んじゃっただけだから」


 私は大きな声で答えると近くに茂る低い木から瑞々しい若葉を一枚千切り取る。


「今から戻るっ!」


 霧は依然深い。私は彼が持つ角灯の光を頼りに足場を確認しながら戻った。


「お待たせ」


 私が戻るとザクロは不安げな顔をしていた。心配してくれていたのだろうか。そんなに長く離れていたつもりはなかったのだが。


「探していたと言うわりにはだいぶ静かだった気がするんだが」

「そんな大きな音を立ててやるものでもないでしょ? ほら、ちゃんと摘んできたわよ。これで水滴をすくって飲めばこの課題は突破したってことで」


 咄嗟に私はごまかした。心配してくれている相手を疑っていただなんて言えやしない。私は摘んできた若い黄緑色の葉をザクロに見せる。


「む……そうだな。それでさっさと済ませてしまおう」


 ザクロの同意を得られたところで、私は置いたままの鉱石に葉を近づける。表面にびっしりとたまった水滴を零してしまわぬように慎重になぞり葉に集め、ためらうことなくその一滴を口に含み飲み込んだ。


「これで完了っと。――ねぇ、ザクロさん、儀式ってあといくつあるの?」

「そろそろ終わるさ」


 そう告げた横顔が、どこか遠くに感じられた。

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