第10話 俺のツレが何か?

 マーディトの街には日が高くなる前に到着することができた。

 エムレの言うとおり検問はさほど厳しくなく、彼が正直に携帯している武器について申告すれば通してもらえた。彼のような草原の民はよくいるらしく、慣れた対応だった。


 城壁の門をくぐってすぐのところに、大きな立て看板があった。大雑把な地図と寺院や隊商宿ハーンの名称を記しているそれは観光案内板である。ダラヤの街はここまで開けっぴろげではない。この街の国主アミールはよほど自分の街の防衛に自信があると見える。


 この街には、大小あわせて七十二軒の寺院と、百人規模で宿泊できる隊商宿ハーンがみっつあるらしい。エムレとハディージャは先に隊商宿ハーンに馬を預けてから行動を開始することにした。


 隊商宿ハーンでは旅人を積極的に受け入れている。

 神は旅人は親切にぐうせよと言われた。

 砂漠の民は基本的には異国人や異民族に優しい。ただ略奪に来る草原の民だけはいつもひどい目に遭わされているので警戒しているという話だ。


 今回宿泊する隊商宿ハーンも、草原出身の身なりをしたエムレと顔を半分布で隠した男装のハディージャという怪しげな二人組を拒否せず、男二人旅ということで、ベッドがふたつの部屋を一室すんなり予約させてくれた。


 今日はベッドの上で眠れる。

 エムレもこれで休めるといい。


 さて、情報収集の開始だ。


 情報が集まる場所といえば、寺院と食堂、と相場で決まっている。

 食堂は夜に隊商宿ハーンの食事室で調べるとして、昼間は寺院で聞き込みだ。


 二人はマーディトで一番古いという大きな寺院に向かった。


 場所はすぐにわかった。隊商宿ハーンである程度の方向は教えてもらっていたが、近くに行ったら近隣住民がみんな吸い込まれるようにそちらに向かっていったので、あとについていけば苦もなくたどりついたのである。


 古い寺院は美しかった。

 白塗りの壁には精緻な彫刻が施されている。寺院の外側をぐるりと囲むように何本もの木の柱が立っていて、これもまた見事な彫り物の屋根を支えていた。

 中に入ると、透かし彫りの窓から床の絨毯に光が差し入っている。黒檀の説教台も身廊の柱も立派で、一度に百人以上の信徒がぬかずくことができる。


「せっかくだから、俺も礼拝するか」


 エムレがそう言って絨毯に膝をついた。

 床をよく見ると、一人分の面積の絨毯が何百枚もびっしりと敷き詰められている。この一枚一枚に一人ずつひざまずいて祈るのが常識である。


「するのですか、礼拝」

「一応学識者見習いだし、それなりに真面目なこともしないとな」


 もうすぐ丸一日一緒にいることになるのだが、彼が礼拝などと言い出したのは初めてのことだ。


「本当に真面目な信徒なら一日に五回礼拝をするものですよ」

「そこはすべてお見通しである神は非常事態で切羽詰まった信徒にお慈悲を垂れて見逃してくださるだろう」

「あら、そうですか」


 ああ言えばこう言う。だが案外学識者などという職業はそれくらい柔軟でないと務まらないかもしれない。説教ばかりする知識人をありがたがる人間はろくなものではない。


 しかしこうして見ていると異民族とは思えないほどきちんとした礼拝をするので、あながち口先だけでもない気がしてきた。三年間ちゃんと勉強をしてきた証だ。


 それにしても、礼拝をしているのは、エムレだけではない。地元民と思われる軽装の人間も、観光客と思われる大荷物の人間も、みんな膝をついて祈りを捧げている。


 ハディージャも礼拝しないといけないような気がしてきた。


 あたりを見回す。


 寺院は基本的に男女別で礼拝をするものだ。空間の分け方は寺院によってさまざまだが、女性のスペースは後ろか端に設けられているものである。ハディージャも本来ならそういう場所に移動すべきだ。


 だが、今のハディージャは男装している。


 男性のスペースで礼拝するほうが自然ではないのか。


 周囲の目を気にしつつ、おそるおそる、エムレの隣に膝をついた。


 エムレは何も言わなかった。


 絨毯に両手をついた。


 その時だった。


「おい」


 後ろから声をかけられた。


 慌てて上半身を起こして振り向くと、そこに数人の男性が立っていて、腕組みをしながらハディージャを見下ろしていた。


 その目が、冷たい。


「お前、女だろう」


 ひやりと、背筋に冷たいものが流れる。


「女はここで礼拝をするな。後ろに行け」


 混乱した。

 どうしてハディージャが女だとわかったのだろう。服装は完全に男のもので、顔も隠しているのに。

 けれど言い返せない。声を聞かれたらそれこそ女であることがバレてしまうからだ。


「俺のツレが何か?」


 礼拝を終えたエムレが言う。ハディージャはほっと胸を撫でおろしたが――次に出てきた言葉を聞いて、鳥肌が立った。


「今礼拝をするために床に手をついた時、持ち上がった尻の形が女だった」


 気持ちが悪い。


「女のくせに男のような身なりをして、生意気な」


 男たちが言う。


「どういうつもりでそんな恰好をしている? 神は、男は男、女は女としておつくりになった。これは――」


 怖い。


「神への冒涜ぼうとくだ」


 そんなつもりはないのに、女であるというだけで、ここまで言われてしまう。


 ハディージャはこの状況で強い態度に出られるほど無謀ではなかった。

 ここで問題を起こすとまずい。

 自分たちは情報収集に来たのだ。本来は彼らと対話すべきである。

 でも、ハディージャはもう彼らと普通に会話できる気がしなかった。

 とはいえ、祈りの場所で揉め事を起こして戦闘行為に準ずる魔法を使うわけにはいかない。それこそ、神への冒涜だ。


 周囲の視線を集めつつあった。今まで熱心に礼拝をしていた人々が礼拝を終えてこちらに注目し出したのだ。邪魔をしてはいけなかったのに、申し訳ない気持ちになってくる。


「服を脱げ」


 ある男が言った。


「ターバンをはずせ。顔を見せろ。神をあざむこうとするな。聖なる寺院でおのれを偽ることを神はお許しにならない」


 次の行動に悩んで硬直しているハディージャの隣で、エムレが口を開いた。


「こいつは確かに男だ。俺が保証する」

「じゃあ、何にも恥ずかしがることはないな? 今すぐ脱いでみせろ」

「それはできない」

「なぜ」


 ハディージャは目を真ん丸にした。


「醜い傷がある。頭から顔にかけて火傷のあとがあって、とてもではないがひとに見せることはできない」


 男のうち何人かはたじろいだが、また別の男たちは強気だった。


「火傷ぐらい何だ。傷のひとつやふたつ、男なら気にしないもんだ」

「そうか? 男でも傷なんてないほうがいいと思うが。あんたたちも好き好んで怪我をしたいわけじゃないだろう。怪我をしたあとをじろじろ見られて嫌な思いはしないか?」

「まあ、それは……そうか……」


 エムレの言葉に、男たちが圧倒されつつある。

 ハディージャには、エムレが頼もしく見えた。

 これで逃げられるかもしれない。


「それじゃ、せめて声を聞くだけでも。低い声を聞けば安心する」

「それも無理だ。こいつには顎がないから」

「顎がない? どういうことだ」

「怪我で下顎が砕けて二目と見られない顔になってる。口は開いたまま、よだれも垂れ流しだ」


 男たちが息を吞んだ。


「それでも、見たいか?」


 エムレがすごむ。


「どうして、そんなことに……」

「俺がやった」


 緊迫した空気が漂う。


「こいつは俺の奴隷だ。火をつけようが顎を砕こうが俺の勝手だ」


 みんな、静まり返った。

 ハディージャも、胸の奥が冷える思いだった。

 エムレは本来そんなひとではない。けれど、世の中にはそうして自分の奴隷に暴力を振るう人間もたくさんいる。ここに集まった男たちにも心当たりがあるのだろう。そういう人間のさがに、恐怖を感じる。

 みんな、何かを感じ取っている。みんな、思うところがあるのだ。


 エムレが立ち上がった。


「おい、お前」


 今までに一度も聞いたことのない冷たい声で、ハディージャに話しかける。


「この人らに見せてやれよ。お前のその不細工なツラをよ」


 彼が本気でそんなことを言うはずがない。だが意図が読めなくて混乱する。彼は何を望んでいるのか。どうするのが正解か。


 ハディージャが動揺しているうちに、彼は、周囲に集まった男の中の一人、杖をついた老人に言った。


「貸してくれ」


 老人が「何を」と慌てているうちにエムレが老人から杖を奪った。


「言うことを聞かない奴はお仕置きだな」


 周囲の男たちがぎょっとした。


「おい、あんた、何を言って――」

「いくら自分の奴隷であっても、そんな乱暴なことは――」

「いや、ここはしっかり教育すべきだ」


 エムレはあくまで冷静だ。


「何度も俺の言うことを聞けと言い聞かせているのに、強情な奴だ。いつになったら学習するんだ、この――」


 そう言って、エムレがハディージャに向かって杖を振り上げた。

 殴られる。

 怖い。



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