第三章 公主様に愛を叫ぶまで

第35話 公主様のハーレム計画

 煌々こうこうとランプの明かりが室内を照らしている。


 必要最低限の家具しか取り揃えていない簡素な室内には、大きな姿見すがたみは置かれていない。代わりとなる小さな手鏡を持ち、母親譲りの美貌びぼうを黒陽はぼーっと眺めた。ふと桜華の輝かんばかりの笑みを思い出し、それを真似てニッと笑ってみたが、うまく笑うことができず、ぎこちない笑みだけが手鏡に残った。


 そしてすぐに、元の乏しい表情へと戻ってしまう。

 ため息がでた。


「どうして私は自然に笑えないのだろう」


 指先で口角をくいっと上げてみるも、り固まった表情筋は柔和な笑みを作るには程遠い。眉を八の字に寄せ、少し困ったような顔になる。感情の乏しい尊顔そんがんには、冷たい美がただ無機質に張り付いている。


 正確にいえば、笑えないわけではない。運命の決したあの夜、麒翔きしょうに駆け落ちを提案された時は、心の底から笑いが込み上げてきて自然と笑うことができた。しかし、普段の黒陽はそのように笑うことはできない。なぜなら感情の起伏が少ないから。常に俯瞰ふかんし、物事を冷静に判断する彼女の表情はいつだって冷たく無機質だ。


 黒陽は、龍皇りゅうこう黒煉こくれんを父に、そのきさきである将妃しょうひ烙陽らくようを母として、十五年前に公主こうしゅとして生を受けた。

 群れでの序列を表す将妃は、序列第二位・軍事の最高司令官を務めるほまれ高きくらいである。必然的に、その娘である黒陽の序列は、生まれた時から相当な高見にあった。


 龍人族の群れは女社会である。群れが大きくなるにつれて、群れのあるじたる男は、妃たちに群れの管理・運営を任せるようになる。当然そこには責任が生まれ、妃たちは群れがよりよく発展するよう尽力しなければならない。


 その帝王学を黒陽は幼少の頃から叩き込まれた。群れを大きくするための考え方から、創意工夫の方法まで。人の上に立つ心構えから、人心掌握じんしんしょうあくの術に至り、そして必要悪と断じる権謀術数けんぼうじゅつすうの数々。

 特に黒陽に影響を与えたのは、個人の利益よりも群れの利益を優先しなければならない、という教えだった。幼少の頃からずっと説かれ続けたその教えは、個としての自分を殺す結果に繋がり、感情の起伏が少なくなった。


「自らを律するあまり、可愛げのない女になってしまったのかもしれないな」


 ポツリ、と黒陽の口から呟きが漏れた。


 しかし黒陽は、母・烙陽らくようを恨んではいない。愛する人に可愛がって貰いたいという欲はあるが、必ずしもその役割を自分が演じる必要はないと考えている。

 群れにおいて、すべての役割を一人でこなすことは不可能だ。人には得意・不得意があり、得意な分野を各々が担当すれば良いのである。そうして群れは形成され、発展して大きくなっていく。寵愛を受け、子を産むという役割もまた同様だ。


 ぐっとこぶしを握りしめ、黒陽は決意に頷く。


「だからこそ、幅広い才能を持った妃たちでわきを固めなければならない」


 群れを大きくし、多くの龍人女子を庇護ひごする。それが黒陽の考える力ある龍人の責務であり、目指すべき正道である。そして群れが発展することで、武力が整い、自分たちの身の安全をも確保できるようになる。群れの拡張は、理想と実利の両方を兼ね揃えた合理的な戦略なのだ。


「待っていろ、麒翔きしょう。私が、あなたに相応しい優秀な妃を選別してやるからな」


 手鏡を勉強机へ置く。そうして黒陽は、引き出しから羊皮紙ようひしの束を取り出した。羊皮紙の一枚一枚には、どれもビッシリと文字が書き込まれている。


「だが、優秀なら誰でもいいというわけではない。群れに必要なのは調和。そして群れに害となるのは嫉妬。ゆえに、桜華のような人材が理想だ」


 母・烙陽らくようから授けられた帝王学。中でも特に母が固執したのは「嫉妬は悪」という考え方であった。


『嫉妬は群れを崩壊せしめる悪の感情よ。賢いあなたなら大丈夫。うまくコントロールできるようになりなさい』


 母は決して他人事ではないのだと熱く語った。かつて龍皇の群れでも嫉妬が原因で崩壊しかけたことがあったのだと。就寝前のベッドの中で、絵本を読み聞かせる代わりに、幼い黒陽に何度も何度もそう言って聞かせた。


「ゆえに、嫉妬深い女は妃に相応しくない」


 近い将来、覇者となりえる麒翔きしょうに必要なのは、純然たる献身を捧げられる者のみ。栄華を極めるか、滅びの道を行くか。舵取りを任された妃たち次第で、群れの明暗は決してしまう。ゆえに六妃の人選は決して手を抜いてはならないのだ。


 その点、桜華は理想的な人材だった。後からやってきた黒陽を受け入れ、その上、正妃を譲ることのできる度量。そして本人の知らぬところで捧げられる献身。


 それは黒陽の思い描く妃としての理想像そのもの。ゆえに黒陽は、彼女のことを心の底から尊敬している。


「正妃を譲るなど、いくら事情がある事とはいえ普通はできない。もしもその必要に迫られたとして、果たして私は、桜華のように譲ることができるだろうか?」


 もう一度、羊皮紙の束へ視線を落とす。

 それは現在、彼女が捧げられる最大限の献身。その成果である。


「私は不器用な女だ。だから今はこのぐらいしかしてやれない」


 恥ずかしがり屋の彼がこれを見たら、どのような反応を示すだろうか。その姿を想像して、黒陽はフフッと微笑を浮かべる。


「そう。麒翔きしょうは照れ屋で恥ずかしがり屋なんだ。だから私は一計を案じた」


 その策は、ハーレム計画とは目的を別とし、主人たる麒翔きしょうをも騙す策である。忠誠を誓うべき主人を騙すのは、本来なら絶対に許されない禁じ手。妻としてあるまじき行為。だが、こうでもしない限り、きっと彼は愛を叫んではくれないだろうから。


「ふふ、私は悪い女だな。ちょうを競う必要はないとしながらも、こうして策を巡らせているのだから」


 黒陽の陰謀は、とっくの昔に始まっていた。

 獣王の森から脱出を果たしたあの時から。




 ――――――――――――――――

 第三章の開幕です。


 第三章では、第二章同様にほんの少しだけ謎解き要素があります。

 大した謎ではないので、よく読めば気付くかもしれません。


 前半はラブコメ風の学園生活を送り、中盤に事件が発生します。

 犯人は誰なのか? 良かったら予想してみてくださいね。


 最後に。第四章はまだ一文字も書いていません。従って、毎日更新をしてしまうと、第三章が終わった後に長期の空白期間が生まれることになってしまいます。ですので、週二回更新(水曜日と日曜日に更新)を予定しております。

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