第13話 公主様の婚活

 本校舎二階。

 フラフラとどこか足取りの覚束おぼつかない麒翔きしょうである。目の下にはクマがある。「くぁ」とのどが鳴り、大口を開けて締まりのない顔を晒す。


「駄目だ。仮眠を取らないと体が持たねえ」


 眠い目をこすり、麒翔きしょうは己の限界を自覚。

 ここ数日、余り眠れていない。公主様に対してどう接するべきなのか。自分が落ちこぼれであることをカミングアウトするべきなのか。するとしたらどのタイミングが良いか。仮に打ち明けたとして、今の関係はやはり崩れてしまうのだろうか。それとも万が一、関係が続くのだとしたら……。


 ぐるぐると頭の中に終わりのない思考が流れ続けた。堂々巡りが一晩中続き、気付いたら朝になっていた。一睡もできていないのではなかろうか。閉じそうになる瞼を擦りながら、麒翔きしょうは幅広の廊下を歩いている。


 公主様にかれている自分を自覚している。

 だからこそ失望されるのが怖い。手の平を返されるのが恐ろしくて堪らない。


 仮に奇跡的に失望をまぬがれたとしても、やはり結ばれることはないだろう。厳然げんぜんたる身分差がそこにはある。それこそ龍人の身分を捨てない限りは。


 それにしても眠い。

 もはや夢の中に片足を突っ込んでいると言っていい。

 思考は取りめもなく曖昧で、ぼんやりとそこに広がっている。


「駄目だ。明日から夏季特別実習だってのに。寝不足のままはまずい」


 意識が幽体離脱しそうである。

 次の時間は座学の授業。総合成績には影響しない任意の授業である。背に腹は代えられない。早々にエスケープすることを決め込んだ麒翔きしょうに声が掛けられた。


「暇そうだな、麒翔きしょう。少し手伝え」


 下院を統括する魅恩みおん教諭が三角眼鏡を光らせて立っていた。

 魅恩みおん教諭は、闇魔術担当の教師である。その他にも剣術と弓術の授業を担当している。重要な役職からもわかるように優秀な教師であり、下院内での発言力も高い。多くの学生から恐れられている強面こわもての女教師ではあるが、麒翔きしょうおくすることなく即答した。


「いえ、暇じゃないです」


 魅恩みおん教諭から舌打ちが返る。


「ただでさえ不真面目な貴様が、ここのところ輪をかけてひどい有様じゃないか。剣術の腕前だけは買ってやるが、他がひどすぎる。どうにかしろ」


 寝不足で頭が回らない麒翔きしょうは「へい」と気のない返事をする。


「なんだそのやる気のない返事は。だいたいおまえはな――」


 説教が始まってしまった。長い。終わる気配がない。

 ガミガミ怒鳴られると頭に響く。拷問か。

 意識が混濁こんだくする中、麒翔きしょうは幽体になったつもりでその脇を通り抜けようとしたが、幽体となり透けるはずの襟首えりくびをがっしり掴まれてしまった。


「貴様、ふざけているのか」そこで魅恩みおん教諭は大きく嘆息し「まぁいい。こっちは立て込んでて忙しいんだ。説教はまた今度にしてやる。行ってよし」


 と、たっぷり説教をぶちかましておきながら、しれっとそんなことを言ってのけ、さっさとどこかへ行ってしまった。

 釈然しゃくぜんとしないものを感じつつも、解放されたことに麒翔きしょうは安堵し、本校舎を出て魔術研究棟の隅にあるボロ小屋へと向かった。


 公主様が来てからは、ボロ小屋へ足を運ぶ頻度ひんどが格段に増えた。桜華おうかと二人だけだった頃は、どちらかが授業で出払っていることが多く、お昼休みを除いて顔を合わせる機会がほとんどなかったため、足しげく通おうとは思わなかった。しかし今は、公主様がその輪に加わったため、誰かしらはボロ小屋にいる時間が多くなった。だから足を向けてみようと思い立つようになったのだ。


 しかしその日は、ボロ小屋に人の姿はなかった。


「今は逆に好都合だな」


 安眠を妨害される心配がない。

 麒翔きしょうは長机に突っ伏すと、ただちに夢の世界へ旅立った。




 ◇◇◇◇◇


 誰かが遠くでしゃべっている。

 夢まどろみの中、麒翔きしょうは女の子たちが話す声を聞いた。

 どうやらそれは公主様と桜華の声のようである。

 彼女たちがいるということはもうお昼だろうか。お腹減ったな。などと夢の中で麒翔きしょうは考える。だがその思考もすぐに切り替わり、別の夢へと誘われる。


「相性のいい異性の体臭って良い匂いがするんだって。知ってたー?」

「た、た、体臭がか?」

「そうだよー。だから好きな子が出来たら、まずその体臭をチェックすると相性がわかるんだってさ」

「ど、どうやってチェックするんだ」

「ん-直に嗅ぐのがベストだろうけど。それが難しい場合は、私物を拝借するとかかな。例えば、タオルとか」

「タオルか……」

「あー、陽ちゃん顔真っ赤! 誰のこと想像したのかなー」

「…………」

「身近にいる人かなー? あ、プルプル震えててかわいー!」

「桜華!」

「ごめんごめん。冗談だよ。怒っちゃだーめ」

「からかうのは止めて貰いたい。授業中にまであんな……恥をかいたではないか」

「やー、脇をつついたらどんな反応するかなーと」

「くすぐったいに決まっているだろう!」

「エッチな声出ちゃったね」

「桜華!」

「わーごめんってー」


 ドタバタと揉み合う音。騒がしい。


「そういえば、陽ちゃんがエッチな声を出した歴史の授業で――ってごめん、わかったから睨まないで。先生が少し触れていたけど、六英傑ろくえいけつってなーに?」


 むすっとした公主様の様子が空気越しに伝わってくる。


「龍人族の上位六名の雄を総称して六英傑ろくえいけつと呼ぶ」

「へーさすが陽ちゃん。ところで、どうやって上から六人選ぶの?」

「六英傑は代々席が決まっていて六英傑に勝った者がその席へ座るんだ」

「要は椅子いす取りゲームってことだね」

「ああ、その認識で間違いない」

「じゃあさ、他種族が六英傑を倒した場合はどうなるの?」

「その場合は空席となり、志願者を募り複数いる場合は決闘で決める。だが志願者はなかなか現れないのが現状だ。実際、十五年前からずっと一席空席のままだった。埋まったのはつい最近だ」

「ほへー」


 桜華が間の抜けた相槌を打った。


「上位六名ってことは、陽ちゃんのお父さんも六英傑なの?」

「ああ、そうだ。一応、六英傑の長ということになっている。もっとも、六英傑に上下関係はなく、対等な存在とされているゆえ、形だけのものだがな」


 ほうほう、と桜華がお気楽に頷いているようだ。


「陽ちゃんのお父さんってどんな人? やっぱり怖い?」

「龍皇ゆえ威厳に満ちてはいる。しかし、群れを大切にする優しい父上だ」

「そういえば、龍皇陛下の本拠地って大都市なんだよね。群れの管理大変そう」

「他種族まで含めれば十万を超えるな。もっとも、管理は母上方がしてるゆえ、父上は基本的に何もしていないがな」

「ええー! それでいいのー?」

「群れの主人たる者、いざという時に備えて英気を養うべし。という格言がある。平時は玉座にふんぞり返っているのが父上の仕事よ」


 麒翔きしょうはまどろみの中で「それってヒモじゃん」と大変不遜ふそんなことを思った。


「ところで新参者の私が、こんな事を言うのは厚かましいとも思うのだが」


 突然、改まった形で公主様が遠慮がちに言った。

 その真剣味を含んだ声色に桜華が軽く応じる。


「なーに?」

「大変申し訳ないのだが、桜華。麒翔きしょう正妃せいひの座を譲ってはもらえまいか」


(は?)


 急速に麒翔きしょうの意識はまどろみから浮上していく。


 正妃とは一番最初に群れへ迎え入れる妻のことを指し、正妃の序列は常に一番高くなる。当然、誰もが欲する位ではあるのだが、そもそもそれ以前に。


「ええ!? 譲るもなにもわたしは……」


 桜華とはそういう仲ではない。


「私は公主だろう? だから正妃待遇でないと嫁げないのだ」

「ああ、そういう……」

「譲って貰えれば絶対に恩は忘れない。桜華の身分は私が保証するゆえ。頼む」


 そこで一気に意識が覚醒、麒翔きしょうは跳ね起きた。

 視界に入ってきたのは、隣に座る桜華へ向き合って、深々と頭を下げる公主様の姿。長く伸ばした黒髪が横に流れて広がっている。場の空気は緊迫しているようだったが、能天気な桜華はいつもの調子を崩さない。


「そこまで頼まれちゃしょうがないなー。オッケー!」

「オッケーじゃねえよ! 勝手に許可を出すな! しかも軽い!」


 寝ぼけまなこをこじ開けて、目が飛び出さんばかりに全力でツッコミを入れた。

 いくらなんでもノリが軽すぎる。正妃という単語に馴染みはないが、まるでお弁当のおかずを交換するみたいなノリで、気軽に譲渡するようなものではないはずだ。などと、麒翔が混乱しながら考えていると、


「そうか。ありがとう桜華。恩に着る」


 完全に無視された。公主様が改めて頭を下げている。「うぉい!」とツッコミを入れて麒翔きしょうは叫ぶ。


「って、話を聞け! そして落ち着け!」

麒翔きしょうこそ少し落ち着いたらどうだ」

「ああ、そうだな。落ち着くために一杯茶を頂いて……じゃなくて! そもそもまずは俺に話すのが筋だろ!」

「そうか、それもそうだな。では麒翔きしょう、そういう訳だから。よろしく頼む」

「流れ作業の事後報告かよ!?」


 群れにおける正妃の称号は、序列第一位・最高責任者という役職を表すのと同時に、妻という意味合いも含まれている。しかるに、人間の感覚で言えばそれは告白、あるいはプロポーズとも受け取れるのだが、公主様の発言はぞんざいすぎた。まるで書類上必要だから判子はんこを下さいと言っているような。


「いーじゃん。減るもんじゃないんだし」


 桜華が能天気に言った。


「だから軽いんだよ! しかも減るだろ普通に。正妃の座は一席しかないんだから」


 いつもの調子で麒翔きしょうが軽口で返すと、それを見た公主様が小首を傾げた。美しい顔が不安にかげっている。


「なんだ不服なのか。私では駄目なのか?」

「不服な訳がないだろ」

「ならば何も問題はないはずだ」


 公主様がほっと笑みを見せた。

 麒翔きしょうはぎゅっと唇を噛み締める。


「分不相応という言葉がある。俺と黒陽おまえは釣り合ってない」

「そうかもしれないが努力はする」


 あくまで麒翔きしょうを崇めようとするその姿勢に泣きたくなった。その美しき黒い瞳の最奥さいおうには、憧憬どうけいの念が灯っている。


「違うそうじゃない。黒陽おまえが駄目なんじゃなくて俺の能力が不足してるんだ」


 例えお互いが望んでいたとしても、決して結ばれることはない。

 龍人社会で暮らす以上、絶望的なまでの身分差がある。


「なにをいう。あなたは誰よりも優秀だ」


 そして、もしも彼女が真実を知ったなら、二度と同じ言葉は出てこないだろう。


 適性属性なしの半龍人。剣術以外は何一つまともに扱うことができない。学園始まって以来の落ちこぼれ。その得意の剣術で挑まれたから、たまたま勝つことができた。他の分野で挑まれていたら手も足も出せずに負けていた。公主様はそこのところをわかっていない。


「総合力では黒陽おまえの方が実力は上だ」

「そんなことはない。あなたは自分の価値を見誤っている」


 しばらく堂々巡りの押し問答が続いた。

 麒翔きしょうは「釣り合わない」の一点張り。公主様は「そんなことはない」の一点張り。話は平行線。口で説明しても納得しそうにない。

 そこで第三者視点。完全に傍観者となっている桜華へ助けを求めた。


桜華おまえからも言ってくれ。本当の話だって」


 しかし中立であるはずの桜華は、困ったように眉を寄せ、らしくない真剣な表情でとんでもないことを言った。


「翔くんの嘘つき」

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