第3話 龍人族の公主様

「興味ないな」


 と、クールに一蹴したはずなのだが。


 なぜか麒翔きしょうは強制的に連行されていた。

 桜華おうかに腕をぐいぐいと引っ張られ、先を急かされる。小さな胸が当たっているのだが本人は気付いているのだろうか。いいや、気付いていまい。


 庭園の遊歩道を自分の意思とは関係なく進みながら、麒翔はため息をつく。


「だいたい公主様こうしゅさまに会ってどうする。上院の生徒は俺たちなんか相手にしないだろ。高貴な公主様なら、なおさらだぞ」


 公主とは皇帝の娘を意味する。

 つまり、貴族の令嬢の上を行く、正真正銘しょうしんしょうめいの高貴な身分ということになる。

 そのような人物が下院の生徒に興味を示すはずがない。

 だが、そんなことは百も承知だと言いたげに桜華が頬を膨らませる。


「遠くから見るだけだよ」

「ミーハーか」

「だって、すっごく美人なんだって。翔くんも興味あるでしょ?」

「ねーよ」


 麒翔きしょうは龍人女子に対して、強い不信感を持っている。


 退学を要求する六人の女教師たちを皮切りに。

 入学式からの短い期間で友達になったつもりでいた女子たちは、麒翔が無能であることを知ると離れていった。


 そして桜華を除く下院の女子生徒は全員、程度の差こそあれ、麒翔のことを見下してきた。陰口を叩くのは当たり前。時には本人に聞こえるぐらい大声で嫌味を言う者もいた。


 一番ひどいケースでは、立ち上がれなくなるぐらい口汚くちきたなく罵られたこともあった。それは思い出したくもない、重石おもしをつけて記憶の底に沈めた心の傷。


 それらの経験は、女子への不信感を芽吹かせるのに十分すぎる土壌となった。


 だからいくら美人だと言われても、自分には関係ないことだとはなから決めてかかる。心を守るために。


「だいたい龍人はほとんど美人で通るだろ」

「ふーん。じゃあ、わたしも美人になるのかな?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、隣を歩く桜華が上目遣いに見上げてきた。


 麒翔きしょうは少し考えた。確かに、桜華の顔立ちは整っている。大きな目に小さな鼻、愛嬌あいきょうのある笑い方をする。それは美人というよりかは、かわいいと表現するのが適切だと思う。妹タイプの守ってあげたくなるような――と、そこまで思考したところで、かぶりを振る。


「美人、ではないな」


 肝心なところを省略したせいで桜華がむくれる。


「もー、失礼だなー。翔くんだって平凡な顔の癖に」

「落ちこぼれの俺にとって平凡はめ言葉だな」

「むー……、何この人。自己評価が低すぎてダメージ受けてくれない」


 そりゃ下院の教師を敵に回した上で、他の学生からは白い目を向けられるような生活を送っていれば、嫌でも神経は図太くなっていく。


 勝ち誇ったように笑っていると、脇腹を小突かれた。痛い。


 下院の庭園は狭い。ものの数分で本校舎に到着した。

 龍人は土足で屋内に入ることを禁忌きんきとしている。そのため、昇降口に設置されている木製のロッカーに履物はきものを放り込み、内履きの草履ぞうりを引っ掛ける。


 校舎は石造りの豪奢な三階建て。廊下には床板が張られている。ピカピカに磨き抜かれた床板は、鏡面きょうめんのように光を反射している。天井は高い。それに合わせて廊下に並ぶ窓も大きく取られている。二階へ上がり、貴族の屋敷のような広々とした廊下を進んで行くと、人だかりが見えてきた。


「すごい人だな。どうなってんだ」

「上院の生徒はカリスマだからねー。ましてや公主様なワケだし」


 人だかりは下院の会議室の前を中心に広がっている。


くだんの公主様とやらは、会議室で教師と会話中ってところか」

「ちょっと翔くん。言葉には気を付けないと」

「おっと。そうだな」


 下院で孤立し、一人でも戦うと決めて以来、傍若無人ぼうじゃくぶじんに振る舞ってきた。そんな麒翔きしょうでも、流石に公主様相手に無礼を働くのは気が引けた。下手をすると首が飛ぶ。冗談ではなくリアルで。


 広い廊下は、がやがやと祭りの縁日えんにちみたいに生徒でごった返している。噂を聞きつけてきた他の生徒たちが、麒翔たちの後ろに並び、押すように圧迫してくる。これでは戻ることができない。退路を断たれ、麒翔は激しく後悔した。


(やっちまった。ま、桜華の頼みは断れないし、仕方ないか)


 桜華には多大な恩がある。この程度で返せるとは思っちゃいないが、彼女の希望はできるだけ叶えてあげたい。


 と、人混みの喧騒けんそうが一層の激しさを増した。前方の会議室の辺りから伝播でんぱするようにざわめきが伝わってくる。そこで会議室の絢爛けんらんに装飾された扉が開かれていることに、遅ればせながら気付く。生徒の大海原に囲まれていて麒翔きしょうからはよく見えない。

 怒声が辺りに響いた。


「下院の生徒如きが公主様の道を阻むな!」


 声の高い明瞭めいりょう一喝いっかつが浮ついていた場の空気を一瞬で凍り付かせた。

 不意に前方から強い圧力がかかる。


「きゃっ」

「っと、大丈夫か」


 押されてバランスを崩した桜華の体をそっと受け止める。

 生徒の大海原は中央で真っ二つに割れて、道の左右に分かれていく。麒翔きしょうもその動きに逆らわないように、桜華の腰を抱いたまま脇へ移動する。


「ありがと」


 桜華がはにかんだ笑みを見せる。その子犬のように無防備な頭を撫でてやり、麒翔は開かれた道の先へ視線を向けた。呼吸が止まりそうになった。


 蠱惑こわくに結ばれた薄桃色の唇が優美に開く。


紅蘭こうらん。口が過ぎるぞ。上に立つ者としての自覚がまだまだ足りないようだな」

「はっ。申し訳ありません。お姉様」

「まあいい。移動するぞ」

「はい」


 豪華な赤と黒で彩られた上院の龍衣をひるがえし、公主様と呼ばれた人物は一歩を踏み出した。その圧倒的な美の存在感に気圧されたのか、人垣がどよめき後退する。


「ま、まじかよ……」


 夜闇より深い黒髪を揺らしながら、その尊き人物はこちらの方へ歩いてくる。麒翔きしょうは驚きに目を見開いたまま、石化したかのように動けない。


 龍衣の袖から白磁のように白く透き通った肌が覗いている。

 頭一つ分小さいその華奢な体は、容易く折れてしまいそうなほど細い。


 すれ違う瞬間、ちらりと公主様と目が合った。心臓が跳ね上がる。

 公主様が去っていく。その後ろ姿にも見覚えがあった。


(間違いない。あれは……)


 ――運命を受け入れろ。

 少女の言葉を思い出す。それは龍王樹の花言葉。


 あの時の言葉があったから、麒翔きしょうは学園に残ることができた。彼女にしてみればただのたわむれだったのかもしれない。けれど、やっぱり恩があることに変わりはなくて。ずっとお礼を言いたかった。

 そして彼女はこうも言って――


「どこかで会ったことはないか?」


 公主様の美しい顔が目の前にあった。すごく近い。明らかに距離感を間違えている。

 一瞬、それが過去の出来事なのか、現在起こっている出来事なのか、記憶がごちゃ混ぜになり、わからなくなる。しかしそれは現実だった。


「龍王樹の下で……」


 極度の緊張を強いられた麒翔きしょうは、辛うじてそれだけを絞り出した。

 まるで昔の気弱な自分に戻ったみたいで情けない。

 公主様の顔に世界を揺るがすほどの美しい微笑が浮かぶ。


「やはりそうか。その目には見覚えがあった」


 麒翔の目には特筆とくひつするような特徴とくちょうはないはずだ。目つきが悪いとか、目がキリッとしているとか、優しそうなとろんとした目をしているとか、そういった類の特徴はない――はずなのだ。だから公主様の意図が理解できずに困惑する。


 そんな事情などお構いなしに公主様はマイペースに笑む。


「ところで、運命には抗えたか?」

「あ、ああ。おかげ様で、今のところは順調だよ」


「そうか」と笑んで、公主様はきびすを返す。そして小声で呟いた。


「また――――」


 聞き取ることができず、問い返そうとした麒翔きしょうの視界を塞ぐように一人の少女が間へ入る。赤と黒の龍衣。上院の生徒だ。気の強そうな真っ直ぐな目がこちらを睨みつけている。


「行くぞ、紅蘭」

「はい。お姉様」


 後ろで一つに縛りまとめた髪を一房ひとふさ揺らし、紅蘭と呼ばれた少女が追従する。

 その後ろ姿を呆然と見送るのは三ヵ月前と同じ。異なるのは、


「おやおやおやー? 公主様に興味ないとかこれいかに!?」


 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる桜華が隣にいること。そして――


「くそ。何であんな出来損ないが公主様と話してんだ」

「あの人、底辺のくせにが高くない?」

「高貴な公主様は下々の事情をご存知ないのよ」

「そうよね。でなきゃあんな落ちこぼれ相手にするはずないもの」


(上院の生徒はカリスマ。公主様なら、なおさらか。なるほどね)


 嫉妬ジェラシーでひりつく場の空気に麒翔きしょうは面倒臭そうに吐息する。


「行くぞ。もう用は済んだろ」

「うん」


 桜華の手を引き、その場から離脱する――つもりが、一人の男子生徒が行く手を遮るように立ち塞がった。顔立ちの整った種族である龍人にしては珍しく、醜く歪んだその顔に麒翔は見覚えがあった。


「ああ、たしか学年三位の……」


 肝心の名前が出てこない。桜華が耳打ちした。


愚呑ぐどん君」

「ああ、そうそう。それそれ」


 それ呼ばわりがプライドに触ったのかカエルのように膨れたその顔に赤みが差す。


「てめえ……相変わらずいい度胸してるじゃねえか」

「それはこっちのセリフだ。毎度毎度、突っかかってきやがって」


 バキリッと拳を握り込み、骨を鳴らす。

 その威圧に愚呑ぐどん生唾なまつばを飲み込み、半歩下がった。

 だが、愚呑は怯みながらも口撃こうげきは緩めなかった。


「だいたいてめえら釣り合ってねえだろ。なんでそんな底辺と一緒にいんだよ。俺の方がずっといい男のはずだろ! なぁ!?」


 桜華は舌を突き出し、あっかんべーをした。


「だって翔くんの方がカッコイイし」


 麒翔きしょうは至って平均的な龍人男子の容姿をしており、特に外見にひいでてはいない。ただ、比較対象がニキビを浮かべたガマガエルのような男となれば、相対的に格好イイとなるだけで。

 若干の哀れみを感じないでもない。学年三位という高ステータスにありながら。力を信奉する龍人族に生まれながら。力を持てどもその容姿ゆえに付きしたがう女子生徒はゼロという不遇。彼がもっと友好的だったら、似たような境遇を持つ者同士きっと仲良くなれたに違いない。


 しかし悲しきかな。彼は何かと麒翔きしょうを馬鹿にし、突っ掛かってくる敵だった。


 納得がいかなかったのか、愚呑ぐどんが桜華の腕を掴もうとした。麒翔きしょうはとっさに間へ入り、桜華をその背に庇う。


「言っとくが、桜華に手出すなら容赦ようしゃしねーぞ」


 桜華を傷つける奴は死刑と決めている。

 彼女にはでかい借りがある。何を差し置いてでも守らなければならない。


「て、てめっ! 学園内が飛び道具禁止だからって調子に乗ってんじゃねえぞ」


 学園の敷地内では専用の施設を除いて、魔術や吐息ブレスの使用が禁止されている。武器の持ち込みも同様に禁止なので、必然的に生徒同士が揉めた時の解決方法は、最も古典的な――素手による決着か、もしくは、模擬刀もぎとうという木製の刀を使った決闘で決められる。


 麒翔きしょうの剣術の腕は下院でぶっちぎりの一番なので後者の方法を愚呑ぐどんは取れない。そうなると前者の素手による喧嘩になる訳だが、麒翔は腕っぷしの方もめっぽう強い。素手の喧嘩で負けたことは一度もない。


「言いたいことはそれだけか」


 首を捻り、バキッと音を鳴らす。

 周囲の生徒達ギャラリーが無責任に両者をあおる。

 底辺相手に逃げ出すのは恥である。追い詰められた愚呑ぐどんは拳を硬く握りしめ、助走をつけて右拳を振りかぶった。拳が唸るように飛んでくる。


 次の瞬間、顔面に拳が突き刺さり、吹き飛んだのは愚呑ぐどんの方だった。

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