第8話 苦い再会


 桂東けいとうにたどり着いた翌日、桂東の長は、私たち月界からの訪問者を歓迎するため、我々を宴に招いた。


 正直旅の疲れが癒えないままで、まだゆっくりしていたいと思ったが、そういうわけにもいかない。


 それに、華やかなことが大好きな紗那しゃなが瞳をキラキラさせて楽しみにしているのだ。


「宴、どんな豪華な催しなんでしょう。楽しみですね」


 消極的な他の二人はそれほど色めきたっていない様子だが、正妻であり、気分の波が少々荒めな紗那の意に沿わないことをすれば、四人の間の空気が大きく歪む。短い共同生活の中でも、段々と調和を保つ秘訣がわかり始めた。


 しかし、宴に参加することを考えると、胸の騒がしいざわめきをどうしても抑えられなかった。


 また彼女に会うことになる。


 族長の息子、呂太朗ろたろうの婚約者である日界の姫。彼女は間違いなく、月界に、あの地下室に、人質として幽閉されていたあの皇女だ。



  ***



 「宴」というものに参加したことのなかった私は、それがどういうものなのか、とんと見当がつかなかった。


 実際にその宴の開かれる場所に体を置いてみると、ただひたすら不思議な感覚がした。

 なんだ? これは。


 部屋の中央はそこだけ床がくり抜かれ、その下で薪が燃えている。そして上から吊るされた鍋の底を煌々と燃やしている。鍋の周りには、見たこともない小さな銀の魚を貫いた長い串がいくつも刺され、炙られている。


 見たこともない食事風景だった。


 そしてその周りを、四人の人物が囲んでいた。呂太朗と婚約者の瑛蘭えいらんそして恐怖を覚えるほど体格のいい厳つい表情の男と、銀色に煌めく髪をした妖精のような女の四人だ。


「おい飛助ひすけ、まだ挨拶も終わってないのに酒を飲もうとするな」

「はああ? 挨拶ってなんの挨拶だよ誰が誰になんて挨拶すんだよさっさと飲ませろ」

「飛助、静かにして。目上の方々の前なのに」

弦深げんしん様、お妃様方、騒がしくて申し訳ありません。さあどうぞ、こちらの座布団にお座りください」


 座布団とは何なのだ?

 疑問に思いながら呂太朗に指し示された場所を見ると、若草色の四角い小さな布団が四つ転がっている。よく見ると、呂太朗たち四人も同じものの上に座り込んでいた。


 床に座って食事をするのか。


 膳もない、給仕の姿もない。侍女も従者も、私たちの他には誰の姿もない。本当にここでこうして食事をするのか? これが、宴……。


 妃たちの表情を見ると、特に紗那がはっきりと戸惑いの表情を浮かべているのが見えた。きっと彼女が想像していたものとは違う光景だったのだろう。だが、ここで引き返すわけにもいかない。


 私は言われた通り、座布団の上に座った。


「さあ、お前たちも座りなさい」


 立ったままの三人に、私は言った。すると三人は、それぞれに不服の表情を浮かべながらも、黙って座った。


 私は静かに、瑛蘭の方へ視線をやった。


 瑛蘭は騒がしい周りの地界人三人とは違い、憂鬱そうな表情を浮かべて俯いている。


「では、始めましょう。弦深様の桂東来訪を祝して、本日はささやかではありますが、このような場を設けさせていただきました。父は、同年代である我々が仲良くなれるようにと、宴の提案をしました。確かに、こうして同じ屋敷に集まったのも何かの縁。酒を酌み交わし語らい合い、ぜひ交流を深めましょう!」


 呂太朗がにこやかに言った。


「おいこら。挨拶ってそんなくだらねえ戯言のことかよてめえ。そんなことのために俺は酒を我慢してたのか! 頭にくるやつだぜほんとに」

「お願いやめて、飛助」


 この飛助とかいう男は一体何なのだろう? 呂太朗の親族なのだろうか。それにしても呂太朗は世継ぎで、桂東で首長の次に位が高いのだから、もう少し敬われてもいいのではないかと思うが。そしてその隣で彼を宥めている銀髪の女は誰なのだ? とても呂太朗の親類には見えない。というより地界の生物に見えない。


 いや違う、そんなことよりも。


 瑛蘭。


 なぜこんなに寂しそうな表情なのだ? 他の三人がこんなにも和気藹々としているところで。


 そんな顔をされると、どうしていいかわからなくなる。彼女が幸せそうな顔をしてくれていれば何も思わない。大昔の初恋だ。今彼女の傍に、彼女を幸せにしてくれる伴侶がいるのなら、彼女を祝福しただその幸せが続くことを祈るだけだ。


 でも……。そんなに辛そうな表情を見てしまったら居ても立っても居られない気持ちになる。


 先日ここに到着した時、私に向けられた瑛蘭の笑顔。変わっていなかった。あの頃と何一つ。ずっと夢に見続けた、あの少女の笑顔だ。やっと再び巡り会えたのに、彼女はもう他の男と結ばれてしまっていた。そして彼女の表情からして、この結婚はおそらく、彼女の望んだものではなさそうだ。


 まあ私だって結婚しているわけだから、元々再会したからと何か変わる話ではないのだが。


「さあ、鮎がいい頃合いに焼けましたよ。召し上がってください。弦深様」


 呂太朗が隣から、唐突に魚の刺さった串を差し出した。満面の笑みを浮かべている。私はためらいながらもそれを受け取り、礼を言った。そして、鮎という見たこともない小さな魚の腹に噛み付いてみる。


 ん? 何だ、これは。この味は……。


「おい、鍋の方は? もう食えんのか?」

「飛助が先に食べてみてちょうだいよ」

「毒味要員じゃねんだよ俺はふざけんなよなひとえてめえ」


 瑛蘭を除く地界の三人組はかなり仲がいいらしい。幼い頃から一緒に育ったのだろうか。

「御三方は、どういうご関係なのだろう? ご友人? 親戚?」


 気になって仕方がなかったので、私は訊いてみた。


「生まれた頃から、ずっと一緒に育ってきました。飛助と俺は三歳から仙術を一緒に学んできた仲間ですし、こっちのひとえも、医者の一族の娘なので、怪我をした時なんかは俺の一族も世話になりっぱなしでさらに父親同士がすごく仲の良い友人同士なもんで、いつも一緒にいました」

「身分の隔たりも、全くないように感じられる。呂太朗殿は首長の後継のはずですが、それでよろしいのですか? 秩序が乱れるのでは?」


 私の言葉で、一瞬その場が凍りついたのを感じた。飛助が低い唸り声を上げた。


「随分とまあ差別主義的なご発言をなさるんですなあ、王太子様よお」

「飛助、黙ってろ。ほんとに。……弦深様のおっしゃることはごもっともです。なんか異様な関係性ですよね、きっと。弦深様からしたら。秩序や上下関係は、大切なものだと思う。でもそれ以上に、俺には仲間が必要なんです。こうやって気楽に語らえる、飾らない関係の仲間が。だから、これまでもこれからも、誰に何を言われようと、俺たちはこのままです。ま、腹の立つことも多いですけどね」

「仲間」


 私は、円形に並んで、膳も使わず食事をする一同の顔を順番に眺めた。

 これが、仲間というものなのか。何だか不思議な感覚がした。心の奥で、長い年月をかけて大きくなっていった硬い黒い塊が、一つ一つ解きほぐされていくような。


「すみませんが、一つ質問がありますわ」


 口を開いたのは、瑛蘭だった。声までそのままだ。私はまたしても驚きを隠せない。


「月界の王室は女系一族だと聞いておりますが、なぜ王子の弦深様が後継に? 確か、お姉様がいらっしゃったはずでは?」


 素朴な疑問を投げかける少女のようだった。呂太朗が説明していないのだろう。地界三人組と妃たちが、少し複雑そうな表情を浮かべた。


「姉の宇衣は、先日亡くなりました。それで私が王太子に」


 すると瑛蘭は慌てて私から視線を逸らした。

「そうでしたか、何も存じ上げず……失礼しました」


 ますます居心地が悪くなってしまったようだ。さらに表情が暗くなる。

 何とかせねば、という気持ちになった。他の誰かではなく、自分が何とかしなくてはと。


「ところで瑛蘭様、日界というのは、どんなところなのです?」

「えっ?」

「私はずっと月界から出ずに過ごしてきました故、今回地界にやってきて、驚くことばかりでした。風景も何もかも、全く故郷と違う。それで、日界というのはどういうところだろうか、と興味を持った次第です」


 瑛蘭はきょとんと私を見つめた。


「私たち月界の人間は、日界を訪れることができません。常夜の世界で生きる私たちには、日界の日差しが強すぎるためです。日界の方にお会いできる機会も限られているので、ぜひ今聞いておきたい、聞いておかなければと思って」

「えっ、そうなのですね」


 あまりものを知らないところも変わっていない。思わず笑みが溢れた。


「うーん、花が綺麗なところですわ。種類も多くて、月界にはない植物がたくさんあります。人も明るくて、優しくて。朱絃都の宮殿は、やや派手すぎると感じる人もいるでしょうけど、あの眩いばかりの煌めきが、私は好きでした」


「瑛蘭様は、月界にいらしたことがあるのですか?」


 口を挟んだのは紗那だった。何か怪しんでいるのか、眉と口元が歪に曲がっている。

 でも確かにそうだ。記憶を消されているはずなのに、なぜそんな発言を?


「あら? おかしいですわ。月界に行ったことはないはずなのに。どなたかからお話を聞いたのかもしれません……」


 混乱しているようだ。これ以上このことを考えさせてはいけない。


「瑛蘭様は、故郷を本当に愛しておられるのですね。民にも、ご家族にも、大切にされてこられた証でしょう」


 私が言うと、青白かった瑛蘭の頬に、パッと赤みが差した。


「はい。皆、本当に大事にしてくれていました」

「まあそりゃそうだろ。だって姫さんは、朱月姫なんだからな。大事な大事な三美神の一人なんだから、大事にされて当然だ。世間知らずでわがままなのも、そうやって甘やかされてきたからなんだろどうせ」


 飛助の嫌味のせいで、せっかく明るくなった瑛蘭の表情が一瞬で曇った。

 全くこの男、どこまで無神経なのだ。


「三美神であろうとなかろうと、瑛蘭様の明るさと優しさが、周りの人を元気づけてくれるから、きっと民もご家族も瑛蘭様のことが好きなのでございましょう。私も、日界の人々の気持ちがよくわかります」


 私が言うと、瑛蘭の目が少し潤んだ気がした。元気づけようと思ったが、悲しくさせるようなことを言ってしまっただろうか。


 宴が終わり、居所へ帰っていく時、紗那が私のそばに寄ってきて聞いた。


「弦深様。なぜあの日界の姫君に、それほどご興味がおありなのですか?」


 思わずぎくり、と震えたが、私は平静を装った。


「興味がある? その場に居合わせたから語らっただけだ。深い意味などない」

「いいえ。弦深様は、ずっとあの姫君のことばかり見ておられました。あれは深い意味などない視線ではありませぬ」


 本当に、いやに鋭い娘だ。ため息をつきたくなるのをこらえ、私は白状した。


「何となく、初恋の人に似ているから見てしまっただけだ。瑛蘭様も婚約されているのだから、何が起きるでもない。案ずるな」



  ***



 「弦深様。月界より、文が届いております」


 部屋に着くと、従者に書状を手渡された。点久てんきゅうだ。

 地界までついてくると言って聞かない点久を、私は無理やり置いてきた。調べてもらいたいことがあるから残ってくれと。


 月界の動向が心配だったことももちろんあるが、将軍の息子であり、これからが彼の将来を定める大事な時期だという状況なのに、地界に連れてくるわけにはいかなかった。


 点久の文を読んで、私は深いため息をついた。やはり。

 女王は血眼で夜叉姫やしゃひめを探している。


 三美神は、その名の通り三人いる。一人が朱月姫で、日界の女性だ。大抵は皇室の娘であることが多い。今の世では瑛蘭が朱月姫だ。もう一人は地界に生まれる神仙姫しんせんひめ。今誰なのかはよくわからない。


 そして最後の一人が、月界に生まれる夜叉姫。夜叉姫も王族である場合が多く、姉の宇衣がそうだった。姉の首には生まれつき夜、の紫の文字が浮かんでいた。


 しかし姉はもういない。となれば、必ず次の夜叉姫が、月界に生まれるはずだ。次が生まれるまでにそう長い時間はかからない。早ければもう生まれていて、遅くとも三月以内には生まれるだろう。


 女王はどんな手を使っても探し出すはずだ。


 女王にとって、三美神は邪魔な存在だった。女王の目的は昔からただ一つ。月界、日界、地界の三つの世界を自分の手中に収めることだ。そのために長い戦争を繰り広げてきたし、また戦争を起こす機会を伺っている。


 三美神は、世が戦火に包まれた時、天界に三人で集結し祈りを捧げることで世に永遠の安寧をもたらすと言われている。天界など、我々のような普通の生き物が容易く行ける場所ではないし、半分伝説のように扱われている話だが。

 しかし女王はこの伝説を異様に恐れている。自分の娘なら意のままに操れるからいつでも妨害できるが、そうでなければ、もし三人で集まって祈祷されてしまえば、自分の計画は頓挫すると考えているのだ。


 日界も地界も掌握したい女王にとって世に平安がもたらされることは、この上ないほど都合が悪い。


 次の夜叉姫は、女王に見つかり次第必ず殺される。それは何としても防がなければ。


 しかし、姉の死からそれなりの時間が経つのに生まれないとは奇妙な話だ。女王は毎日、月界に生まれた子供を宮殿に連れてこさせ、首元を調べているという。それでも見つからないということは、きっと本当に生まれていないのだろう。


 窓の外に目をやり考え込みながら文を机に置いた時、部屋の扉のほうで突然、ここにいるはずのない男の声がした。


「誰からの文でしょうか」


 振り向くと扉の近くには呂太朗がいた。


「呂太朗殿? 何故こんな時間にこちらへ?」

「無礼をお許しください。でも、お忘れですか? あなたは人質であり、我々の調査対象でもあります。不審な動きをされると、確認せざるを得ないんですよねえ」


 呂太朗は宴の時と全く同じ親しみやすい笑顔をしていたが、口調は全く穏やかではない。


「状況からして、月界の人間が疑われるのはわかるが、私はつい最近まで幽閉されていた身だ。私が誰かを使い、地界で日界の皇后を殺すなど、到底不可能な話。おかしな憶測はやめていただきたい」


 苛立ちから、思わずぞんざいな話し方になってしまった。


「うんうん。もちろん、幽閉されていたことは知ってます。でも、幽閉されていたからこそ、月界のほとんどの人が持っていない、ある能力をお持ちなのでは?」


 背筋がぞわり、と震えた。まさかこの男。

 気づいているのか?


 呂太朗が素早い動きで両手を広げ、すぐに前に突き出し私の方にその両手をかざした。鋭い閃光が私に放たれる。反射的に私は抗戦した。


 仙術で。


 両手を前に突き出してかざすと、その両手から激しく細かい水飛沫が上がった。閃光は私の目の前で進路を変え、床に落ちた。


「初めて見た時に気づいてた。あなたは仙力を持ってるって。それも途轍もなく強力な、水性の仙力だ。私の父が停戦時、月界で戦士の仙力を封じた時、戦士でもなく地下深くに幽閉されていたあなたには、その術が届かなかった。そしてあなたは何らかの方法で、幽閉中に仙術を身につけた。そうですね?」


 私は黙って呂太朗の目を見ていた。しかし見られてしまってはもう、言い逃れできまい。しばらくののち、観念して目を閉じ、答えた。


「その通りだ」



 

 


 

 

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