第4話 冊封、そして祝言


 母親に幽閉されて生きてきた私にとって、家族の中で唯一家族としての絆を感じることができたのが、姉の宇衣ういだった。


 姉は月に二度ほど、私に会いに来てくれた。姉はうまい菓子を持ってきてくれたり、面白い書物を持ってきてくれたり、最近の王宮の様子を話してくれたりした。


 姉は、顔は母に瓜二つだったが、内面は全く母に似ていなかった。優しかった。


弦深げんしんは賢いなあ。私の自慢の弟だよ」


 優しい笑みを浮かべてそう言ってくれた姉。

 そんな私の唯一の家族は、もういない。



 ***



 宮殿内で王子として生活するようになって七日が過ぎた。


 姉の死の真相はまだ解明されていない。姉の胸を刺し貫いた剣は姉の寝室に飾られている、代々王太女が受け継ぐ家宝の剣だった。姉の侍女を始め護衛まで、姉の住まいに出入りしていた人間は全員が厳しい取り調べを受けたが、何一つわからなかったという。


 調査が終わるまで葬儀を執り行うことができないので、姉の遺体はいつまでも寝室に安置されていた。一度だけこの目で確認しようと訪れたが、生前と何も変わらない美しい顔をしたその遺体はまるで眠っているようで、姉の死に対する実感はますます遠のいた。


 その一方で、私の冊封式の準備は着々と進んでいた。


 私は女王の家臣たち全員の前でこれから王太子となる息子として紹介された。


 家臣たちの反応は様々だった。

 女王に息子がいたという事実に驚きを隠せない者、私の存在に薄々気づいてはいたがまさか私が次期王の座に着くとは予想していなかった、とでも言いたげな顔をした者、早速私の機嫌を取ろうとする者、なんの反応もしない者。


 ずっと地下室で暮らしてきた私は、それほど多種多様なたくさんの顔を一度に見たのは初めてだった。


 しかし、そんなことくらいで圧倒されている場合ではなかった。


 臣下たちとの対面のあと、女王は私を奏秋宮そうしゅうぐうと呼ばれる場所へ連れていった。


「ここは後宮である。後宮が何を意味するかはわかるな?」


 歩きながら、女王はぞっとするほど冷淡な声で訊いた。もちろんそのくらいは、影の世界で生きてきた私にもわかる。でも答えなかった。


 女王は複数の建物からなる奏秋宮の中央に位置する建物に入っていった。そこには玉座があり、女王はまっすぐにそこへ歩いて行き、座った。


「ここは代々、女王の座る場所であった。女王たちは、後宮に侍る男たちと二月に一度ほど宴会を開き、政や戦いの疲れを癒してきたのだ」


 女王は玉座からまっすぐ私を見、口元にうっすらと笑みを浮かべて言った。


「男がここに座るのは、数百年ぶりのことじゃな」


 そう呟いた女王の表情から、不気味な微笑が消えた。


「入って参れ」


 女王が言うと、私の背後で扉が開く音がした。振り向くと、そこから三人の若い娘が入ってきた。一番肌艶がよく、瞳の輝きの強い娘が前に立ち、その後ろに気弱そうな少し怯えた様子の娘と、なんの感情も持っていなそうな娘が並んで立ち止まった。


「私が選んだそなたの妻じゃ。正室の紗那しゃなは右大臣の長女。賢い娘じゃ、そなたをしっかりと支えてくれよう。そして後ろの二人は側室じゃ。須和すわ舞鶴まつる。側室は変えたくなったらいつでも申せ。私が探してやろう。勝手に探しに行くのはやめてもらいたいがな」

 

「弦深様、誠心誠意お仕えさせていただきます」


 紗那と紹介された娘が、よく通る芯の強い声でそう言い、彼女のお辞儀に合わせて後ろの二人も頭を下げた。


 つまり、そういうことだ。


 姉が突然いなくなって、女王も今はひとまず私を次期王の席に座らせるしか方法がないが、早々に私に娘を作らせ、その娘を王太女に据える計画なのだ。


 だからと言って、冊封と同時に婚姻とは。しかもいきなり三人と。あまりの目まぐるしさに卒倒しそうだ。


 だが、瞳を煌めかせたり、不安そうに俯いたり、精魂尽きたような表情で直立したりしている彼女らを見ると、いつまでも黙っているわけにはいかなかった。


「頼りない伴侶ですまぬが、よろしく頼む」


 微笑すら浮かべられなかったが、私はそう言って彼女たちを見つめた。



 ***



 数日後、私の冊封式と祝言が執り行われた。


 冊封式は政を行う大殿おおでん前の広い石畳の上で行われた。

私は何やら大袈裟な装束を着せられ、家臣たちの列に見守られ、世継ぎとして冊封された。


「宇衣様の冊封式と比べて、あからさまに質素なのがやるせない」


 と点久てんきゅうが悔しがったが、姉の冊封はおろか宮殿で行われるいかなる行事も見たことのない私は何の感情も湧いてこなかった。


 正室紗那との祝言は冊封式があった日の夜、やはり身内のみでひっそりと行われた。


 紗那はその途中、終始大きな輝く瞳で私を見つめ、笑いかけていたが、私は微笑すら返してやることができなかった。


 女王にとっては、ひとまず彼女の子どもである私が王太子になったという事実、紗那が私の妻になったという事実さえあればなんでもいいのだ。


 紗那との初夜の前、準備をしながら美兎みとは言った。


「何だか、これまでの処遇が嘘のような華やかな1日でしたね」


 その表情は明るかった。


「嬉しいのか?」

「もちろん嬉しいですよ。存在を隠されて生きてこられた弦深様が、ようやく陛下のご子息として正当な待遇を受けられるのですから」


 しかし心躍らせる美兎を見つめても、私も同じように笑うことはできなかった。


 確かに人間らしい生活を送ることはできるかもしれない。地下から出て、地上に自分の屋敷も与えられ、たくさんの人と関わりながら生きていける。でも。


 何かが違う。望んでいた暮らしとは。


 私の望みとは、なんだ?


「弦深様。さあ、お着替えを」


 美兎が装束を持ってきた時、部屋の外の廊下を無数の足音が走ってくるのが聞こえた。


「弦深様。急ぎお伝えしたいことがございます」


 男の声がした。


「なんだ」


 応答すると、すぐに乱暴に扉が開かれ、数人の護衛官が無断で部屋に入ってきた。


「どうしたのだ、いきなり」

「弦深様、宇衣様殺害事件の犯人が判明いたしましたので、捕縛に参りました」

「なに、どういう意味だ」


 私が状況を飲み込めずにいると、男たちは瞬く間に美兎を取り囲んだ。


「そなたを、宇衣様殺害の罪で冥界送りとする」


 何だと?


 私と同じく、美兎も何が何だかわからず困惑の表情を浮かべていた。男に腕を掴まれたとき、彼女の不安そうな目が助けを求めるようにこちらを見た。


 私は力の限り叫んだ。


「待て! やめろ! 美兎がそんなことをするはずがない!」


 しかし私の声に耳を傾けるものなどいない。美兎はあっという間に連れ去られてしまった。



 ***



 私はすぐに女王の元へ向かった。


「陛下はすでにお休みになっております。明朝改めてご参上くださいませ」

 小声で私を制する侍女を押し退け、女王の居室に入り込んだ。


「母上。どういうことでございましょう」


 私が怒りに震える声で問いかけると、寝台に横になっていた女王は不機嫌そうに細い眉を歪め、逆に問うてきた。


「そなたこそ、夜伽はどうした。花嫁をそのまま一人放置してこんなところまでやってくるとは。どういうつもりじゃ」

「質問にお答えを! 美兎が……私の侍女が、姉上殺害の濡れ衣を着せられ連行されてゆきました。彼女は無実です!」

「証拠はあるのか?」

「証拠なら……」


 言いかけて、私は口をつぐんだ。証拠として差し出せるものは何もない。女王は言った。


「殺害に使われた剣の柄に、浮花茶うきはなちゃの茶葉がついておった。長い地下での生活で筋力が衰えているお前のために、あの侍女は毎晩浮花茶を用意しておったな」


 すぐに反論できなかった。確かに美兎は、毎晩私のために浮花茶を持ってきてくれていた。珍しい茶であり、味も良くないためそんなものを毎晩飲むのは私くらいなものだろう。


「しかも、事件の晩、あの侍女が宇衣の居所に入り込むところを数人が目撃しておる」


 そんな。


 美兎はいつも、侍女たちの宿舎で眠っている。だから夜の行動については、私も把握しきれていない。


「でも……でも美兎は、そんな……」

「ずっと世間から離れ地下暮らしをしていたお前に、人間の何がわかる? あの娘が潔白だと、純粋無垢な少女だと、どうして言い切れる? お前には何もわからんじゃろう。人間を知らぬから、なんでも無条件に信じ込むのだ。人並みの経験を積んできていないお前の言い分など、誰も信用せぬ。こちらは何日もかけて調査をした末に、あの娘が犯人だと判断したのだ。つまらぬ戯言を申すな」


 目の前が真っ暗になった。


「ですが……母上」


 私が消え入りそうな声で呼びかけると、女王は息子に向ける眼差しとは思えない、突き刺さるほど冷たい視線を私に向けた。


「私を母などと呼ぶでない。この愚か者めが……」

 

 


 

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