第2話 入寮

 今からおよそ十三年前。


 俺はこの世界、ゲーム【八人の魔術師】の世界で鍛冶師の息子、モブキャラのルカ・リヒトベルグに転生した。


【八人の魔術師】は、主人公である田舎貴族が学院で魔術を学びながら成長していくファンタジーRPGだ。プレイヤーの選択次第で様々な運命を辿るマルチエンディングが好評を得た。


 そんなゲームの世界に転生したと知った、生後一か月の俺は「魔術学院に入学してメインヒロインとか会ってみたいな」と思った。随分とまあ気色の悪い赤ん坊である。


 しかし、その一分後に俺は思った。


「俺の両親、魔術適性あったっけ?」


 魔術適性。大気中に存在するマナを身体に取り組み、自身の魔力に変換する機能を魔術適性という。そしてこれは両親の持つ魔術適性がほぼそのまま遺伝する。


 そして、俺はすぐに知る。俺の両親はどちらも魔術適性を持たない。


 現実を知り、赤ん坊の俺は泣いた。けれどその思いは両親には届かず、俺の前には母乳が差し出された。再び俺は母乳を飲みながら泣いた。ちくしょう。

 

 それから今日に至るまでのおよそ十三年間。俺は諦めずにとにかく動いた。


 俺にあるのは前世で得たこの世界の知識のみ。俺はそれを活かして、食べた者の身体を魔術適性のある身体に造りかえる”賢者の果実”と自称かわいい精霊付きの”聖剣ラヴェール”を入手した。


 その後、魔術の特訓をする中で貴族の娘と友達になったり、町の魔術師に弟子入りしたり、学院入学の資金稼ぎに賞金首を捕まえたりしたのだが、その話はまたいつかするとしよう。


 ――――――


 入学試験から二週間後。俺は生まれ育ったルーダムの町に別れを告げ、グレイザー魔術学院のある”マーサリア”へ来ていた。


  幌馬車ほろばしゃが停止した瞬間、俺の全身に疲労が押し寄せた。


 およそ一日かけた長い旅路。道中でたびたび休憩は取ったものの、荷台の床から伝わる振動が、俺の体を疲労させていた。


 硬い地面に足を踏み入れると、風が優しく吹き、空に太陽が輝いていた。俺は深呼吸をし、疲れた体をほぐすように伸ばす。


 俺はここまで乗せてくれた行商人に金銭を支払い別れを告げると、左腰のラヴェールの鞘をこんこん、と叩く。


「おはようベル。ちょうど着いたところだ」


「おはようございます。あれ、疲れています?」


「ああ、流石にね。少し休みたいし、まずは寮に行こう」


 そう告げて、俺は鞄にしまった寮の地図を取り出す。


 マーサリアは大きく四つの区域に分類することができる。

 

 それぞれを簡潔に呼称するなら、南区は平民居住区、西区は港町、北区は貴族街、そして東区は学園都市だ。そう考えると俺の寮は当然東区にありそうだが、寮は南区にあるようだ。


 マーサリアの南区を歩いてみると、カフェでにぎやかに会話を楽しんでいる地元の人が目に入った。その隣にはパン屋があり、店先に並んだ焼きたてのバゲットからは、食欲をそそる誘惑的な匂いを放っていた。


「腹減ったなぁ」


 人の行き交う大通りでお腹を鳴らす。そういえば十時間程何も食べていない。


「買えばいいじゃないですか。そんなにお腹の音を鳴らしてたら恥ずかしいですよ」


「……だな。必要経費だよな」


 現在の俺の悩みは金欠なことだ。学院に支払わなければならない五百万ウィーラを除けば、俺が自由に使える金額はおよそ三十万ウィーラ。そこから日々の食費やら何やらで様々な物を購入しなければならないのだから、お金に余裕はない。ちなみにウィーラの価値は公式設定で日本円と全く同じ価値だったりする。


 俺は目の前のパン屋でバゲットを一本購入し、店員にいくつかにスライスしてもらった。


 早速一切れをかじってみる。小麦の豊かな香りとやさしい甘みが口に広がり、とても美味しい。パンの外側は硬く、よく噛むことで満腹中枢が刺激されるため、空腹をごまかしたい俺にはかえって都合がいい。


 左手にパンを、右手に地図を。入り組んだ道を進んで乗り越えた俺は、寮のあるはずの通りに立つ。


「これ、なのか……?」


「え、こんなところに住むんですか?」


 そこに所在するのは、築五十年は優に超えるだろう木造二階建ての建物だった。庭は五十センチ近い高さの雑草で覆われており、とても人が住んでいる場所とは思えなかった。


 意を決してウォード錠のついた木製の扉を引いてみると、扉の鍵は閉まっておらず、少し建付けが悪いが簡単に開いた。


「し、失礼しまーす」

 

 ドアから頭をのぞかせると、中は思ったよりも綺麗だった。十分に窓から光源を取り入れており、定期的に清掃されているのだろうが、床に敷かれたカーペットも綺麗で、埃の匂いは一切しなかった。


 玄関扉の左手には宿の受付ロビーのようなカウンターがあり、右手には長テーブルと沢山の椅子、その他よくわからない物が散らかっている。……談話スペースか?


 目の前には大きな階段。その両脇は通路になっており、まだ部屋があるみたいだ。きっと一階が共同スペースで二階が個人の部屋になっているのだろう。


 そんな予測をしながら階段を上がる。ギシギシと軋む階段を登り終えると、二階はコの字の廊下になっており、等間隔で扉が並んでいた。


 廊下を歩き、自身に割り当てられた部屋を探す。扉には金属プレートが取り付けられており、それぞれ番号が振られている。

 

「あった、八号室」

 

 部屋の中は十字のガラス窓が一つ、白いカーテンを揺らしながら陽射しが差し込んでいる。部屋の左には木製のテーブルとイス。右には壁に密着したベッド、その近くにワードローブが備えられている。唯一の不満は家具や床の木が少しささくれ立っていることだが、十分許容範囲だった。


 俺は持ってきた荷物を整理しようとワードローブの両開き扉を開く。すると、中にはすでに衣類が入っていた。


「これは……制服か?」


 一瞬、俺に用意されたものなのかと思ったが、これは女生徒の制服だ。先ほど部屋の番号も確認したけど間違っていなかったし、前の住人の忘れ物ってことか?


 白いブレザーは金の縁とボタンが付いており、まるで軍服のようだった。それとは対称的に、スカートは前世でよく見たものと変わらなかった。


「ふっふっふ、ルカさん。下の収納気になりません?」


 ベルに言われるまま、下に備えられた収納を引く。


「え、ちょ、は!?」


 そこにあったのは女性の下着だった。畳まれた下着が端から端までびっしりと詰まっており、背徳的な興奮と少しの罪悪感を覚えた。


 ベルのやつ分かっていたのか!? というかなんで分かるんだよ。


 俺が戸惑っていると、ベルは満足げに話す。


「実は透視とか出来るんですよ。んで、ちょっとイタズラを!」


 そんなこと出来るのかよ。こんなことで知りたくなかった。


「まあいいや、どうしようかな、コレ」


 目の前にある女生徒の制服と大量の下着。下着に興奮する人間、下着泥棒などにとっては宝の山なのかもしれないが、こうも大量にあると困惑でしかない。……ん? 下着泥棒?


 そこで一つの考えが浮かぶ。


「もしかして俺、本当に部屋間違えてる……?」


 もしそうだとしたら、今の俺は女生徒の部屋に侵入して下着を漁っている変態、下着泥棒なのでは? このままではまずい。もし誰かに見つかったら、俺は変態として生きていくことになる。


「そんなこと無いと思いますけどねー、さっき一緒に二階の部屋の番号一緒に確認したじゃないですか」


「え、じゃあこれ――」


 俺がふと後ろを振り向くと、ドアが開いており、少女が立っていた。彼女の姿を見た瞬間、俺の体が硬直した。


 まさに美少女だった。白のブラウスとブラウンのスカートに身を包み、髪は黒くて肩よりも長い。身長は百五十センチ弱だろうか。風貌は清楚で、本を読んだら似合うだろうな、と思った。


 そう容姿を分析できるほど、目が合った一瞬が永遠に感じた。


 さて、なんて説明すればいいだろう。どうすれば誤解を与えずに済むだろう。


「俺、下着どろ――」


「ご、ごめんなさい!」


 俺が何か弁明しようと口を開くと、彼女は突然謝罪をした。


「えっと、今日から入寮の子だよね。入寮日が今日ってこと、すっかり忘れてて。ここずっと空き部屋だったから、第二の自室にしちゃってて……」


 俺は彼女の説明である程度理解した。まあ、そういうこともあるのかな。でもよりによって、なんで制服と下着なんだろう。そういうのは自室に置いた方がいいんじゃないの? ここ、鍵閉まってなかったし。


「え、あ、はい。そうなんですね」


「自己紹介が遅れました。私は二年のソフィア・フォンテーヌです。隣の七号室の住人です。よろしくお願いします」


「ルカ・リヒトベルグです。ルーダムって町出身です。よろしくお願いします」


 互いに簡潔な自己紹介をする。


 ちょっと待ってください、と先輩は言い、廊下に姿を消す。


 隣から扉が開く音が聞こえ、その数秒後に再びが姿を現した。戻ってきた先輩の両手には大きな鞄が握られており、素早くワードローブの中身を鞄に移した。


「きょ、今日のことは忘れてくれると助かります。あ、これ八号室の鍵です。では、失礼しました……」


 そそくさと部屋を去る彼女の横顔は赤らんでいた。


「どんな人が住んでるんだろうって思ったけど、いい人そうで良かった。ベルはどう思う?」


「え!? 人は見かけによらないと言うんでしょうか。見えるものだけが真実じゃないですね……」


 ベルがなぜか動揺している。


「そうかな、結構見た目通りの性格だったと思うけど」


 その直後、ベルの呟いた「あんな透けた――」という声は最後まで聞き取れなかった。



 

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