第17話 バター醤油は罪である。

「なぁ一之宮さんや」

「なんですか山田さん?」

「ここはどこ?」

「わかりません」


 にっこり笑顔でそう告げてきた一之宮。

 幾度となく乗り継いできさらぎ駅に行くこともなく俺らは今、海の見える街に来ていた。


「海の香りがしますね」

「そうだな」


 春の香りというよりは海。

 ただこころなしか肌寒い。


「一之宮は、ここに来たかった、のか?」

「どうでしょうね。よくわかりません。でも、海が見えたので」

「それは素敵な理由でございますねお嬢様」

「九重の真似してますよね?」

「いやべつに?」


 そう言ってふたりで笑って、何となく街を歩く。

 実質無一文の俺にはどうしようもないから、せいぜい頑張って一之宮の身の安全を守ろう。

 九重さんも居ないし、その辺は若干心配だ。


「山田さん、お腹空きません? なにか食べましょう」

「そうだな。電車に揺られて3時間以上だったし。と言っても俺には金が無いけどな」

「大丈夫です。私が出します」

「ゴチになりますっ」


 知らない街をふたりでゆったり歩きながら店を探す。

 ネットには載っていない個人の店も多く、店を探すには歩いて見回るしかない。

 けれど一之宮はその探す手間すら楽しそうにしている。


「海鮮お好み焼き屋さんとかどうですか?」

「一之宮ってB級グルメとか好きなのか?」

「普段こういう所には来ませんし、興味が9割ですね」

「じゃあ興味本位で行きますか。どこまでもお供しますぜお嬢様」

「山田さんの情緒が心配だぜぃ」

「うわぁ〜すげー似合わないなそれ」

「山田さんがふざけるからついちょっとノッてみただけですっ」


 外国人さんがエセ関西弁言ってみたみたいな感じ。

 個人的には可愛かったのでこれはこれであり。


 お互いにふざけつつも海鮮お好み焼き屋に入ってみた。

 店内は普通に個人でやってますって感じの店だった。

 鉄板カウンター席と鉄板テーブル席の2パターンだが、空いている時間帯だからか店内は静かだ。


「ぃらっしゃい。2名様でよかったかい?」


 奥から出てきたのは還暦を過ぎたぐらいのおばあちゃんだった。

 シワの寄り方がどこか優しくて、安心感を覚えた。


「はい。2名で」

「どっちも若いねぇ。お好み焼きは自分で焼けそうかい?」

「いえ。お好み焼きは作った事がなくて。山田さんもないですよね?」

「ないな。うん」

「んじゃあたしが作った方がええかい?」

「お願いしてもいいですか?」

「ああ。んじゃカウンター席においで」

「はい」


 お好み焼き屋に来たのは初めてなので、この店の提供システムが一般的なのかはよくわからない。

 けれど、いかにも熟練してそうなおばあちゃんなのでこの人に任せておけば間違いなさそうなのは確かである。


 それにお金を出すのは一之宮なので、一之宮の判断に任せる他ない。

 お好み焼きを焼けるなら一之宮の為にもせめてやって然るべきだが、生憎とそんなスキルは持ち合わせていない。


「にしてもお客さんたちはここいらで見ない顔だね。卒業旅行かい?」

「まだ2年ですけど、そんな感じですね」

「ん? 一之宮。これって旅行なのか? 泊まるとか聞いてないぞ?」

「そこは決めてませんし」

「そうなのか?」

「なんだい、お客さんたちはカップルじゃないのかい?」

「ではないですね」

「付き合ってはないですね」


 おばあちゃんはそんな風に俺らと話しながらも、慣れた手付きでお好み焼きを焼いていく。

 無駄のない動きはやはりプロである。


「若いってなぁ、いいねぇ」


 名前も知らないおばあちゃんだが、実の孫でも見ているかのような目だった。


「出来たけど、どうする? あたしが切った方がいいかい?」

「えっと、どうしたらいいのでしょうか? お好み焼きのマナーみたいのがあったりしますか?」

「んな厳密なのはないさ。まあウチは基本的にコテで食べるのが普通だけどね」

「なるほど」


 興味津々な一之宮を傍で見ているが、とても楽しそうだ。

 お好み焼きを食べる機会自体はスーパーの惣菜でもあったりはするが、お好み焼きのマナーなんて考えた事もなかった。


「んじゃ初体験ってことで、自分たちでゆっくり切りながら食べるといい」

「「ありがとうございます」」


 目の前にはかつお節が踊る出来たてホヤホヤの海鮮お好み焼きが湯気を立てていた。

 口の中で唾液が溢れてくるのがわかった。

 こうして俺はまた一之宮に餌付けされるのか、最高だな。


 一之宮と2人で「頂きます」をして、コテを使って食べ始める。

 一之宮が入念に息を吹き掛けて口に海鮮お好み焼きを頬張った。


「あふいっ! あふいれすっ!!」

「そりゃそうだろ一之宮」

「あっひゃっひゃっは!!」


 涙目の一之宮と奇怪で愉快な笑い方のおばあちゃん。

 あんなに冷ましてたのに熱かったのか。

 一之宮は結構猫舌らしい。


「熱いですけど、美味しいですね」

「エビもぷりっぷりで食べ応えありますね」

「ここは漁師の街だからねぇ」


 おばあちゃんは高らかにそう言った。

 その顔はどこか昔を懐かしむようでもあった。


「なんか、久々にちゃんとしたもん食べてる気がする」

「山田さんの食生活は本当に心配になりますね」

「あんちゃん、若いんだからちゃんと食べなきゃ駄目だよ?」

「は、はい……」


 なので今こうして一之宮に餌付けしてもろてますわ。

 タダで食う飯は美味いな。


「サービスだ。これも食べな」

「いいですか?」

「若いのがたくさん食わなきゃ誰が食うんだよ。ほれ」

「ありがとうございますっ」


 差し出されたホタテのバター焼き。

 ホタテの旨みととろけたバターが食欲をそそる。

 お好みで醤油を掛けるらしく、俺はまずそのまま頂いた。


「……う、美味い……」

「山田さんが泣いてる?!」

「肉厚なホタテ……贅沢過ぎる」

「泣くほどかいあんちゃん」


 おばあちゃんはまた奇怪で愉快な笑い方をしながら俺の頭を撫でた。もう完全に孫扱いである。


「あれ……もう無くなってる……」

「山田さんの記憶がっ?!」

「いつのまに……」


 まだ醤油味変してなかったのに……

 いやでも美味かったな。

 海鮮っていいな。美味い。

 美味いしか言ってないけど。


「山田さん、私のも食べますか?」

「いやでも……」

「味変したかったのでしょう?」

「あんちゃん、食べさせてもらいな」

「そ、そうですか?」

「山田さん。あーん」

「え、あ、え?」


 貝柱に染み込むバター醤油の芳ばしい香り。

 一之宮に「あーん」されるのはなんか恥ずかしいのだが、ホタテの魅力に抗えるほど俺は食に満たされた人生ではなかった。


 されるがまま一之宮が俺の口にホタテをあてがった。


「美味い」


 醤油を掛けたことによってホタテの甘さも引き立ちつつ味のインパクトを綺麗に塗り替えていた。しかしそれでいて全体の風味はやはり損なっていない。


 海鮮とバター醤油は罪と呼ぶべき組み合わせであると言える。

 やっぱりバター醤油って最強なんだな。

 王道ってすげぇや。


「関節キス。青春じゃのう」

「は、恥ずかしいので言わないで下さいっ!」

「…………」


 顔を赤くしている一之宮を見て、俺も意識してしまった。

 おばあちゃんはいちいちつつかなくてとこをつつくな。


 その後もおばあちゃんは何かと「青春じゃのう」と言いながら俺たちを笑った。

 悪意があるわけじゃないのは分かってて、でもやっぱり恥ずかしい。


 俺なんかじゃ夢を見るのもおこがましいとは思いつつ、せめて今を噛み締めた。

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