第49話 混沌魔法

 師匠が魔法を発動した後、細くしなやかな指を一本だけ振り下ろせば、それに合わせて俺を囲んでいた剣や槍が雨のように降り注ぐ。


『ノア。さすがにこれは……』


「問題ない」


 レシアが珍しく不安を感じさせるような声でそう言うが、俺は刀を自身の影にしまうと、手や足に水魔法を纏わせて大きく息を吐く。


 そして、目の前に迫った剣や槍をしっかりと見極めると、水魔法を纏わせた手で次々と受け流す。


「あら。真っ向から受け流すつもりなのね。面白いわ。いつまで耐えられるかしら」


 俺が逃げずに受け流したことで、師匠は興味が湧いたのか楽しそうに笑うが、今はその綺麗な顔すら見る余裕は無かった。


(ダメだ。もっと無駄な動きを省け。半歩後ろだ。手首の角度が3度違う。腕の力をもっと抜け……考えろ……考えろ……)


 優先順位を間違えた瞬間、俺はきっとこの剣と槍の雨に貫かれて死ぬことになるだろう。


 だが、それがどうした。


 逆にこれを全て捌き切れば、俺は以前よりもさらに優れた武術を身につけることができ、大きく成長することができるはずだ。


 それに、向かってくる剣や槍は師匠が意図的に全てタイミングが僅かだがズラしているため、それを瞬時に見分けることができれば、理論的には問題なく受け流すことができる。


 剣が腕に纏わせた水魔法に流され地面に刺さり、槍が俺の蹴りによって軌道が逸れて他の槍にぶつかり打ち消し合う。


 それからどれほどの時間が経っただろうか。


 一瞬だったような気もするし、何時間もそうしていたような気もする。


「これで最後だ」


 ようやく最後の一本を受け流すと、周囲には紫色の剣と槍が数え切れないほど地面に突き刺さっており、その光景はさながら、戦場に散っていった騎士たちの武器が墓標代わりに立てられているようだった。


「はぁ、はぁ……どうです?少しは楽しめそうですか?」


「ふふ。ふふふふふ。面白い。面白わ、ノア!本当に全てを捌き切ってしまうなんて!」


 極限の集中状態から解放されたことで、脳が忘れていた疲労と酷使による激痛を訴えるが、俺はそれを無視して楽しそうに笑う師匠に目を向けた。


「あぁ、いい……本当にいいわ、ノア。最初は無駄の多かった動きも、一つ受け流すごとに動き洗練されて行って、最後はほとんどの無駄がなくなった。あなたは本当に天才よ」


 完全記憶のギフトを使えば、自身の動きの一つ一つすら細かく覚えることができるため、その動きを再び頭の中で思い出すことで、無駄な動きを少しずつ改善させることができる。


「ふふ。だからこそ堪らない。ごめんなさい、ノア。先に謝っておくわね。私、ちょっと我慢ができそうにないわ」


 師匠の表情が少しだけ真面目なものに変わると、彼女から溢れていた魔力が群青色から黒に近い濃紺へと変わり、その威圧感はこれまでに一度も感じたことのないほど濃密なものとなる。


『ノア。逃げることを推奨します。これはあまりにも危険すぎます。このままでは、ここら一体が消え去り、ノア自身も死んでしまいます』


 師匠の異常さを理解したのか、レシアは逃げるよう何度も頭の中で訴えかけてくるが、俺はその全てを無視して影から取り出した刀を構える。


「レシア。前に言っただろう。俺に逃げるという選択肢はないと。それに、全力では無いにしろいつかは超えないといけない壁だ。なら、今の俺と師匠にどれ程の差があるのか、この場で知っておくのも悪く無いだろう?」


 世界最強を目指すということは、今目の前にいる師匠もいずれは超えなければならない。


 ならば、今戦うことができるこの機会を逃すなど論外であり、師匠と俺の差を理解するには最高の舞台だと言えた。


 だから俺は逃げない。


 例えこの試験で命を落とすことになったとしても、それが師匠の手によるものなら寧ろ喜んで受け入れる。


「ふふ。覚悟はできたかしら?」


「覚悟なら最初からできてますよ。寧ろ、師匠こそ覚悟してください。絶対にあなたに傷を付けてみせますので」


 俺はそう言って居合の構えではなく鞘から刀を抜いて腰の横に構えると、余分な体の力を抜いて〈身体強化〉と〈縮地〉を使い距離を詰めて行く。


「あらあら。まさか正面から来るなんて面白いわ。なら、私も受けて立つしかないわね。『混沌の鴉カオス・レイヴン』」


 師匠が魔法名を口にした瞬間、彼女の魔力が巨大な鴉へと変化し、翼を広げて俺の方へと向かって飛んでくる。


 混沌魔法。それは師匠が闇の魔導書に選ばれたことで手にした闇魔法の上位に位置する属性魔法であり、その魔法に飲み込まれたものは存在自体が消え去り、輪廻の輪から外れて二度と生まれ変わることができなくなる。


 しかし、今は師匠が自身の魔力に制限を掛けているためそこまでの力は無く、せいぜい苦しまずに形すら残らず死ぬだけで、輪廻の輪から外れるまでには至らない。


 それでもその威力は闇の上位魔法に相応しい威力を持っており、彼女が放った漆黒の鴉が近づくだけで、俺の頬を冷や汗が伝っていく。


「はは。混沌魔法まで使ってもらえるとは、本当に最高です!あなたの期待に必ず答えてみせますよ!悪喰付与!」


 迫り来る漆黒の鴉に対して、俺は腰元に構えていた刀に〈悪喰〉のスキルを付与する。


 すると、黒い影のようなオーラが刀を包み込み、銀色の刀身を黒いオーラが飲み込んだ。


「刀術スキル大罪之章『暴食飢餓』」


 そして、悪喰の付与が完了した瞬間に俺は刀を下から上へと切り上げると、黒く朧げな斬撃が真っ直ぐに師匠の放った鴉へと飛んでいき、触れた箇所を化け物が空間ごと食べたかのように抉り取る。


「うそ……」


 中心部分が抉られたことで形を保てなくなった師匠の魔法は、霧のように霧散して消えていくが、それでも俺は足を止めずに師匠へと迫る。


「『暴食飢餓』!」


「っ!『混沌の壁カオス・ウォール』!『重力反発グラビティ・リパルジョン』!」


 俺がもう一度同じ技を使用しようとした瞬間、師匠はやばいと感じたのか混沌魔法で壁を作り出すと、自身の体を重力反発で後ろに飛ばそうとする。


 しかし、まさか今の俺が正面から自分の魔法を切り裂くことができるとは思っていなかったのか、僅かに反応が遅れた師匠は俺の間合いから引くのが一歩遅れた。


 そして、今度は上段から振り下ろした斬撃が目の前にあった漆黒の壁を切り裂くと、そのまま間合いに残っていた師匠の腕さえも切り落とす。


「……」


「…………」


 しばしの沈黙。


 師匠は肘から下が切り落とされた自身の右腕を押さえ、俺は刀を振り下ろした状態のまま彼女のことを見つめる。


「ふふ。あっははははは。やられたわ。まさか、私の魔法を正面から叩き切って、さらには腕さえも持っていかれるとはね。ノアのこと、少し甘く見ていたみたいね。いえ、私の想像以上に成長が早いと言うべきかしら」


「ありがとうございます」


「はぁ。傷一つどころか、腕を切り落とされちゃうなんて。私も鈍ったのかしらねぇ」


 師匠はそう言いながら自身の腕を光魔法で止血すると、今度は闇魔法で腕を再生させた。


 その光景は光魔法の再生とは違い、切り口から腕が生えてくるという何とも気持ち悪い光景ではあったが、そこには問題なく切り落とされたはずの腕が生えていた。


「これは、これから鍛えるのが楽しみね。ノアのメニューについてはすぐには思いつかないし、少し考えさせてもらうわね」


「わかりました。それと師匠、賭けの件ですが……」


「わかってるわ。負けたのは私だもの、ノアのお願い、何でも聞いてあげるわね。だからその時になったら言いなさい」


「はい」


「ふぅ。それより疲れちゃった。こんなに魔法を使ったのは久しぶりだし、お風呂に入ってゆっくり休みたいわね。ノア、今日のご飯は昨日よりも多めにお願いね」


 師匠はそう言って楽しそうに鼻歌を歌いながらその場を離れていくと、遠くでこちらの様子を見ていたエレナと一緒に家の中へと戻っていく。


「勝ったな……」


『勝ちましたね』


 誰もいなくなった広場に一人残った俺は、無意識にそう口にすると、それに答えるようにレシアが頭の中で呟いた。


「でも、今回は師匠が予想していなかったことができたから勝てたんだ。今後も同じ手は通じないだろうな」


『そうですね。ですが、相手の意表を突くというのもまた、戦い方の一つです。今回は、素直に勝利を喜んでも良いと思いますよ』


「そうか……そうだな」


 今回はたまたま師匠の意表を突けたから勝てたが、今後も同じ手が通じるとは思えないし、何よりあの師匠が同じような流れで負ける姿など想像もつかない。


 それでも、過去の俺が何度も挑み、その度に実力の差を見せられて負けてきた俺が、こうして師匠に勝てたというのは間違いなく大きな一歩だと言えるだろう。


 だから俺は、今だけはこの勝利の余韻に浸り、過去の俺が超えられなかった最初の壁に触れることができたこの嬉しいという気持ちを、レシアと共に楽しむのであった。






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