創作のきっかけ

鈴木魚(幌宵さかな)

【1話完結・超短編小説】創作のきっかけ

「てめぇ!ふざけてるのか!」 東京日暮里に居を構える、小さな映像制作プロダクションの一室で、ディレクターの泉が叫んだ。 

 俺は目線を下げて、

「すみません」

 と小さく謝ることしかできない。 

 それを遠巻きに同期のADたちが同情したような視線を送り、多くのディレクター陣は、また始まったのかと迷惑そうにため息をついた。

「なんで、もっと考えてこねぇーんだ!時間がねぇーんだぞ!全部調べてこい!」  

 泉は俺が提出した書類を投げ飛ばした。

 紙は四方へと飛び散り、しばらく宙を舞った後、床に落下した。  

 泉と同期のディレクターは小さく舌打ちをした。 

 プロデューサーは見て見ないふりをしている。 

 泉は短気な癇癪持ちで、社内でも腫物扱いされる人物だった。 

 それでも解雇をしないのは、労働者重視の日本の雇用制度と、大事が起こるまで動こうとしない日和な役員たち考えによるところが大きい。。

「すみません」 

 俺はもう一度謝って、投げ捨てられた書類を1枚ずつ拾い集めはじめる。

 A Dが無茶なリサーチや小道具の手配等を頼まれるのは、日常茶飯事ではあるが、今回のロケは海外。しかも人知未踏の秘境ロケなのだ。

 一般立ち入り禁止の自然公園を抜けていくルートは、軍隊に協力をしてもらい、やっと実現したものだった。

 現地を案内してくれるコーディネーターでさえ、よく知らない土地のことを、日本から調べろということがまず無理な話だった。

 俺は集めた書類を手にして、のろのろと立ち上がり自分の席に戻った。

 怒鳴れることよりも周囲からの哀れみを込めた視線が辛くて、俺は煙草の箱をつかんで、外階段に設置された喫煙スペースへと逃げ込んだ。


 踊り場に灰皿が置かれただけの狭くて、簡素な喫煙スペース。

 俺は煙草に火をつけて、階段に座った。

 コンクリートの階段はひんやりとして冷たい。

 向かいのビルにも、俺と同じように外階段で煙草を吸っているスーツ姿の男性たちが見える。 喫煙者はどこでも追いやられる存在なんだな。

 俺が1本目の煙草を吸い終わった時、非常階段の下からディレクターの酒井が上がってきた。

「よぉ、元気か?」

 酒井は手に持っていた珈琲を、俺に手渡しながら、煙草を箱から口咥えて火をつけた。

「聞いたぞ、今、泉の下でADやってるんだってな。大変だな。まぁ、あいつの言うことなんて話し半分にきいてやり過ごしとけ。とにかく無理はするなよ」

 酒井は昔番組を一緒に制作したディレクターさんで、いつも俺のきにかけてくれていた。

「大丈夫ですよ」

 俺はそう言って煙草の煙を深く吸い込んだ。


 


「おい、これ足りねぇーじゃねぇか!」

  泉の声が制作室に響き渡る。

「すみません。すぐに取りに行ってきます」

 泉は舌打ちをしながら、乱暴に椅子に座り直す。

 撮影までに準備すればよいと言われた小道具。

 本当は今行く必要はなかった。

 他のディレクターのため息をつく音が聞こえた。

 なんでこの人はこの会社に居続けるのだろうか?とふと思ってしまう。

 今までも何人ものADをやめさせてきた泉は、影では『ADキラー』とも呼ばれている。

 撮影現場では、とにかく『全部やれ!』と叫び、意味のあるなしを問わずに、撮影時間のある限りカメラを回し続けていた。

 特別にディレクションが上手いわけでも、編集が上手いわけでないが、それを大量の素材を収録することで、カット割りを増やし、なんとか形にしているようなディレクターだった。

 もしかしたら、泉は撮影や機材に対して制約がある海外に行くことが怖いのかもしれない。


 俺は鞄を持って、小道具準備のために会社を出た。

 既に、定時(有ってないようなものだが)の18時を越えている。

 街は斜陽の光で橙色に染まり始めていた。

 俺は、帰宅するサラリーマンや学生と一緒に山手線に乗り込んだ。

 込み合う車内。人に挟まれるようにして、電車に揺られて新橋駅に向かう。

 乗り換えの多い秋葉原駅で人が大勢降りていったため、俺は目の前のぽっかりと空席ができた。

 俺は滑り込むように座席に収まった。

「疲れたぁ……」

 座席に深く腰掛けて、背もたれに体重をあずけた。

 そのとたんに、強烈な眠気に襲われてら俺は気絶するように眠りに落ちてしまった。

「……つ…つぎは……次は…新宿ー新宿ー」

 ぼんやりと聞こえてくる車内アナウンス。

 俺はゆっくりと目を開けると、電車内は再び込み合っていた。

 どういうことなんだろう?

 俺はキョロキョロと見回した。

「次はー」

 車内アナウンスが再び聞こえる。

 そこで、気付いた。

 俺は降りるはずの駅を寝過ごしている。

「やばっ……!」

 慌てて座席から立ち上がりかけたが、すぐに思い直す。

 まずは、今どこにいるか把握しないと。

 座席に座り直し、急いで山手線路線図を携帯で検索する。

 さきほどアナウンスから聞こえた駅名を確かめる。

「まじかよ……」

 新橋駅を遥か昔に通りすぎていて、電車じゃとないを1周して、出発した日暮里駅の方が近くなってしまっている。

 次の駅で乗り換えても仕方ない。

 俺は大きなため息をついて、座席に座り直した。完全にやらかした。

 乗客の何人かが不思議そうに俺をみていた。

 俺はもう一度大きくため息をつくと、視線を車窓の景色へと向けた。

 外はすっかり暗くなっていて、窓には俺の姿が半透明に映っている。

 その窓の向こうには、輝く摩天楼が乱立し、昼のような明るさを保ったままの東京の街が広がっている。

 眼下の大きなスクランブル交差点では、お祭りのように多くの人々が横断しているのが見えた。

 俺は突然、漠然とした孤独感に襲われた。

 何万人という人が集う東京で、自身の存在の矮小さと、ただ群衆という記号なっていくことの儚さに恐怖を感じた。

 電車が次の駅に着き、多くの人が降りていった。そして、また何人かの人が乗り込んでくる。

 今、この電車の中に俺のことを知っている人は、たぶん誰もいないのだろう。 当たり前ことだ。

 このまま誰にも知られず、何もなく俺は死でいくのだろうか?

「それは、ちょっと嫌だな……」

 日々は辛く絶望的で、いなくなりたくなる。

 もし、俺と同じような境遇に陥った人がいたら、どう感じるのだろうか 苦しくなっていく胸と同時に現実逃避のような妄想が膨らんでいく。

 例えば、そいつは鈴木という名前で、会社でつらい経験をしている。寝不足で電車に乗り込んだら、寝落ちてしまって……。

  思考だけが捗り、現実から乖離していく。

 辛い現実を投影しながらも、物語には劇的な逆転があって、 鈴木は、電車を乗り過ごすとそこから異世界へと行ってしまう。

 いや、それはありきたり過ぎる。

 寝過ごして、慌てて降りた所が、未来だったり……。

 俺は携帯のメールアプリを開き、メール本文に物語を書き始めた。

 これは、俺だけの虚構と希望の物語。

 鈴木は過酷な環境中で、今までのブラックな働き方から学んだ処世術を使い、見事にトラブルを切り抜け、そしてついに最高の幸せが……!!

 夢中になって文字を打っていると、俺はまた新橋駅を通りすぎていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

創作のきっかけ 鈴木魚(幌宵さかな) @horoyoisakana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ