第1話 -6- 闇と闇

 宵の帳が下りてくる。徐々に暗くなる場にて二つの影は止まっていた。虫の吐息も聞こえない張り詰めた静寂が空気を凍りつかせている。長い長いひと時が過ぎて、影が動く。

 白瀬しらせ波黒はぐろに覆いかぶさって倒れた。

 手をかけられた、しかしもう絞められていない波黒はぐろの喉が激しき咳き込む。波黒はぐろはしばし荒い呼気を繰り返したあと、体を動かす。

 倒れ込んだ白瀬しらせの体を抱え込んで、そのまま横に転がるように動いて二人の位置を反転させる。白瀬しらせの体を地面に横たえる際、後頭部へ右手を回して地面との間に挟み傷付けないよう丁寧に頭を置いた。

 至近で見つめ合う。白瀬しらせは眼は瞳孔が開いていない。まだ生きていた。つまり、これから目の前で死ぬのだ。

 そう悟った瞬間、波黒はぐろの瞳から雫が零れた。酸欠ではない理由で呼吸が乱れ、声にならない吃音が喉から勝手に零れる。我知らず白瀬しらせの頬へと触れようとする手は戦慄わなないていた。

 悲痛。それが波黒の魂を圧し潰している。

 自ら相手の命を手にかけながら、もっと声を聞いていたい、肌の熱を感じていたいという情動が溢れてくる。せめて、最後の声だけでもと。

 だが無理だ。頚椎を砕いたのだ。もう首から下は動かず呼吸は止まっている。だがしかし、白瀬の唇が言葉を作っていた。

(  好き よ)

 今度こそ、波黒は慟哭した。切り裂かれた魂から滲みだすように、蕭々たる声が零れ出る。白瀬の頬へ右手の指が触れた。温もりを保つはずの頬は石のようにただ熱が失われていく存在となって、生きている証左を失っていく。

「私……私、は……」

 波黒は自分でも分からない内に言葉を出そうとして、それが出来なかった。そして僅かな時間が過ぎ。

 白瀬の瞳の瞳孔が開いた。

 頬に触れる指先に、もう熱は無い。

 少女は一人になり、宵の闇がその姿を包み隠す。

 その時、周囲に変化が生じた。真っ暗闇の中に一つの灯が少女から離れた位置に生まれる。道沿いに並ぶ灯篭の一本に、電灯であればくっきりとせず、蝋燭であれば揺らめきが無い不気味な明かりが灯る。

 それが消えたと見えるや、その隣の灯篭に同じ光が灯り、それが消えて更に次へと明りを移しながらゆっくりと波黒の元へ近付いて来た。

 ついにその奇妙な現象は白瀬の遺体の頭を抱いて地面に崩れている波黒のすぐ側へ至り、二人の少女の凄惨な結末を一抹に照らした。

 そして、波黒の手前の地面から闇が湧き出る。物体ではない。水が湧くように周囲の宵闇よりも黒々とした闇が湧き出でて真円に溜まっていき、真直ぐに横たわる白瀬の体をそのまま飲み込むほどの大きさになって停まった。

 夜の中、不気味なひとつの明りに照らされて、闇と闇の狭間に波黒の影が映る。そして、唐突にそれは訪れた。

『私の願いを叶えよう』

 それは最もよく聞き慣れているはずなのに外部からは殆ど聞いたことがない声。波黒の、彼女自身の声がスピーカーから録音を流すように黒い泉から湧き出ていた。

『最後まで生き残った私。全ての命と願いを踏みにじった私。愛しい者を殺した私』

 寒気がする。決定的な間違いを犯したかもしれないという不安が、徐々に白日にさらされていくような、背筋がわなわなと震える気配。

 波黒は力なく膝立ちになって、目の前の闇をくすんだ瞳に捉え、その正体を口にした。

「全ての願いを叶える泉」

『そうだ。さあ、私の願いを叶えよう。私の願いをここに言祝げ』

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