「…ふぇぇぇるぅぅぅなぁぁぁんんんんどぉぉぉぉぉ…?」

「「ひぃぃぃっ!?」」


 光の矩形から漂って来る、底冷えする唸り声を耳にして、フェルナンドと腹心の男は飛び上がった。光の中からしなやかな手指が現れ、矩形の一片を掴むと、破砕する勢いで引き開ける。光の矩形がくの字にひしゃげ、粉々に砕け散って部屋の中で煌めきを放ち、空間に開いた穴から新たな光が溢れ、中から金色の髪を湛えた若い女性の頭部が現れる。女性は美しい、形の整った切れ長の目を大きく見開き、まるで足元を歩き回っている虫をこれから踏み潰しそうな形相で二人を凝視し、フェルナンドは押し潰されそうな威圧プレッシャーに抵抗しながら、必死に言葉を繰り出した。


「ク、クラウディア殿っ!?如何したっ!?魔王は無事成敗できたのかっ!?」

「そぉぉぉぉんなのはぁぁぁ、どぉぉぉぉでもいぃのよぉぉぉぉ。ふぇぇるぅなぁぁんんどぉぉ…あぁなぁたぁ…ねぇさまにいぃぃったぁぁぁい、なぁにぃをぉしぃたぁのぉぉぉぉ…?」

「「ひぃぃぃっ!?」」


 王家の権威を総動員して何とかその場を取り繕うとしたフェルナンドだったが、死龍デス・ドラゴンはおろか、魔王さえも上回る殺気を前にして、腹心と抱き合ったまま縮み上がる。光溢れる空間から右手と頭だけを覗かせ、虫を見る目で二人を凝視していたクラウディアは、やがて足を踏み出し、フェルナンドの執務室へと踏み入る。その彼女の左腕は細くくびれた女性の腰をひしと抱き寄せており、フェルナンドはクラウディアに抱き留められたままケホケホと咳き込む黒髪の女性を目にして仰天した。


「…オフェリアっ!?お前、生きて…!?」

「けほっ、けほっ…まぁ、フェルナンド様、こんばんは。こんなに早く再会できるなんて、私、嬉しいですわ」


 オフェリアは繰り返し咳き込みながら、床にへたり込んでいるフェルナンドの姿を見て、無垢の笑みを浮かべる。そんなオフェリアをクラウディアはしっかりと抱き留めたまま、表情の抜け落ちた顔でフェルナンド達を睥睨した。


「…ふぇぇるぅなぁんどぉぉ…あなた、ねぇさまのこんやくしゃよねぇぇぇぇ?なぁぁぁんで、ねぇさまにあんなことをしたのぉぉぉぉ?」

「ク、クラウディア殿、聞いてくれっ!オフェリアは瘴気に侵されているっ!」


 クラウディアが放つ尋常ではない重圧と殺気を前に、フェルナンドは脂汗を垂らしながらオフェリアを指差し、必死の形相で説得を試みる。


「クラウディア殿も気づいていたはずだっ!オフェリアの体には常に瘴気が纏わりついている!貴女が『深淵』を制覇し、この国の瘴気溜まりが一掃された今、オフェリアは白紙に染みついた汚れとも言うべき、最後の瘴気溜まりだっ!貴女が、たった一人の肉親でもある彼女を滅却できなかったのは、理解できるっ!だが私は、この国の王子だっ!いくら自分の婚約者と言えど、この国を穢す瘴気溜まりを見逃すわけにはいかないっ!分かってくれ、クラウディア殿っ!」

「…ふぇぇるぅなぁんどぉぉぉぉ…。あぁなぁたぁはぁ、なぁぁぁぁぁんにも、わかってなぁぁぁい」


 フェルナンドの必死の説得にクラウディアは耳を傾けず、床にへたり込む二人を凝視したまま、表情の抜け落ちた顔で小さく呟いた。




「…≪女神の戦槌とぉる・はんまぁぁぁ≫…」




「「ひぃぃぃっ!?」」


 床にへたり込んでいた二人は、クラウディアの呟きを耳にして飛び上がった。彼女の呟きと共に目の前に光の塊が現れ、美しい模様の刻まれた大口径の砲塔を形作る。その砲塔の先に光の球が浮かび上がり、狂ったように煌めきを放ちながら次第に大きさを増して行くのを見た二人は、脱兎のごとく執務室から飛び出していく。


 一閃。


 大口径の砲塔から極太の白光が放たれ、開け放たれた扉を潜り抜けて通路を横断し、向かいの壁に突き刺さった。白光に吸引されるように周囲の空間が引き千切られ、壁や柱を構成する石材や木材が引き剥がされて、白光の後を追うように吹き飛ばされる。白光は、国内で最も大きな建造物である王宮はおろか、王都さえも分断し、衝撃波によって周囲の建造物を崩壊させながら、地平の彼方へと飛び去る。天井も壁も失い、剥き出しになった夜空に向かって、クラウディアが声を張り上げた。


「貴方達は姉様の事を、なぁぁぁぁぁぁぁんにも分かっていないっ!真の聖女は私ではなく、オフェリア姉様っ!この国がここまで聖気に満たされているのは、全て姉様のお陰っ!姉様が穢れた瘴気を吸い込み、聖気へと変換してくれているのよっ!?その偉業に比べたら私なんて、姉様から受け取った聖気を吐き出しているだけの、ただの排泄器官だわっ!」

「けほっ、けほっ…クラウディア、落ち着いて?私は大丈夫だから、そろそろフェルナンド様を赦してあげて…」


 崩壊した建物の外から薄い瘴気の靄が流れ込み、オフェリアはケホケホと咳き込みを繰り返す。妬みや嫉み、憎悪や欲望。王都に暮らす人々から立ち昇る瘴気を絶えず吸い込んでしまって、オフェリアは咳が止まらず、それでも彼女は儚げな笑みを浮かべている。そんなオフェリアの口から放たれた言葉にクラウディアは振り返ると、一転して泣きそうな表情を浮かべ、姉に翻意を促した。


「姉様っ!姉様はもっと怒って好いんですよっ!?あのクソ王子は、よりにもよって姉様を殺そうとしたのですからっ!なのに、何故姉様は、そこまで穏やかで居られるのですかっ!?」

「だって、仕方がないじゃない…」


 目に涙を溜め、悲愴な表情を浮かべながら間近で自分を見つめる美しい妹に、オフェリアはかぶりを振り、寂しそうに微笑んだ。




「…フェルナンド様は、あんなに容姿に優れているのですもの…」

「っくぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!?顔の造形一つで全てを赦してしまう姉様のいじらしさが胸に痛いっ!」




 オフェリアの告白を聞いたクラウディアは両手で頭を抱えて仰け反り、建物が崩壊して真上に広がる夜空に向かって絶叫した。直後、再び正面を向いたクラウディアはオフェリアの両肩を掴み、激しく前後に揺さぶりながら想いを伝える。


「だったら姉様っ!顔の良し悪しが全てなら、この私でも好いじゃないですかっ!?私は決して姉様を裏切ったりはしませんし、頭のてっぺんから足の先に至る体の隅々まで愛して差し上げますよっ!」

「そんなの無理よ、クラウディア。いくら貴女の顔が私の好みのド真ん中でも、同じ女同士じゃない…」

「っかああああああああああああああああああぁっ!?此処まで心が通じ合っているというのに、最後に立ちはだかる壁の何と険しき事よっ!」


 渾身の告白を一蹴されたクラウディアは、右手で自分の額を叩きながら仰け反り、天頂に向かって高らかに嘆いた。色違いだとか健康度合と言った差異はあれど、二人は血を分けた双子の姉妹だ。顔の造形はほとんど自分と瓜二つだし、しかも最も血の濃い関係なのに、お互いその辺は問題ではないらしい。天に向かって嘆きの声を上げていたクラウディアが、再び正面を向き、勢いづいた。


「しかし、姉様っ!其処はご安心下さいっ!『深淵』でも見つからず、諦めかけていた『』!それが、魔王国の迷宮ラビリンスの何処かに隠されている事が分かったのですっ!」

「え、本当に?」

「えぇ!魔王をシバキ倒して得た情報ですから、確かですっ!」


 クラウディアが齎した真実にオフェリアが目を瞠り、姉の表情を見たクラウディアが嬉しそうに頷く。クラウディアはそのままオフェリアの腰に腕を回してきつく抱き寄せ、耳元で囁いた。


「…あんなクソ王子、さっさと婚約破棄して、魔王城に行きましょう。瘴気に塗れていた魔王は、既に洗浄済みです。クソ王子よりも姉様好みのイケメンで、洗浄と一緒に股間も封印しておきましたから、一緒に居ても安心ですよっ!」

「そうなの?」

「はいっ!」


 妹に耳元で囁かれ、オフェリアが振り向いて目を輝かせた。病弱な姉が滅多に見せない元気な笑顔を、クラウディアが眩しそうに見つめる。クラウディアは顔を寄せ、愛しい姉に頬ずりを繰り返しながら、注意喚起した。


「姉様が独り占めできるよう、けど、くれぐれも取り扱いには注意して下さいね?」

「分かっているわ。言い寄られたら、『体が弱いから妻の務めを果たせない』って答えれば好いんでしょ?」

「その通りです。まぁ、今回は股間も封印済みですから、そんな心配は無用でしょうけど」


 確かにオフェリアは空気中に漂う瘴気のせいで四六時中咳き込んでいるし、貧血気味で体も強くない。だが、フェルナンドが聞いていたほど体が弱いわけではなく、その気になれば夫婦生活も十分に耐えられた。クラウディアは姉の答えに満足げに頷きながら、眼前に小指を立てる。


「では、姉様。いつもの、や・く・そ・く」

「えぇ」


 クラウディアの言葉にオフェリアも小指を立て、二人の美しい姉妹は寄り添ったまま、小指を絡め合う。


「推・し・は・見・て・楽・し・む・も・の・決・し・て・手・を・出・す・べ・か・ら・ず」

「推・し・は・見・て・楽・し・む・も・の・決・し・て・手・を・出・す・べ・か・ら・ず」

「そうっ!姉様、良く出来ましたっ!」

「もう。クラウディアったら、私を子供扱いして…。私はもう、ハタチなのよ?」

「うふふふ」


 寄り添う姉の膨れ面を見て、クラウディアが愛おし気に微笑む。彼女は愛する姉を二度と離すまいときつく抱き寄せると、にこやかに宣言した。


「…さ、姉様。そろそろ行きましょうか。もう少し、あと少しの辛抱です。姉様が魔王城で魔王の顔を愛でているうちに、私がサクッと『性転換の秘薬』を取ってきますから。秘薬を手に入れたら即座に飲み干し、魔王を追い出してその日のうちに結婚式を挙げ、そのまま初夜へと雪崩込んで朝から晩まで思いっ切り姉様を愛して差し上げますからねっ!」

「まぁ!その日が来るのが待ち遠しいわね」

「さぁっ!二人だけの新しい愛の巣に向かって、れっつごーっ!」

「おー」


 二人の掛け声と共に何もない空間に光の矩形が現れ、クラウディアがオフェリアの体をきつく抱き寄せたまま、足を踏み入れる。




 こうして史上最強の聖女は実姉と共に姿を消し、王国は人々から滲み出る瘴気に抗えず、次第に衰退していく。


 行方不明となった姉妹がどのような結末を迎えたか、王国で知る者は居ない。

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史上最強の聖女は大願成就に向けて全力で邁進する。 瑪瑙 鼎 @kanae1971

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