『普通』は人の数だけ

多賀 夢(元・みきてぃ)

『普通』は人の数だけ

「お前は異常だ」

 数少ない歴代の彼氏達に言われてきた言葉を、旦那に言われた。

「なんで俺がいい雰囲気作ってんのに、ムラムラとか来ないわけ? なんでいつも無反応なの? 相手を好きなのは俺だけなわけ?」

 付き合ってからは五年、結婚してからは三年。旦那が私を愛そうと頑張っているのは分かっている。こと体のことに関しては精力的で、アロマや寝具に始まって、女性の抵抗心を下げる動画や本、営みを楽しむグッズまで手広く買い与えてくれた。

 しかし、私はあまりにもそれらに無反応だった。そしてとうとう、今日になって爆発したらしい。

「お前、俺の事愛してんの?興味持ってんの?」

「愛してるよ」

「だったら少しはムラムラしろよ!」

 いつもは小言程度だったセリフを怒鳴りつけられた。

 私も我慢がブチ切れた。

「そんなの意味ないって、もうさんざん言ってきたよね」

 旦那は気押されたように黙り、寝室は急に静かになった。旦那が私にと見せていたAVが、テレビからヘタクソな台詞を垂れ流している。

「意味ないって、なんだよ。お前がそっちの趣味っていうなら、女同士の動画も用意して――」

 私は旦那に枕を投げつけた。

「ないっていったなら意味ないんだよ!いい加減個体差ってもんを理解してよ!」

 私はベッドから抜け出した。あちこちにそういうおもちゃが転がっていて、そのグロテスクさにイライラが増す。

「外の空気吸ってくる!」

 私はそう言いおいて、さっさと寝室を出た。いや、もう寝室じゃない。あれは『ピンク部屋』だ。

 旦那がなにか叫んでいた。私の耳には届かなかった。



 私はコンビニで発泡酒とレモン味の電子タバコを買って、公園に向かった。

「さーみ」

 暖冬とはいえ冬は冬だ。軽くコートは羽織ってきたけど、冷気が少し身に染みる。

 公園のベンチで発泡酒のプルタブを開けた。白い泡がもこもこと出てきて、男性のアレみたいだと思った。正直、ちょっと萎える。いや、そういうのに嫌悪感はない。ただし興味もない。何も感じない。



 自分の特異性に気づいたのは、相当小さい時だったと思う。

 まず、周りの女の子と私は違った。

 女の子というものは、小学校1年くらいから色恋でキャーキャー言ってるものである。しかし、私はそういうのに一切興味がなかった。

 カワイイものにも興味がなかった。私はおさがりで従兄の服を着てたけど、それはほかに服がないからではなく、カッコいいからだった。制服でスカートを強要されるとき以外は、メンズライクなジーンズやボーイッシュなダウンジャケットを好んで着ていた。


 男になりたかったわけじゃない。

 男のほうが世の中生きるのに楽そうだなとは思ったが、自分の性別に疑問は持たなかった。

 異性に嫌悪感もない、行為に否定的でもない。ただ反応が限りなく薄く、頻度が非常に少ないだけ。私は健康的で『正常な』人間だ、単に『平均偏差』ではないだけだ。

 なのに、なんで『普通』を自称する人間は、こちらに無理を強いるのだろう。そもそも『普通』という状態がどんなものか知っているのだろうか、知っていたとして私を否定していい理由なんてないはずだ。


『普通』を自負する人間は、こっちにいろんなことを押し付ける。

 女であること、男と同等であること。

 大人であること、子供っぽくふるまうこと。

 良い子であること、ちょい悪であること。

 賢くあること、都合よくおバカであること。

 貞淑であること、淫乱であること。


 多様性という言葉が流行っているが、本当に聞いてあきれる。

 結局は『異常』にされないためにカテゴリーが増えただけで、そこに入れないものはいつまでも『異常』だ。結局、無理やり『普通』を演じさせられる。


 冬の夜、外気の中で発泡酒をあおる。こういう飲み物は体を冷やすけど、今は自分で自分をいじめたくてたまらない。『異常』と見下されるのは案外辛い、辛いとどうにも自傷めいた行為がしたくなる。

 それを旦那に話したら、Mプレイが好きなのかと言われた事を思い出した。なんだか乾いた笑いが口から洩れる。好きなわけないじゃないか馬鹿野郎。

 電子タバコを咥えたら、柑橘の香りとほのかな酸味が口から喉に抜けた。これは旦那が不健康だとうるさいからやめていた。でも、たまに無性に欲しくなる。


『異常』は何度も言われてきた。

 だけど、言われ慣れることはない。

 体が冷えるように心も冷えて、もう人をやめたいと願ってしまう。

『普通』の人々は、そんな辛さを知らない。知らないから平気でこちらを責めて、罪悪感も感じない。結局、私がすべて悪いということで話が終わる。


 ――もう、疲れたな。

 凍てつくベンチに転がって、私は暗い地面を見た。

 私は『普通』に憧れない。だけど『普通』でないと言われることは、きっと言ってくる相手の想像よりはるかに辛い。

 だけど、それが相手に伝わることはないのだ。反省などないまま明日は来る、解決することは永遠にない。

 そこまで考えて、私は考えるのをやめた。目を閉じたら、なぜかうっすら涙が出ていた。

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