解決編

 ディディエに呼ばれて、マノンが部屋に戻ってきた。マノンはまずアルマンの方を見たが、彼は目が合うと長椅子に腰掛けたセシルの方に顔を向けた。用があるのは俺じゃなくてこいつだ、と。


 セシルはおよそ扉の辺りにマノンは居るのだろうと見当をつけた方を向いた。


「お仕事をしていたんでしょう。ご苦労様」

「いえ……」

「勿体ぶっても仕方ないから始めましょうか。まず、伯爵の死は事故によるものではない」

「……どうしてでしょうか」


 セシルは長椅子の前の低いテーブルに広げた数々の手紙の中から、開封している一通を手探りで選んで取った。


「これ。あなたが掃除に入った時は、あの棚の上には無かったと言ったでしょう。それが、伯爵が死んだ時には棚の上に出ていた。きっと伯爵が取り出して読み始めていたんでしょう。伯爵の恋文のやり取りの趣味はよく知っているでしょう?」

「……はい」

「この一通だけ開いてるの。私はこれが誰からのものだか知らないけど、そんな事は関係ない。伯爵は何らかの理由で他の手紙は開けられなかった」

「亡くなったからですよね」

「そう、亡くなったから。どうやって亡くなった?」

「読みながら……」

「もう一息」

「読みながら、足を滑らせたんじゃありませんか」


 ありがとう、とセシルは笑った。それからセシルは頭に指先を押し当てた。


「よく考えてみなさい。そんなはず無いから。遺体はこれを握っていなかったし、足を滑らせた拍子に手を離していたとしても、どこか床に落ちていたはずでしょう。でも、これは棚の上だった」


 マノンは、それが一体どうしたんですか、と感情を込めずに言った。


「それだけでは、ただ、伯爵様が手紙を読んでいたせいで足を滑らせたわけでは無いという事しかわかりませんよね。手紙を読むのをやめなければならない他の理由があって、手紙から離れた後に足を滑らせたのかもしれないじゃありませんか」

「それもそうね。いよいよ事故では無い、もっとはっきりとした証拠を説明してみましょうか。マノン、あなたの殺意の証明を」


 やっぱり私を疑っていらっしゃるんですね、とマノンは少しも驚きを見せずに言った。セシルは手紙をまたテーブルに戻して座り直す。


「そこの兵士に、あなたに質問に行かせたでしょう。最初にこの部屋に掃除をしに来た時に、あなたはバケツは持っていたのに雑巾は持って来なかったのか、って。あなたが言うには、持ってなかったそうじゃない」

「そういうこともあります。うっかりということくらいは……」

「毎日窓拭きはしているんでしょう、この部屋も」

「毎日していたとしてもうっかり忘れることは」

「そういう話をしているんじゃない」


 セシルは長椅子の肘掛けに肘を置きながら、ディディエに、見せてあげなさいと声をかけた。ディディエはマノンに、窓の方を示した。マノンはそれに近寄って覗き込んだ。


「落描きが見える?」

「……ええ」

「何の絵か教えて」

「女性と……魚のしっぽでしょうか」


 セシルはおかしそうに笑った。見た全員が口を揃えてそう言うなら、伯爵はかなりの絵心の持ち主だったみたい、と。


「私が思うに、きっとそれはひとつの絵で、元々は人魚だったんじゃないかと思うのだけど、それはどちらでも構わない。女性と魚を描いたとしても良い。だとしても、魚のしっぽだけ描くのは不自然でしょう。きっと後から一部だけ拭かれてしまって、女性の胴体と魚部分の繋ぎ目か、あるいは単に魚の頭の部分だったのか、が消えてしまったんでしょう」


 マノンが何も言わなかったので、セシルはさらに続けた。


「窓拭きは毎日している。そして、今朝は特別寒かったでしょう。きっと伯爵が会議に出る前、その窓は結露していた。伯爵はどういう思い立ちなのか知らないけど、暇つぶしか何かに窓に絵を描いていた。その後伯爵が会議に出ている間に、あなたがやってきた。あなたは最初はあなたが言っていた通り、散らかっていた物を片付けたんでしょうけど、ちゃんと窓も拭いていたんでしょう。指の跡が布の拭き跡に置き換わっているのは、目の見える彼らにも確認して貰ったから」


 どうして持ってきていないと嘘をついたの、とセシルが尋ねても、マノンは何も言わなかった。セシルは構わず続ける。


「あなたはきっと事前に筋道を考えていた。だから、わざと伯爵のいない時を普段と違って選んで、わざと本をひと山残しておいたんでしょう。本当はそれだけで良かったはずなのに、その他の物の片付けも終わってしまっても、思っていたより伯爵の帰りは遅くて、不自然にその場に居ることになってしまうから、その場でできそうな作業を選んで窓を拭き始めてしまったんでしょう。でなければ、本の山ひとつ残して他の作業に移るなんて、変なやり方普通はしない」


 それは私の推測に過ぎないけど、とセシルは言って、アルマンに指で合図をした。貴族にあれこれ使われる事にあまり慣れていないアルマンはやれやれといった重たい動作で分厚い布に包んで持っていたものをセシルに差し出した。それはすすけていて、布を黒く汚している。


「……これは」

「見覚えはあるでしょう。暖炉の中にあるのを彼が見つけてくれた。バケツについていた金属のパーツ。バケツに水を入れて振り回せば先端の方に重みが出て打撃力が出るなんて、よく思いついたこと。その水をこぼして事故に見せかけて、木製だから暖炉で燃やせば血痕のある凶器も残らない、ということでしょう。もしかして、一枚目の雑巾もあの中じゃない?」


 マノンはしばらく何も言わなかった。

 それからゆっくりとため息をつく。


「……認めます」


 ディディエは少し気遣うような目をしながらも、マノンが自ら差し出した手首に縄を巻き始めた。


「……本当は、どうなっても構わなかったんです。ただ、疲れていて。あの窓の絵は、伯爵様の愛人の、一番お気に入りの方に似ています。伯爵様は愛する女性全てに惜しみなく愛を注ぐ方でした。でも、彼はいくら女好きとはいえ、貴族の事しか愛さない。勘違いしないでくださいね、私は彼に愛されたいわけではありません。ただ、貴族の女性には惜しみなく愛を注ぐ癖に、私達の様な身分の低い女の事は、道具の様にしか扱わない。仕方のない事ですけど、耐えられなくて。捕まったとしても、うまく行かなくて伯爵様が死ななくても、私が仕事をしなくて良くなるなら、どうなっても構わなかったんです、本当は」


 セシルは静かに、それならどうして隠そうとしたの、と言った。


「私は自分のために働いているんじゃありませんから。実家には、五人の弟や妹達がいるんです……父は亡くなりましたし」


 だから、稼ぎを途絶えさせるわけにはいかなかったんです、とマノンは言った。ディディエがマノンを丁寧に外に連れて行こうとした去り際、セシルは、ごめんなさいね、と声をかけた。


「いえ。たとえ無実でも、低い身分の者に理不尽な尋問をして罪をなすりつける事もあると聞きます。でも、公爵令嬢様のようなやり方で、安心しました。きっと貴族相手でもあなたは同じ事をなさるのでしょうから」



 アルマンは、いつまでこの部屋に居るつもりなんだ、とセシルに言った。


「もうじき、うちの女中が迎えに来るから、どうせなら座れる所で待ちたいでしょう」

「そうだ、お前割と人使い荒いな。ずっと思っていた」

「その人に出来ないことは頼まない主義だから。頼りになりそうだと思ったって事。でも、気をつけないとね」

「気に障ったとは言って無い」

「そう。それにしても、私だから良いけど、いち兵士の癖に馴れ馴れし過ぎない?」


 堅苦しいのは嫌いなんだよ、お前もどうせそうだろ、とアルマンは笑った。

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