死神は安楽死を司る

公血

死神とトー横キッズ

狭山龍玖さやまりゅうくの日常は規則正しく最悪だった。

今日も今日とて変わらずトー横へと向かう。

彼の家庭は給食費が払えないほど貧しく荒んでいた。

不潔で粗野な龍玖りゅうくをクラスメイトは容赦なく罵った。

勉強にもついていけず、友人もいない。小中学校にはほとんど通わなかった。


この日も龍玖は彼女の杏朱あんじゅと歌舞伎町の歩道の地べたに座っていた。

昼間は都の巡回員の数も少ないのでのんびりとしてられる。

腕章をつけたそれっぽい人が来たら適当に会話をして切り上げる。警察が来たら面倒なのでばっくれる。


いつものように友達から貰ったサイレースを杏朱とキメながら駄弁だべる。

眠剤でもやらなければこの腐った現実から逃避出来ない。

杏朱は風邪薬と混ぜて噛じる。ラリってまともに会話にならなくなる。

リスカだらけのイカ焼きの様な腕で髪をかきあげて笑う。

そんな様子を外国人観光客が嘲笑混じりにスマホで撮影する。

日本人は見慣れた光景なのか目に止めようともしない。

誰も好き好んで掃き溜めを眺めようとはしないものだ。


「俺さぁ、もうすぐ家から追い出されるんだよね」

「あはははははは。えええー!? そうなのー?」


杏朱の狂った嬌声きょうせいが響く。


「面倒見るのは中学までって言われててよー。もちろん高校にも行けねえしな。母親の彼氏が半グレでさ、中学出たら仕事手伝えとか言われてんだけどどう考えたって使いっ走りなんだよ。そいつも組織じゃ下っ端だし。振り込め詐欺の受け子とか逮捕前提の仕事させられそうなんだよね。あー少年院とかマジ行きたくねえわ」

「はははー! やっべー! 年少とか超ウケるんですけど!!」


そう言って杏朱は狂騒に駆られたように手を叩いて笑う。さながらシンバルを持った猿の玩具おもちゃのように。


「笑い事じゃねえっつーの。家にもいられねえし出て行っても悪党の下っ端じゃん?     あーマジ死にてえわ」

「んじゃ一緒に死ぬ? 薬キメながらだと怖くないってゆーよ?」

「眠剤程度じゃ恐怖消えねえだろ」

「友達の売人がもっとハイになれる薬くれるって」

「お前覚醒剤はマジ止めておけよ。薬買う金稼ぐために売春までが1セットなんだから。手出したらマジ別れるからな」

「ごめんってー。さすがにドラッグまではやらないってー」


杏朱が肩にしなだれかかる。

お互いボロボロのジャージだ。何日も洗っていないので少し臭う。

そもそも洗濯機が家にないし、コインランドリーに通う金も貰ってない。

自身の境遇をかんがみて龍玖は溜息をついた。




狭山龍玖の人生は15歳にして詰んでいた。

暴力団関係者の父親と風俗嬢の母親の間に生まれた。

父親とは一度も会ったことがない。生後すぐに消息を消したためだ。

ヤクザだったという事は後々母から愚痴のついでに聞かされた。

その母親も彼氏をころころと替え、龍玖が知るだけで10人以上の男が自宅に住みついた。

幼い彼にお菓子や食事を与えてくれる者もいたが、そういった温情をかけてくれるのは少数だった。

大半の男たちは龍玖を邪魔者扱いし、母親の見てないところで暴力を振るわれた。

情事のために夜は自宅から追い出された。

十代の子供が夜間出歩いて時間を潰せる場所は限られている。

自然とトー横にたむろするようになった。


同じ様な境遇の子供たちとはすぐに打ち解けた。

中には激しいDVや継父ままちちの性暴力から逃げてきた子もいた。

杏朱も母親の再婚相手から強姦されかけたらしい。自宅に帰れず友達の家を転々としている。


トー横キッズは登校拒否や不登校児も多いため彼らの教養は総じて低い。自身で行政やNPOに頼る知識を持ち合わせていないケースが多い。

龍玖も含め児童虐待や育児放棄を受けている子供たちの支援はまだまだ足りているとはいえない状況である。





歌舞伎町の路上でケツが痛くなるまで座っていると、母親からLINEが届く。

自宅の片付けをしておけとのこと。

杏朱と別れ夕暮れが迫る中、大久保の自宅へと歩いて帰った。

四畳半のボロアパートはゴミが散乱し、極めて不衛生な状態だった。

台所にあった大容量片親パンを不味そうにかじる。

面倒くさいが仕方ない。部屋が汚いとまたに殴られる。


母の現在の彼氏はこれまでで最も凶悪な男だった。

プロレスラーの様な体格で、上半身のすみずみまで和彫を入れていた。

殺人以外のほとんどの罪で捕まっている。犯罪歴が多すぎて人生の大半を刑務所で過ごしたとのこと。悪事を働くことにこれっぽっちの良心も傷まないようだ。


母が水商売で稼いだ金もほとんど巻き上げられているそうだ。

飴と鞭で母を心理的に束縛し金を貢がせている。夜職の女にたかる売れないホストの様だ。

こんな男の元からは一刻も早く去りたかったが「こっちの世界には人探しの達人がいる。15のガキなんか簡単に見つけられるから逃げんじゃねえぞ」と念押しされてしまっている。

行くも地獄。

引くも地獄。

進むも地獄。

逃げても地獄。

八方塞がりでひとちる。



「本当詰んでんな。俺の人生」

「なら死ぬか?」

「うわっ!?」



目の前に一人の女が立っていた。

ごみ袋だらけの居間に、突如瞬間移動でもしたかのように現れた。

男性用の黒い喪服スーツを着ており、気怠けだるそうに煙草たばこをふかしている。ボサボサの金髪で目の下には濃いめのくま。どこか中性的でバンドマンの様な雰囲気を醸し出している。


「今なら苦痛もなく無料で安楽死させてやれんぞ」

「は、はぁ? あんた誰だよ。ってかどこから入った? 玄関閉まってるぞ」


現在龍玖が立っている台所の流しの横に玄関があるが、扉は確実に施錠されている。


「どこからでも入れるんだよ。こっちは死神なんだから」

「え、え、死神? どゆこと?」


死神と名乗った女は龍玖の問に答えずかったるそうに紫煙をくゆらせた。


「あぁ毎度毎度面倒くせえな。この導入何回やらされるんだよ」

「いや、そっちの事情は知らねーよ! ていうか出てけよ。ここ俺んちだぞ?」

「おめえが〝死〟を望んだからこうして死神様が来てやったんだろうが。私みたいな【安楽死専門の死神】が来てくれることなんて稀なんだからな。泣いて感謝しろよガキが」


なんだこの口の悪い女は? 【安楽死専門の死神】だと?

情報量が多すぎて頭が追いつかない。

龍玖はただでさえ物事を理解するのに時間を要する。

目の前で起きている事態を瞬時に把握など出来なかった。


「まぁ見るからにおつむ足りてなさそうなおめえじゃパニックに陥るのもしょうがねえな」

「なっ、馬鹿にすんな!」

「まぁ今すぐ決めなくてもいい。三日後また同じ時間に現れる。4時44分。その時にまだ死にたいって思ってるんだったら私に言え。眠るように痛みもなく死なせてやる」

「え、それって……お前に殺されるって事? あんた殺し屋かなにか?」

「命を奪うという意味では殺し屋だな。現代の医療だと特定出来ない超常的な殺し方するんで死因は脳卒中になる」

「なにそれめっちゃ怖いんだけど……」

「そう思うなら止めておけ。別に私はどっちだっていい。お前が死のうが生きようがな」


そう言って死神はヤニで汚れた黄色い天井に向かって煙を吹きかける。

新宿駅前の喫煙所にいる仕事に疲れたサラリーマンみたいなつらだった。

煙草を吸い終えると携帯灰皿に吸い殻を入れポケットに突っ込んだ。


「それじゃ三日後4時44分にな。参考までに言っておくと人が少ない場所で死ねば発見が遅れるし、人が多い場所で死ねば通報が早まる。死ぬんだったらは注意しろ。じゃあな」

「あ、ちょ、待てって」


龍玖が伸ばした手は空を切る。

死神が忽然と姿を消していた。

目の前で二度も起こった消失現象にさすがの龍玖も考えを改めざるを得なかった。


「本物? 安楽死……死神」



龍玖は少しの間呆然と立ち尽くすと、また部屋の掃除に取り掛かった。

とにかく手を動かしていたかった。

こんな訳の分からない事態になるなんて夢にも思わなかった。


もう一度先程起こった出来事を振り返る。

死神が言ったことが事実なら、自分は安楽死のを貰った事になる。


まだ15才の龍玖だが、どう考えても自分の人生は詰んでいるように思えた。

親ガチャは最低レアリティの大ハズレ。

身柄をあの男に抑えられ自由に生きれる可能性は限りなく低い。

親の庇護から羽ばたいた先に待つものは無限の航路ではない。地獄行きの直行便だ。


人はいずれ死ぬ。

裏社会で味のないガムになるまで噛み潰されるくらいなら、今ここで楽に死んじまった方が苦しまなくて済むんじゃないか?


普段頭を使う事が少ない龍玖は知恵熱が出るまで悩み続けた。

少ない有り金を使い果たして東京のあちこちに行ってみた。

自分の知らない景色。自分の知らない人々。

その全てが輝いて見え、同時にどこか色褪せても見えた。

龍玖は自分を見つめ直し心の在り方が少し分かった様な気がした。


「こんなもんなんだな人生って」


三日間熟考の末に龍玖は答えを導きだした。





4時44分。

トー横の路上に龍玖は立っていた。

雑踏の中、その瞬間を待っていると以前と同じように何もない空間から死神が現れた。

例のごとく男性用の黒い喪服を着ている。これが死神の正装なのかもしれない。

細身で整った顔立ちの死神が男性衣装を着こなすと相反するアンビバレントな魅力を感じた。


「こんな人多い所に来やがって。だりいな畜生。――んでどうすんだ?」


死神は口に煙草を咥えたままいい加減に問いかける。

下を向き、口を真一文字に引き結んだ龍玖は意を決して答えた。


「……多分この先さ、生きてたって良い事なんかほとんどないかもしれねえ」

「おう」

「今が最低だと思ってたらもっともっと地にのめり込むような最底辺があるかもしれねえ」

「ああ」

「俺はこの先そんなマイナス100がマイナス255になるくらいのどん底の人生を歩むかもしれねえ」

「かもな」

「だけど――生きていたいっ!!」


龍玖の叫びに通行人が足を止めた。

彼らに死神の存在は見えているのかいないのか。通行人の視点はジャージの少年一点に集まる。


「もっと遊びてえ! もっと良いもの食いてえ! 新型のiPhoneが欲しいし良い服も着てえ! つうか金が欲しい! 浴びるくらいの金だ。雑誌の広告みたいなバスタブに浸かるくらいの金! 一円も稼いだことねえから金についてはよく分からねえが金さえありゃなんとかなるだろ? こんな糞な環境からも抜け出せるだろ? だから生きて働いて金稼いで人生変えてえんだ! 新しい人生を生き直してえんだ!」

「……熱いな。未成年の主張かよ。青臭くて虫も食わねえわ。まあそんだけ吠えてるって事は結論は出たみてえだな」

「ああ」


龍玖は決意の籠もった目で真っ直ぐ死神を見据えた。


「俺は死なねえ。生きるって決めた」

「――了解りょ


それだけいうと死神はくるりと背を向け後手うしろてにバイバイと手を振った。

来る時と違って魔法のように消えたりせず、振り返りもせずに歩き去っていく。

もしかしてあの死神と名乗った女は人間だったのではないか。

何もない場所から消失したり出現したり出来たのは何らかのマジックでも使っていたのではないだろうか。

そんな気が起きるほど龍玖はあの死神に人間っぽさを感じていた。


「あんな疲れた顔して煙草吸ってるのは日本人くらいだもんな」


龍玖はそう笑って死神の背中が見えなくなるまで視線で追いかけた。

さてと。

これから忙しくなる。

問題は山積みだ。

卒業後の進路を決めなければ。

中学校の担任を頼って自立のための就職先を見つけてもらおう。

自分が出来る仕事なら肉体労働だろうとなんでもやるつもりだ。


明確な目標が出来た今。龍玖の心は晴れやかに澄み渡っていた。

顔を上げぐっと伸びをする。

歌舞伎町の空に夕焼けが輝いていた――。



「大好きだよ。龍玖――」



上空を見上げた龍玖の顔目掛けが落ちてきた。

落下してきた物体のあまりの速度に反応すら出来ず、龍玖は直撃を受けた。

柔らかくて重たい物質。

そう。それはまるで――。



現場は大惨事となった。

飛散した脳漿。衝突時の衝撃で出血は数十メートルも飛び散った。

ビルの屋上から飛び降り自殺した少女。

なんの因果かその少女の真下にいて下敷きになってしまった少年。

夕方の歌舞伎町の事故現場は若き命が二つ散る痛ましい嘆きの場と化した。



――走馬灯が走り抜ける、刹那の瞬間。

龍玖の脳内は超高速で事象を処理していた。龍玖には自分の目の前に降りてくる少女の姿が超スローモーションで見えていた。

よれよれの汚いジャージ。

パサパサの傷んだ茶髪。

辛い過去を上書きするその笑顔。

前腕までびっしりのリストカット痕。

そのリスカ痕が残る肘の辺りにまだ新しい青い注射痕があった。


「大好きだよ。龍玖――だから。


杏朱あんじゅおぞましい笑い声が聞こえた気がしたが、鈍い衝突音と共に意識が消失したため確かめようがなかった。




騒然となるトー横を背に歩み続ける死神は、小さく舌打ちをすると路上喫煙・ポイ捨て防止パトロールの係員の前で吸い殻を地面に投げ捨てた。

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