09.午後三時五十二分

【蓮場睡蓮@写真好き個人Vtuber 都心案内写真館】


「はすっぱすいすいすーい! こんばんは、写真好きVtuberの蓮場睡蓮です! 今日も趣味で撮ってきた写真をお見せしながら街巡りしていきたく思います!」


 薄い色調の緑色の服に、水色の髪や瞳。そして構えた蓮の雨傘が印象的な少女だ。トイカメラも持っている。妙に甲高い電子音声が脳にクル。


『趣味(一枚五万円)』

『趣味(プロの仕事)』


 実のところはプロの写真家であることを公表している蓮場睡蓮は、まともに場所を借りると非常に金のかかる個展をバーチャルで行っている。Vtuberを見るオタクなど、写真が嫌いなはずもなく。関わりのあるVtuberを撮ってきた写真に登場させるコラボなどで、それなりに知名度の高い人だ。

 あくまで企業が携わっていない、個人運営のVtuberとしては、の話だが。


「今日のテーマは……日本最大のターミナルを要する新宿~!!!」


 どんどんぱふぱふ、と効果音が鳴り響く。


「しばらくはね、都内の主要駅にスポットを当てて写真を紹介しようと思います。ほら例の件で、新宿みたいな迷路は話題性が出そうだから。新宿は徒歩圏内に山ほど駅があるので、色々な新宿駅を撮ってきましたよ~」


『地上に出たと思ったら地下だった。意味が分からない』

『新宿駅に向かって歩いていたら、通り過ぎて隣の駅に着いていた。意味が分からない』

『新宿怖い』


 コメント欄に新宿駅被害者の会が発足。池袋、大阪なんばも負けちゃおらんよと党派が乱立していく。


「新宿は日本で一番利用者が多い駅で、複数の鉄道会社が乗り入れているターミナルです。空中と地上と地下を路線があっちゃこっちゃ張り巡らされている関係で、人が移動する経路が複雑になってしまっているというコトです」


 睡蓮が表示した図に、ずらりと路線名称が並んでいる。十を超える路線を並べているので、もはや文字が小さすぎて路線名が読めないというところまでネタである。


「まずはJR新宿駅の改札各種~! その巨大さから複数の改札がございましてよ~! 人々を悩ませていた東口改札と中央東口改札の違いはこれですぜ」


 パッと見て全然違う様子の改札を並べていく睡蓮。改札の中から見た様子と、外から見た様子を順番に表示する。


『めっちゃ勘違いするんだよな』

『別の名称にしてほしい。見たら一発なんだが』


「昔は東西が改札で途切れていて、丸の内線の方まで回らないと行き来できなかったんですけど、何年か前に改札の位置が変更されたことで簡単に通行できるようになりました。ここだけは良かったけど、改装する際に名称も変えてほしかったですねー。無論、私も上京した時に間違えております」


 中央大通路のロングスクリーンに集まる人々の写真を残し、次の場所へと移動する。


「JRと隣接しているのが京王で直接連絡通路があるぐらい。乗り換えに使う人も多いんじゃないかなー」


 紫色のややこしさとややこしさがマリアージュした改札前。紛らわしさはなかなかのものがある。

 続いて、箱根まで一本で行ける特急電車でお馴染みの小田急。青と白の看板が目立つ。


「小田急百貨店から直通の小田急電鉄はこちら。仕事に疲れた時はね、有休を取ってロマンなカーに乗りましょう。酒を飲んで箱根に向かい、温泉に入ってのんびり過ごすのが一番」


『日帰り温泉もあるし、二時間かからんし、ちょうどいいとこにあるよな箱根』

『六時くらいには開いてる店ほとんどないけどね』


「ちょっと豪華なスーパー銭湯的な感じで……。私も腰とか肩が痛くなったら行きますよ、ほら、えらいもんが付いてるから」


 そう言って身体を揺らすと、少々カクつきながらも胸元がはわわわんと連動して震えた。


『お年頃定期』

『偽りの乳』

『40にもなって恥ずかしくないんか』


「今の私は17歳のフリーカメラマンだからセーフですよーん! はっはっは! ほれほれ、ウ……ッ!」


 調子に乗って胸を振り回していた睡蓮が突如呻いて画面から消えた。


「こ、腰が……」


『からだだいじに』

『無理はきかんぞー』


「ご忠告が耳に痛いです……」


 どことなくしょんぼりした睡蓮が画面の下から這い戻ってくる。


「はー……少しばかり湿布休憩を入れますね……」


『シップを常備することですいれんたんの薫りに包まれることが可能』

『俺の肩は睡蓮だった……?』


「湿布ではなく蓮の葉を貼ってもらえれば私もその意見に同意できたんですけどね」


 ううぅ~、と鈍い唸り声を伸ばしながら、睡蓮が身体を捻ったり曲げたりしている。がんばって湿布を貼っている。


「ふう。つめたー。無事に湿布を貼れたので、続きをやっていきますか」


 姿勢を正して、どことなく前のめりにはなりつつ、改めて別の写真を表示する。

 茶色、あるいは深い赤色のレンガタイルが印象的な、背の高い建物。


『西武新宿だ』


「その通り、こちらは西武新宿駅の外観ですね。ショッピングセンターとホテルが一体化した駅舎になります。地下もあるんですけど、改札は階段を登って進んでいったところにあります。始発駅なのでタイミングが良ければ座って埼玉の奥まで行けますよ」


 始発駅特有、線路の終端が見える改札を載せる。ターミナル駅で電車のお顔をじっくりと眺められる貴重な機会だ。


「雨に濡れないで地下街に直通で行けるのもいいところですよね。迷路っぽいですけど、地下を通って丸の内線やJRにも移動できますよー」


 地下迷宮の並びを順繰りに表示し、地上への脱出口を案内する。

 そして戻ってきたのは東西に長く伸びる、丸の内線の頭上を歩ける地下通路である。


「丸の内線の新宿駅を探していたはずなのに、見つけた駅は新宿三丁目駅となりがちなこの通路。色々なビルと地下で直結しているので、慣れたら移動には便利です。慣れるまではワケ分かんないけど!」


『さっき見掛けたのと同じ駅がある……?』

『雨降ってる時は楽でいいよな』


「通路の最奥では副都心線、都営新宿線に繋がっています。もっと地下の先に進めるけど、この辺で一度地上に戻りましょうか〜」


 先程の写真から時間が経っているのか、次に現れたのは傘を差した人で埋まる歩道と、道路の向こうに見える地下への入口。


「ここは日本が誇る百貨店の一つ、衣勢丹の脇です。道路を挟んで両側に出入口があるんですわ。多すぎ! この日は雨が降ったり止んだりだったので助かりはしたんですけども」


『どこから入ってどこから出ればいいのか分かんない定期』


「そうなんですよねえ。ちなみに今のトコから出てきて衣勢丹を撮るとこんな感じです。ちょうど雲の裂け目から日が差して、エモい感じに撮れました!」


 睡蓮がそう言って提示したのは、同じ道路の反対側から真っ直ぐ撮ったシーン。


 色とりどりの傘の群れ。その奥に地下へと向かう横穴と、スタイリッシュなヒトガタを活けた衣勢丹のショーウインドウがあった。

 まるでスポットライトのように斜めに射し込んだ日が、ぱらぱらと零れる雨粒を煌めかせている。


 この写真が表示された瞬間、わずかにコメントの速度が鈍った。

 何でもない一日のワンシーンを写し取ったその光景に、理由も分からず見惚れている者が少なからず居た。確かにこの写真は目を見張るほど美しいが、それは言葉を失うほどか……?


「どうですか? これ、実は無加工なんですよ。割と奇跡の一枚になったんじゃないかなあ」


『めっちゃ綺麗!』

『人混みの中でもこんな写真撮れるんだな』

『なんか……おかしくない?』

『すごい良い!!!!!!!』


 称賛するコメントの中に一つ混じった違和感を指摘する声。蓮場睡蓮はそれを拾った。


「おかしい、ってどこが?」


『プロに向かって失礼な』

『おこだよ』


「いやいやいや、それは違くて! ごめんごめん、ごめんなさい」


 不用意な一言で否定的な空気になりかけたところ、ストップをかける。


「その『おかしい』ってコメントはむしろ聴きたかったコメントで。私もこの写真、自分で撮ったのに違和感がすごいの。無加工で出したのも、このなんか違う感が私だけの感覚かどうか知りたくてなんですよね。なので、さっきのコメントしてくださった方、どこがおかしいと感じたのか教えてくれませんか」


『マジだぞ……』


 いつもの蓮場睡蓮からはおよそ発されない、気の籠もった問い掛けにコメント欄が静かになっていく。

 睡蓮は言葉を連ねずに、ただ瞼を上下させるのみ。


『右がおかしい、と思う』


「右?」


 完全に止まったコメント、そこにぽわんと浮かんだのはふんわりとした回答。


「それは……」


 睡蓮が吐息だけで台詞を繋げながら、写真の一部を切り取る。

 中段、右の端。傘の切れ目。ショーウインドウの右半分。


『え?』

『ここ?』

『なんかあるか?』


「ここがそうだって言うなら、私と同じ意見。一見、何でもないように見えるけど、違和感が拭えない……気がする」


『いやでも……分かんねえ』


「おかしいかも、って思ってから全体を俯瞰すると分かるかなあ。これでどう?」


 トリミングした写真とは別に、もう一画面で元の写真を映す。

 こうして並べてみると……、


『変……な気がしないでもないようなそうでもないような』

『ええ? 全然分からん』

『光が歪んでる?』

『不自然に空間が空いてるように見えなくもない』


「それかも!」


『どれ?』

『わかんねえwww』


「歪んでる。ちょっとここだけ……浮いて見える……ような気がする!」


 睡蓮が写真に丸を描き込みながら呟く。

 そう言われて見れば、そこだけ周りの風景から浮いているように感じなくもなかった。差している陽の光がぐにゃっているような。


「それじゃ簡単に色彩いじってみたり特殊加工してみましょうか。少し触ってみてダメなら飛ばします!」


『他の写真も見たいからしゃーなし』


「ダメだったら一人で色々いじってみて、違和感の原因が分かればSNSの方に載せますね。だから登録よろしくどうぞ!」


『本日のノルマ』

『おしごとできてえらい』


 毎回のお約束、告知への誘導までを無事に終えたところで画像加工ソフトを立ち上げる。

 そして、わずかに一手目でSNSへの誘導が無駄になったことを誰もが悟った。


 手始めにと色調変化をした瞬間、そこに人影が現れたのである。


「………………はっ?」


『えっ?』

『なにこれドッキリ? 茶番? 心霊写真?』


「いやいやいやいやいや……。えぇ……なにこれ……?」


 ショーウインドウの前に、傘も差さずに立っている人がいる。薄い影のようで、はっきりとは写っていないが、明らかにそこにいる。

 色調を元に戻すと、レイヤーに隠されたかの如く消えてしまう。

 何度か繰り返してみるが、確かで、間違いなく居る。ファイルのプロパティも確認したが、睡蓮が先日撮影した写真で合っていた。


「ゆ、幽霊……? ガチで……?」


『待って! モノクロかセピア系にして!』


「セピ……セピアね、えっと、これでどうですか?」


 何かに気付いたコメントに合わせてノスタルジーを誘うセピア基調に補正する。そうすると他のカラフルな色味よりも幾分かはっきりと線が出ている気がする。

 コメントが叫んだ。


『これライカだ!!!!!!!!』

『は?』


「……マジ?」


『頭にあの髪留め付けてる!』


 そこまで明確に視える者は他にいないが、髪留めらしき物体を頭に付けているところは分かった。

 コントラストを高くしたり明度を下げてみたりした後に、試した中では最も効果の高い手法で加工した写真を表示する。

 セピア基調にした上で、黒一色のレイヤーを重ねて透過させるのだ。


 サングラスを通すようにして、万人の前にようやく現れた人影は女性の姿をしていた。

 差した光が足元を照らしている。睡蓮はスポットライトのようだと表現したが、それは正しくそうだったらしい。


 蓮場睡蓮というカメラマンがシャッターを切る瞬間を知っていたのか。

 ショーウインドウに向けていたはずの意識が、こちらを捉えている。


 振り返る寸前、その彫像のように整った横顔を、その一瞬を、電子が奇跡的に焼きつけていた。

 邪魔になりそうな長髪を留めていたのは、剣と三線雷のアイコン。


 道をゆく人々の中に、身を反転させる遠久野ライカ。


 これだけ動きのある写真なのにどこかしら静謐な空気が漂い、それはある種宗教画の如き神聖さを醸し出していた。


「……後でこの写真は公開しますね」


 放心しながらもそう囁いて、蓮場睡蓮は夢見心地で配信を終わらせた。





 さらにブラッシュアップして公開したこの写真『午後三時五十二分』は、より明瞭に、より美麗に、より繊細に、何でもない天気雨の新宿を表現した。忙しない都心の時をレトロに止める一枚。

 ただ、止めた時の中に『遠久野ライカ』の魂が混じっていたことで、印象に反して世界で最もホットトレンドな写真となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る