07.魂とは

 最前列に座っていた中年男性が手を挙げる。秘書がマイクを持って駆け寄った。


「どうも、どうも。はい、営業部長の初瀬です。私たち営業部からすると、今回、あなたたちについては“よくやった”とボーナスをあげたい」


『……えっ?』


 小太りで丸みのある顔はにっこりと笑っている。


「あなたたちのおかげで『勇者クエスト』、ひいては遠久野ライカ、草凪アリア、そして瑪瑙ラテ。この三名においては全世界で爆発的な知名度を得るに至った。ライブのハプニングシーンを切り抜いた映像が世界中で再生されている。想定外の社会現象になりつつある。このプリズムヴィジョンが、世界で一番熱い発信源になりかけている。――全く予算をかけずに」


 初瀬と名乗った営業部長が手元のタブレットを操作すると、スクリーンに各社のトップニュースが表示される。


 『バーチャルトップアイドル、引退か!?』『現代のトゥーランドット現る』『勇者、全世界二億人に宣戦布告』。


 大きな社会情勢の変動やスキャンダルがなかったせいか、ネットニュースはおろか、リアルの新聞社さえもライブでの出来事を取り上げていた。

 その一面に使用されている画像のほとんどは、舞台中央に立つライカと肩を組むアリア、そして彼女たちと対峙する8期生の四人の姿であった。


「熱愛発覚等の悪いスキャンダルで紙面を賑わすのは困るが、そういった醜聞ではないからね。何もせずとも売り込む商材の知名度が上がるだなんて、願ったり叶ったりだ。元々知名度の高いライカさん、アリアさんはともかく、新人の8期生四名については非常にコストパフォーマンスの良いプロモーションになった。鉄が熱いうちに、我々営業部はプリズムを、重点的にあなたたちを売り込みに行く。特に瑪瑙ラテさんは案件が増えると思うから覚悟しておいてください。それが営業部からの処罰と言えば処罰かな」


 続いて細身の眼鏡をかけた女性が手を挙げる。ラテたちも何度か顔を合わせたことがあり、誰かはすぐに察しがついた。


「配信事業部の笹見です。弊部の者がご迷惑をおかけし、申し訳ない。……ですが、彼女たちは特に間違ったわけでも不祥事を起こしたわけでもない。配信事業部としては遠久野ライカ、草凪アリア、並びに8期生の四人に処罰を行う予定はありません」

「それはあまりにも無責任な言い草では?」


 離れた席から聞こえた台詞に視線が集まる。きっちりと髪を固めた神経質そうな男が立つ。


「統合運営部、苑田です。現在、メール、コールセンターを筆頭に山のような問い合わせが来ており、業務を非常に圧迫しております。可能な限りの人員を対応に当たらせていますが、処理能力を大きく超えている状況です。会社の運営に異常をきたします。騒ぎが収まるまで休止処分を行うなり、会社としての姿勢を早急に発信していただきたい」

「そんな脆弱なシステムしか構築出来ないのが悪いのでは?」

「……なんだと?」


 配信事業部長である笹見が真っ向から苑田の発言をあげつらう。


「統合運営部では有事の際まともに動かない無駄の多い運用を行っている、そういう問題が発生したという認識ですが」

「配信事業部のトラブルが発端で、一部署では吸収しきれないバーストトラフィックが起きているんだ! 問い合わせについてもそうだが、運用サーバーがギリギリのところで持ちこたえていることに感謝されることはあっても、まさか文句を言われるとはね! 改めて申し上げるが、問題が発生した場合にはその原因を取り除くべきである、というトラブルシューターとして当然の意見をお伝えいたしますよ」

「当然の意見と言うならば、配信事業に限らず想定外のハプニングが起こるのは十分に有り得る話で、特に我々のようなタレント業を主軸に据える企業ならばその影響をプラスにすべく動くべきではありませんか。先程、初瀬営業部長が発言された通り今は飛躍のチャンスでもあり、むしろ苑田統合運営部長が仰るような雑な火消しをした場合は逆に炎上しかねないリスキーさも孕む難しい状況だと正しく認識していただきたい」

「おいおい、ケンカをする場所じゃねえだろ。時間がもったいない、やめてくれ」


 徐々にヒートアップしていく口論に水を差したのは端の方に座っていた無精髭の男だった。


「開発部、志島だ。運営部と配信部のいざこざは俺たちの案件にはあまり関係がない。営業のコストパフォーマンスについても、だが」


 志島がボリボリと髭を掻くと、何日も風呂に入っていないのか、白いカスが宙に舞った。


「俺たちが興味あるのは、結局ライカが残るのかどうかだよ。あいつにゃ『Right』の実証実験者として、膨大なデータが溜まってるからな。新しいことを始めるにしても、データ持ってるやつを囲ってあった方が都合良いわけだ」


 『Right』とはAIの名称であり、もちろんタカローが開発した高精度翻訳AIのことである。運用するにあたって、適当に付けた仮称がずっとそのまま走ってしまっている。


「ライカが残る、ってんなら勇者クエストとやらもどんどんやってくれ。違うんならサーバーを安定させてくれや」


 どうなんだ? と尋ねられたのは一周回って草凪アリアである。ずっとスクリーンの脇に立っていたアリアが前に出る。


「ライカが残るかは……五分だ」


『そんな!?』


「それはクエストやらをクリアした場合の話か」


 問いにアリアは苦々しくも頷いた。


「これに関しても、だけどあたしのコントロール可能なところにない。誰が、という要素があまりにも強い」

「ふん?」

「仮にライカを捉えた人がいたとして、そいつがVtuberを続けてほしいと希望するのならライカは続けると予想する」

「その逆もまたしかり……希望しないのなら予定通りに引退、ってことか。二億分の一を引き当てた上でさらにニブイチは、外すと考えただけで気が狂いそうになるな」

「だからあたしはあんまり考えないようにしてる」


 ハハッ、と笑いあったところで話が切れる。

 すかさず統合運営部長が発言しようと腰を浮かし、


「さて、あまり全員の時間を取り過ぎても良くない」


 再び前に出てきた社長タカローに遮られる。タカローはアリアを下がらせた。


「今回の件で処分を行うことはない。また事実として運営に支障をきたしているので、そこには対応すべきだと考える。カスタマーサービスの需要に供給があっておらず、そして供給を現状可能な限界まで増やしても不足しているという認識で合っていますか、苑田さん」

「その通りです。システム的な対応を即日行うのは難しく、マンパワーを集中させることでなんとかしている状況です。ただいまの社長が招集した全社会議についても、彼らは参加せずに対応を続けている、余裕のない逼迫した状況だと認識いただきたい」


 プリズムヴィジョンが主軸に置く配信者事業は、他社プロモーションを代表とするインフルエンサー的なBtoBも収益に数えられるが、どちらかと言えばBtoC……視聴者との関わりが非常に大きい。

 雑な対応をした場合、昨今のSNS時代では杜撰さが広まるのもまた早い。

 苑田としては会議に全員を出席させてサービスを停止させるリスクをより重く見た、そういう状況である、と。


 少しばかり視線を彷徨わせ、それからタカローは言った。


「分かりました。しばらく電話は切りましょう。顧客対応はメールのみ。返信はテンプレートを作成し、臨機応変に行ってください。電話を切る前に告知はお願いします」

「……承知しました。後ほど承認印をいただきに参ります。では」


 顧客対応で一番時間が必要になるのは電話である。

 予定の擦り合わせや意見交換など、事前に情報を共有出来ている、あるいは知人であるなら、電話の方が良い場面は当然ある。

 しかしトラブル対応における場合はおおよそ長時間の拘束になり、しかも今回のように顧客を納得させることの難しい問題は対応に不満を抱えたまま終えることが多い。

 であれば、画一的な処理のしやすいメールに一本化すべきである。電話を閉じることの不満は当然あるだろうが、開いているリスクと負担の方が大きい。


 苑田も落としどころはその辺りだと踏んでいた模様。あっさりと頷き、聞くべきは聞いたとばかりに会議場から去っていった。


「チッ、嫌みを言いたいだけだからヤツはいけ好かないんだ」


 笹見が舌打ちをすると、周囲は苦笑いで返した。能力はともかく、ストレスを他部署にぶつけてくるところが嫌われているのは否めない。しかし、それはそれとして笹見が苛烈な反撃を行う狂犬の片鱗を見せているので、どっちもどっちだろうと思っていた。


「さて、プリズムヴィジョンの方針は分かってもらえたと思うので、そろそろ。不安に思うこと、悩みがあれば上司に相談するように。社長の僕に直通のホットラインで尋ねてきても構わないので。お返事には少し時間をもらうかもしれませんが……。といったところで、終わりにします。みなさん、今日はお時間をいただきありがとうございました」


 苑田が席を立ったから、というわけではないだろうが、タカローも会議の終わりを宣言した。

 オンラインの会議場からは人が消えてゆき、またリアル会議場からも出口に近い人順にはけていく。


 タカローと、そして草凪アリアが会議場に残った。

 部長陣がゆっくりと、あるいはせかせかと自分たちの持ち場に戻るのを見届けて、それからアリアは口を開いた。


「それで、タカローの研究はどうなんだ?」

「まるでダメ。お手上げだね」


 疲れた様子で答える姿に、アリアは天を仰いだ。


 タカローの研究分野は主にAI、人工知能だと思われている。それだけ成果が大きかったからだが、実際のところ、タカローが研究しているのは人間であり、その生物が放つ魅力、あるいは魂という不可思議な痕跡を探している。


 タカローがそれに興味を持ったのは、幼い頃から間近に遠久野ライカという既知の理論では説明し得ない存在があったからだ。

 確かにそこに存在しているはずなのに、年々、顔を失っていく幼馴染。今となっては彼女がどんな笑い方をするのかも覚えていない。

 それでも、ライカが自分を取り除いていく世界に絶望する瞬間は感じ取れた。それはまさしく、タカローが彼女の表情を認識出来なくなった時だったからだ。


 タカローが人間の研究を始めたのも、この時。

 ライカをタカローの世界に留めておくための手段を求めた。


 機械には反映されるのに、生物には認識されない人間。

 素直に考えるのであれば、人間として欠けているものがあるか、もしくは不明な謎の要素を備えている。ライカだけが持つ、その異常さを解析し、対処を施せば問題は解決すると考えたのだ。

 それが何なのかを探すところから始まり、それとはつまり『魂』なのではないかとオカルトな領域に手を出しているのが現状であった。


 かつて海外の研究者が行った実験により、魂には21gの質量が認められた。およそ五百円玉三枚分の重さ。


 実験の正誤には諸説あるが、生きている人間には魂――目にも機械にも観測の難しい不可逆の要素がある、タカローはそう考えることにした。生体が活動を終える時にこれは失われる。その時こそが真なる死である、と。

 この魂を観測する手段の策定は困難を極めた。魂の発露とはあまりにも抽象的な概念であったからだ。何を以て魂と定義するか、そこから始まる。


 魂とは、自己とは。


 概念の糸口を見つけるべく、タカローは生物の人工製造に手を出した。それが人工知能、AIである。

 ライカの類型を産み出し、そこに発生する差、魂を持つはずの人間とそうでないAIとの違いを見つけようとした。


 そこからなぜタカローがプリズムヴィジョンを運営するに至ったか。外部からVtuberという概念が持ち込まれ、よくよく配信者を評する文言に『魂』というものが含まれていたので手を出してみただけにすぎない。サンプル数の確保に役立つと考えた側面もあった。

 結果として実験体と試行数が増え、飛躍的に研究は進み、一見すると完璧に遠久野ライカらしき存在の生成には成功した。


 だがしかし、AIとライカたらしめている、その要素の差異を検出するには至らない。何かが違うのは確実なのだが、その誤差は機械判別を欺き、はっきり違うと見分けられるのはわずかな人間だけであった。

 それでも、どこかココロの奥底で言語化の出来ない差異を視聴者が、観測者たちが感じているのは確か。

 明らかにしない状態でAIによる配信や動画投稿を何度か行った際、明確に配信や動画を評価する機能の使用者が減少する。何らかの違和感を察している。


 この違和感こそがきっと『魂の発露』である、とは推測可能だ。


 そして、そこで止まっている。


 何に起因して発生する事象なのか。どういった効果を持つ現象なのか。そのメカニズムを解き明かした時、ライカにかかった呪いを解くことが出来るのか。

 今のタカローにとっては未来展望を説明することすら難しい課題だ。


「くそっ、時間があれば」

「はは……、僕の方は時間があっても関係なさそうだけれどね。どちらかと言えば、閃きが脳髄に宿るか否か。答えを出すにはそれしか無いような気がしているよ」

「これまでもタカローが電球光らせるのを待ってたんだがな……。マジで四億分の一を引き当てるしか目がないのか」


 アリアは昨日の配信を思い出して頭を振った。

 ダメだった。どうしてもこの短期間でライカを捉えられる人物が現れるとはとても思えない。


「……本当のデッドラインは年末。年賀状を出させるところまでは口にさせた。そこまではセーフティだけどよ、ライブが終わって引退した後にガチで連絡を絶たれたら、あたしらには絶対にライカを見つけられねえぞ」

「分かっているよ。5thライブまでになんとかする必要がある。……さしあたっては、アプローチを変える」

「まあ……これまでの結果がダメなんだから妥当なところだが。具体的には?」


 草凪アリアが尋ねると、タカローは私物のタブレットを掲げた。


「ライカがあらゆる光を飲み込む影だと言うのなら、より強い光をぶつけて鮮明に照らし出す。アリア、きみよりも輝く恒星を」


 影の成分を詳らかにすることは諦めた。

 だが、そんなものが分からずとも、全てを白日の下に晒すことは可能だ。


 無敵の盾を貫ける矛を用意する。


 勇者たる草凪アリアは天才ではなかった。万能の秀才であり、一般人の感覚を逸脱出来ない。

 ゆえにここまでは天才と秀才の両輪で走ってこれた。天才が先を行き、秀才が後を詰める。


 秀才では辿り着けない領域があった。

 遠久野ライカが進む道を、草凪アリアは真昼のように照らすことが出来なかった。


 ――タカローのタブレットには、アリアも良く知る他会社に所属する天才が映っていた。

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