第30話 一難去ってまた一難

 姉様の裏の顔を知ってから、三日が経った。俺はベッドに横たわり、一人部屋の中で体を休めている。今日はルナも俺の所へ顔を出さずに、自室で休んでいるだろう。


あの日から昨日までの間、姉様の性癖について話を聞かされる羽目になったのだが、それが身体的にも精神的にもかなりの苦痛だった。ストレスで飯が喉を通らなくなったのは言うまでもない。


 今朝ようやく自分の領地へと帰っていったのだが、結局俺の評価を下げることは出来ずに終わった。


 まぁよくよく考えて見れば、領主代理になってまだ一カ月しか経っていないのだ。その期間だけで、俺の人間性や能力を判断出来るとは兄様達も思っていないだろう。これからゆっくり、じっくりと悪評を広めていけばいい。


 鈍感な俺はそんな気軽に考えていたのだった。



 シェスカ姉様が去ってから二週間後。敬愛していた姉様の性癖を知ってから、ここ数日の間意気消沈していた俺の元へ、とんでもない報が舞い込んで来た。


「サイクス領から移住希望者がやって来ているだと!?一体何がどうなってるんだ!」


 報告書に書かれた内容を見た俺は、思わずルイスに問いかけた。書類には千人の移住希望者がサイクス領との境界を越えて、最寄りの街であるオスガリアへ向かっていると書かれている。


 ルイスは手に持っていた追加の資料を俺に手渡すと、淡々とした様子で語り始める。


「アルス様が領主に変わったことで、エドハス領の政策が改善されたと噂が流れているようです。農民達への待遇改善の政策が、移住の理由では無いかと」

「まだ施工してから四週間も経っていないのにそこまで広がっているのか?……まさかトト村の件が、隣領にまで影響を出すことになるとは」


 俺は書類を見つめながら唇を噛み締める。ルイスの言う農民達への待遇改善というのは恐らく、領内の貧村に対し行なった二年間の免税と一時的な補助金を与えた政策の件だろう。


俺が帝国の間者に襲われて少しの間屋敷に籠っていた時、暇だったのでたまには領主らしい仕事でもするかと考えたのがその政策だ。


 なぜこんなことをしたかと言えば、トト村ばかりを優遇するわけにはいかなかったから。ただこれに尽きる。『悪徳領主目線』で言えば、一つの村だけ優遇しやがってと悪評を広めるチャンスになるだろう。


しかし、それでは優遇を受けたトト村も迫害される危険性がある。それは俺のポリシーに反するため、平等な政策をとるしかなかった。


 明主として評価が上がってしまうのを避けるために、今回は適度の支援を行ったつもりだったのだが、それでもまだやりすぎだったらしい。


「報告書には千人程度と書いてあるが、サイクス領の人口はどのくらいなんだ?」

「昨年の資料によれば、約三十万人だそうです。三年程前迄は二十五万人を下回っていたようですが、ここ三年でかなり人口が増えたようです」

「なるほど。エドハス領よりも少し多いくらいか……それなら別に問題ないな。千人なんて大した数でもないだろうし、受け入れてやればいい」

「……宜しいのですか?」


 俺の発言にルイスは眉をひそめて見せる。恐らく、サイクス領の領主から難癖をつけられることを懸念しているのだろう。領地から逃げ出したとはいえ、客観的に見れば財産を奪われたようなものだからな。


「心配するなよ、ルイス。サイクス領の領主は確か、ルーミヤット子爵だろ?二度ほど顔を合わせたこともあるし、こっちから文を出せば強くは言ってこれないさ。文句を言われる前に、金でも送っといてやればいい」

「……承知いたしました。では移住希望者は全員受け入れるという事で、宜しいですね?」

「ああ、そうしといてくれ。移住先はなるべくバラけさせるようにな」


 俺の指示を聞き、ルイスは静かに部屋を去っていく。久しぶりに領主らしい仕事をしたので、脳内が仕事モードへと切り替わっていた。


「なんかやる気出てきたなぁ!次の作戦についてでも考えるとするか!」


 手元の資料を読み漁り、この機に乗じて何か出来ないかと策を巡らせる。ただ移住問題はかなりデリケートなものだ。適当な策を打てば、修復不能なダメージを追う可能性もある。ここは慎重に考えていかねば。


 報告書を眺めていると、ふと頭の中にルナの言葉が過る。それは、この街に始めて来た時の事だった。最近魔族の移住者が増加していると。


「確かレイゲルの所に魔族の奴隷が居たはずだ。彼等を使って、なんか出来ないか考えてみるか」


 前回奴隷を使った作戦で失敗しているというのに、俺はまたもや奴隷を使った策を練り始める。だが今回はその失敗を踏まえて考えることが出来るため、そこまで心配する必要はないと思っていた。


「魔族、魔族、魔族が住みやすい街……そうだ!魔族優遇の政策を取れば良いんだ!人間達の血と汗の結晶である税金。その大半を、魔族の待遇改善の為に使うと発表すれば、間違いなく領民の反感を買うことになるぞ!」


 すぐに案を思いついた俺は、手元の報告書に目を移し、移住者達の内訳を確認し始める。


移住というのはそう簡単に出来るのものではない。ドステニア国内で移住するといっても、その際には正式な手続きを踏む必要がある。そこで無くてはならないのが、名前や種族等が記された『市民権』と呼ばれる紙だ。それが無ければ、住んでいた領地へ強制送還されてしまう。


この報告書は、境界付近で兵士達がその『市民権』を確認して作り上げたモノ。恐らく全員を確認する前に、ある程度の予想で書かれたとは思うが、そこに『魔族』の文字は無かった。


「よし!サイクス領からの移住者は全員『人間』だな!これなら魔族の大群が押し寄せてくるなんてことにはならないだろう!」


 今の状況を引き起こした、『待遇改善』の政策。それを今度は魔族を対象に行うのだから、似たような騒動が起きる可能性を考慮しておかないとマズイ。


 噂が広まる速度は、その対象となる人数に比例する。今回は極少人数の魔族を対象にした政策であるため、噂が広まるには時間がかかるだろう。


 それに噂が広まったとしても問題はない。魔族を優遇する領地に移住したい人間などいないはずだ。人間の移住抑制のために、この政策は有効打となるだろう。


 俺はいつものようにベルを鳴らして彼女を呼ぶ。ルナはすぐにやってきて、俺の前で頭を下げた。


「アルス様、お呼びでしょうか」

「ああ。実はルナにちょっとお願いしたいことがあってな。急で悪いが、レイゲルに連絡を取ってくれるか?明日には店に行くから、魔族の奴隷を用意しといて欲しいんだ」

「承知いたしました。では明日の十時頃に伺うと伝えておきます」


 ルナはそう返事をすると僅かに微笑んで部屋を出ていった。あの件以来、ルナは俺の前で良く笑顔を見せるようになった。仲が深まったという事なのだろうが、スキンシップも増えて来たのは少し辛い。


 他の貴族達はどうだか知らないが、メイドに対して欲情するなんてこと、俺の中ではあってはならないことだった。彼女達はあくまで仕事で傍にいてくれるだけ。そこに恋慕を抱くなど失礼極まりない。


 ルナに特別な感情を抱いているといっても、それはあくまでも『尊敬』と『信頼』からくるものであり、恋愛感情である筈がない。


 俺は少し冷静になる為、その場で何度か深呼吸を行ってから再度報告書を眺めだす。


「ふぅ……問題は魔族の奴隷達だな。俺の計画に乗ってくれるかどうか……まぁ上手くいったら奴隷から解放すると契約すれば承諾してくれるだろう」


 今回の作戦は、俺だけでなく彼等も憎悪の標的になってしまう。本来は避けたいと道ではあるが、この作戦を決行する代わりとして、彼等の身の安全は俺が必ず保証する。


 この作戦が上手くいった暁には、未来の自堕落生活に大きく近づくことになるはずだ。

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