第7話 これは、ガラクタではなくて? 

「久しいな、娘。俺は、お前の存在を歓迎しよう」

 あの夜を覚えているぞ、と。

 皇帝は遠回りに宣言して、頬杖をついた。憎らしいその顔を、ルーシーはそれでもどうにか穏やかに見つめ返して、微笑みを浮かべる。

会った小娘への寛大なお言葉、感謝申し上げます」

 皇帝の言葉を真っ向から否定するルーシーに皇帝は唇を吊り上げた。その笑みを見て、魔法使いと紅の公爵夫人は揃って目を剥く。この皇帝が、皇帝となってから、誰かの否定を楽しそうに受け入れたことなど初めてだった。

 皇帝が皇帝となる前から、ずっと傍で成長を見守ってきた二人は、ひっそりと横目で、視線を交わした。

 これは、もしかすると、彼の厚生に繋がる、とても愉快な出会いかもしれないと、胸を躍らせて。

「娘」

「わたくしの名前はルーシー、と、申し上げたはずですが」

 にこやかに笑みを浮かべたまま、ルーシーは強い口調で答える。穏やかに、穏やかに、と思っても上手にウソを吐ききれない。

「ルーシー」

 皇帝は律儀に言いなおして、ルーシーを見た。真っ白な瞳だ。

「はい、皇帝陛下」

「…………。……そなたにとって、王国は、どんな国だ」

 皇帝はルーシーの返事から、僅かに間をあけて、そう問いかける。きっと、その間は、この問いを口にするかどうか、彼が迷った時間だった。捨ててきたものの価値を尋ねることが、ルーシーに傷をつけると知っていて、それに躊躇いを覚えた証拠だった。

 ルーシーはぐっと奥歯を強く噛む。

(あぁ――あなたは、そんな優しさも、持つひとなのね)

 そんな優しさを、持っていると知ってなお、ルーシーはどうしても彼が憎かった。

 ルーシーは真っすぐに皇帝を見据えて口を開く。

「わたくしにとって王国は……」

 語ろうとして、少し、言葉に詰まる。たった四年。されど、四年。触れ合った人々のことを思い返すと、胸がきゅっと縮む。

 あの国に居る人も、白銀の街並みも、見上げた美しい月も――。

「すべてが愛おしい、素敵な国です」

 ルーシーは目を伏せて、皇帝の言葉に答えた。瞼の裏には、結局見送りには現れなかったローガンと、皇帝完全攻略本なんてガラクタを荷物に押し込んできたノアと、無愛想に幸福を祈って送り出してくれたオリバーが浮かぶ。耳を澄ませば、リリィのさえずる鳥のような声とヒースの笑い声が聞こえてくるような気がした。

 すべて、幻だ。

「きっとこれから、帝国が、わたくしにとっての、そういう場所になるのだと、確信しております」

 捨ててきた全てに縋りつこうとする弱さを振り切るように、ルーシーは顔をあげる。皇帝の世界の穴のような真っ白な瞳と正面から視線が交差した。彼は僅かに眉を寄せて、唇を噛む、その表情の意味するところが分からなくて、ルーシーは瞬く。

 瞬く間に、皇帝の表情はがらりと雰囲気を変えた。

 頬杖をついて唇の端をつりあげた皇帝は、嘲るような声音で言葉を紡ぐ。

「俺の言葉を否定する小娘が、この国で居場所を得られるとでも?」

「否定?」

 ルーシーは素知らぬ顔で小首を傾げる。

「はっ。分からぬと申すか。……不快だ。この娘を下がらせよ」

 皇帝は苦々しく顔を歪めて、ルーシーから目を逸らした。命じられた魔法使いは「仰せのままに」と頭をさげる。

「さあ。退場だよ、お姫様」

 くるりと手のひらを返して、リアムは扉を指し示した。ルーシーが目線で抗議するも、魔法使いは静かに首を横に振る。皇帝は人差し指でしきりにひじ掛けを叩いていて、酷く苛立っているのが見て取れた。だからこそ、ルーシーは首を傾げてしまう。

(今の会話の、どこに苛立つことが? 否定されることが許せないなら、最初の「初めて」に怒らなかったのはなぜ?)

 皇帝の感情はぐらぐらと揺れるつみきの城のようで、何を考えているのか掴み切れない。魔法使いに強く促されて扉へと向かいながら、ルーシーは首だけで皇帝を振り返った。

 刹那、視線が、交差して。

 その一瞬に見えた彼は、目じりを下げて、口角を上げていた。僅かに、けれど確実に。

 けれど、次の瞬間には、はっきりと嫌悪に顔を歪めていて、その表情が本物だったのか、願望だったのか、ルーシーにはもう分からなかった。


「あれは、いったい何だったのかしら」

 自室に戻って、僅かばかりの荷物をクローゼットに仕舞いこんでから、ルーシーはふかふかのベッドに両腕を放り出して寝ころんでいた。今までは、昼間から寝そべるなんてと、愛しのメイドに窘められるからできなかったけれど、ここに彼女は居ない。昼間から考え事に沈むにはもって来いだ。

 ごろん、と寝返りを打てば、この部屋に用意されていた数々のドレスが目に入る。

「これは、いったい何かしら」

 そこに並ぶドレスは、ほとんどが青や緑の生地を使ったものだ。それも、ギラギラと宝石を縫い付けた流行りの物ではなく、生地と同じ色の糸で細かな刺繍を施した――――簡潔にいえば、多くの令嬢の好みから大きく外れた、ルーシーの好みにぴたりと一致した誂えのドレスばかりだ。

 間違いなく、ルーシーのために作られた贈り物。

 けれど、皇帝はあの場で、ドレスについては一言も触れなかった。ルーシーも他の二人も手ぶらだったから、先に部屋に寄ったことは想像がついただろうに。

「まったく意味が分からないわ。あの皇帝」

 このドレスから感じ取れる歓迎の心と、ルーシーを追い出したときに見えた嫌悪の感情。

 正反対の感情が、ひとりの人間から生まれている。

「まるで、二人いるみたいね。あなた」

 ノアに、少し似ているだろうか。

 彼は黒の公爵家の嫡男として冷酷に戦場を管理する顔と、敵国だろうと令嬢であれば片端から口説いていく社交界の花としての顔を器用に使い分けている。

 花として振舞っているときはルーシーを令嬢として、やりすぎなくらい丁重に扱う彼だけれど、一度だけ。

 嫡男として戦線を押し上げる作戦会議をしていたときに、ルーシーを兵器として扱って、珍しく本気で怒ったローガンと喧嘩になっていた。仲が悪いようで良くて、やっぱり悪い友人二人の顔を思い出したルーシーの口から小さく笑い声が零れる。

「ふふ」

(あの時は面白かったわ。わたくしが戦場で兵器として人を殺すことを承諾するはずがないのに、わたくしの意見も聞かずに盛り上がって……あの時はどうやって決着がついたのだったかしら)

 記憶をたどってみても、顔を赤らめているローガンと呆気にとられたような顔をしたあとに、にやにやと笑い出したノアしか思い出せなかった。

(だめね。リリィの紅茶が美味しかったことは、こんなに鮮明におぼえているのに)

 でもきっと、その香りの豊かさも、すぐに忘れてしまうのだろう。

 魔女の焼くパイの甘さを、もう思い出せないように。

「あ、そうだわ。ノアと言えば、餞別がガラクタだったんだわ」

 沈みかけた思考に無理やり区切りをつけて、ルーシーはベッドから起き上がった。細々とした宝飾品を仕舞った引き出しの三段目に押し込んだ皇帝完全攻略本ガラクタを取り出す。何枚かの紙が紐で括られているだけの簡素な作りだ。

「これで本を名乗ろうだなんて、書籍に対する冒涜ではなくて?」

 ルーシーは届かない文句をため息にのせて、半分以上呆れながらも一枚目の紙をめくる。

『皇帝完全攻略本

麗しの君へ。

この本を君が読んでいるということは、君はあの宣言通り、帝国へと旅立った後だろう。もとは同じ国とはいえ、あんな理解不能、理不尽の極みと恐れられる皇帝のもとへ君を送り出すことになって、俺は本当に残念だ。君が一言望んでくれるなら、その手を引いてどこまでも共に逃げただろうに』

「わたくしの手を引いては、あなた、一歩も逃げられずに死ぬわよ」

『今、死ぬからにげられないと思ったね? 死は究極の逃避だよ。俺は、君と死ねるならいつだって崖から飛び降りる覚悟は出来ている。死にたくなったら、ぜひ俺も誘ってくれ。

おっと、話がそれたね。

ここからは本当に、俺が数々のご令嬢を口説くときに使って来た、秘儀について語らせて欲しいと思う』

「なるほど。これはガラクタではなくて、ゴミ屑ね」

『女性を口説く手順 そのいち。

まずはデートに誘う。口実はなんだっていい。この場所にいる誰よりも君が美しく見えたとか、今日の月は君のために浮んでいるみたいだとか、その美しさを俺に独り占めさせてほしいとか、そういうことだよ。

まあ、だいたい、褒めていればご令嬢は胸をときめかせて逢瀬に応じてくれる』

「あなた、本当に一度、令嬢に刺された方が身のためよ」

『女性を口説く手順 そのに。

デートに誘ったら、次はそのデートを成功させる。一番肝心なのは、いつもより魅力的な一面を見せること。

例えばローガンなら、少し寝ぐせがついているとか、優柔不断なところがあるとか、紅茶の飲み方が変とか。いや、最後のは人を選ぶかもしれないけど。

ルーシャなら、少し気の弱いところを見せるとぐっとくるかもしれない。いつも毅然としている君だからこそ、小さな虫に驚いてみせたり、何かが上手く出来ないと頼ったりね。

あぁ、でも、俺以外の男に君がそんな一面を晒しているのは、嫌だな。やっぱり、迎えにいってしまおうか』

「うそね」

『なんてね、冗談だから、そんなに冷ややかな顔をしないでおくれ。君の覚悟と憎悪は理解しているつもりだよ。

さて、一度目のデートが成功したら後は簡単。別れ際に次の約束を取り付ける。そして、同じように二度目のデートを成功させる。君と二回も逢瀬を重ねて、キスをしたくならない奴がいいるなら、そいつはもう、何をしてもキスなんてねだらない変人だから、諦めて王国に帰ってくると良い。

君の帰還を喜ばない人間なんて、この国には一人だって居やしないんだから』

「……ノア、あなた相変わらず回りくどい言い方をするのね」

 きっと、彼が書きたかったのは最後の一文だけだろう。

 ルーシーの覚悟も憎悪も理解していて、より多くの民が死ぬ開戦よりも、皇帝の暗殺で戦争が終わる方がいいと花の咲かさない頭で判断していて。

 それでも彼は、ルーシーには帰る場所があると、教えてくれる。

 逃げ帰ってもいいと、優しく帰り道を照らしてくれる。

 なんて遠回りで、優しくて、不器用なひとだろう。

「ありがとう、ノア。おかげで覚悟が決まったわ」

 ルーシーはガラクタから餞別の品に呼び名を変えた「皇帝完全攻略本」を丁寧に閉じてから、勢いをつけて立ち上がった。その反動で天蓋が僅かに揺れる。誰も見ていない。誰も聞いていない。けれど、ずっと見守られている。

 だから、ルーシーは強気な笑みを浮かべて虚空に向かって高らかに宣言した。

「いいでしょう。わたくしは、必ずや太陽皇帝を『でーと』に誘ってみせるわ」

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