第14話


 いつの間に仮面を外したのか、旦那様は素顔のままで眠っていた。

 寝たフリだろうか、なんて好奇心で肩に触れ、首に触れ、仮面を付けたままなら外してさし上げようと思ったら、無かった。

 カーテンが分厚いせいで、朝日が昇っていようとも部屋はほとんど真っ暗。

 だから、手探りでしか分からない。

 その状況がなんだか、気分を高揚させた。

 聖霊たちも気を利かせて、いつの間にか居なくなっている。


「触れても起きないなんて」

 それは、私を少し大胆にさせたかもしれない。

「私のせいでご無理なさりすぎです……」

 その事実は、旦那様への愛おしさをくすぐった。

 ――触れるくらいなら、いいわよね。

 その肌は、見た目の醜悪さとは違ってやっぱり、普通にスベスベとしている。

 実際に変形させられたわけじゃなくて、まだ良かった。

 ――この呪いを解いて差し上げられたら、どんなにいいだろう。

 魔族にかけられたのなら、魔力で何かされたに違いない。

 呪いというよりは、付与か、それに近い何かだろうけど……。

 魔力の通った今の私なら、何か出来たりしないかな。


「アニエス……」

「ひゃっ、ひゃい」

 …………返事をしたのに返事がない。

「寝言ですか……?」

 触れていた手が飛び跳ねたくらい、驚いた。

 心臓も、一気に全力で脈打っている。

「…………これは、お返しが必要ですね」




 日頃の、感謝の気持ちを込めて――。

 私なんかに、ずっとお優しいのに指一本さえ触れてこないのが、逆に色々と気になるというか。

 ……魅力のない私に、興味がないだけだろうけど。

 ――お礼のキスくらいは、してもいいですよね?

 そう思って、寝息を立てる旦那様の頬に手を当てた。

 口の端に指がかかって、その位置を間違えないように。

 あとは、顔を寄せて……。

 そっと、唇を重ねた。

 やわらかな感触を、唇の先でやさしく食むように。


「って、えっ?」

 旦那様の体が、突然光り出した。

 まるで聖霊のように七色の光を帯びて、それが一段と眩しくなって目を開けていられない。

「旦那様っ」

 何が起きているのか分からず、とにかく起こさなくてはと体をゆすって声を掛ける。

「旦那様っ、起きてくださいぃ」

 少しずつ光が弱まっていく最中、旦那様が目を覚ました。


「なっ、何が起きている!」

 ご自分の状態を見て、毛布をはねのけた。

「なんだこれは……」

「分からないです! 急に光り出して!」

 でも、そうこうしているうちに、スゥっと光が収まった。

 目がチカチカしてはっきりと見えないけれど、旦那様が幾分、シュッとしたような気がした。

「カーテン、開けてみますね」

 そして、太陽の光が部屋を照らすと――。


「アニエス……見てくれ。俺は、夢を見ているのか?」

「旦那様…………そのお姿…………」

 ベッドの上には、半裸の美男子が居て私を見ていた。

 煌めく様な銀髪をかき上げる仕草と、ミステリアスな黒い瞳が異様なほど似合っている。

 がっしりとした鍛え上げた体は、均整がとれていて見惚れてしまいそうになる。

 それから、整い過ぎだと思うほどの、綺麗な顔。

 顔と体を交互に見ては、どちらも見たくて視線が定まらない。

「アニエス。返事をしろ」


「あっ。は、はい」

「俺の体はどのように見える」

「……そこに居るのは、旦那様ですか?」

 状況的に、誰かと入れ替わったとは思えないからご本人だろうけど……。

「頓珍漢な返事をするな。俺はどう見えるかと聞いている」

「そっ、それはもう、美しい男性がそこに居るとしか」

 その低くて通る声は、紛れもなく旦那様のもの。

「これは、現実なのか……?」

「旦那様。……解けたのですね」




 それから十分ほどの間――。

 もしかすると、五分くらいかもしれないけれど。

「俺に一体何をしたのか」と問われては、「知りません」と答える攻防が続いている。

 窓の際まで追い込まれて、肩を鷲掴みにされながら。

「お前しかおらんのだ。お前が何かしたのだろうが」

「さ、さぁ……気が付いたら、光っておられたので……」

 綺麗なお顔を寄せられ続けて、さすがにドキドキしつつ。

 こんなに美形で逞しい方だったなら、勝手にアレをしたのはまずかったのではと、尚更に言いにくい気持ちになって葛藤し続けている。


「いい加減、本当の事を言わねば……俺は今後、お前の言うことを一切信じなくなるかもなぁ?」

「えっ、そんな!」

 それは……嫌だ。

「言え」

「うぅ。…………をしました」

「あ?」

「……を、したんです」

「聞こえんぞ。はっきりと言え」

「ぅぅぅ……」

「おい、泣くほどの事か?」


「……したんです! キスを。ごめんなさい! こっそりと勝手にしました!」

「………………は?」

 気の抜けた声を出した旦那様は、「それだけなのか?」と言って、問い詰めるために屈んでいた姿勢をやめて立ち尽くしてしまった。

「……あの。勝手に、ほんとにすみませんでした」

 逆だったら、私なら怒っていたかもしれない。

 夫婦であろうと、勝手にするなんて――と。

「いや……。いや、構わん。というか……感謝する」

「ふぇ?」

 予想外の言葉に、変な声が出てしまった。


「何を試しても戻らなかった。ありとあらゆることを試したのにだ。それが……お前のキスで解けただと」

「いえあの、たまたまそういうタイミングだった……だけかもですし」

「んなわけがあるか。…………この喜びを、どう伝えれば理解してもらえるだろうな」

 その言葉は――。

 あまりに静かに仰るから、そんなに喜んでいるようには見えなかった。


「アニエス。何でも言え。欲しい物、したい事、何でもいい。必ず手に入れてお前にやろう。そして何でもさせてやる」

「えっ……? そ、それじゃあ、魅力のない私が勝手にキスしたこと、許してもらえますか?」

 私が変なことを言ったのか、旦那様は理解できないという顔でゆっくりと首を傾げた。

「……聞き間違いか? 俺は、お前に感謝を示したいと言っているんだ」

「え、ええ。ですから、勝手にそんなことをした無礼を、許してほしいなぁ……なんて」

 旦那様は、今度は難しい顔をして眉間にしわを寄せると、何か得心したように小さく何度も頷き出した。


「そうか。お前はもう、絶対に俺の側から離れるなよ? いつ誰に騙されてもおかしくない頭の構造らしいからな」

「ん……と。どういう……?」

 今若干、馬鹿にされたような気がします。

「良い。気にするな。まあ今後に欲しい物でも出来たら遠慮なく言うといい」

「はぁ……」

「それよりもだ。俺に勝手にキスしたことを許してほしいと言ったな」

「え、ええ。そうです。ほんとにごめんなさい」

 そう言うと、旦那様は少し悪い笑みを浮かべた。

「いいぞ。だが条件がある」

「じょう……けん?」

「そうだ。俺もお前にキスを……いや、勝手にされたのだしなぁ。俺の気の済むまで、お前に触れても良いというなら条件成立だ」


 ――そんなことで……?

 多少のお肉は付いてきたとはいえ、こんな薄い胸と細い体に、触れたいと思うのだろうか。

 あぁ。もしかすると、そう言って私が気に病まないようにと配慮してくださったのかもしれない。

「……はい。そんなことで良いのなら」

「フッ。言ったな? もう覆らんぞ?」

「え、ええ。念を押されると怖い気もしますが」

「よし。それじゃあ、こっちに来い」


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