第11話


「でも、私に魔力があるかどうかは……。私自身、無いものだと思っていますし」

 一番の懸念であるこの問題が、まだ残っている。

「ご安心くださいアニエス様。それはもう、確認済みですよ」

「ああ、最初に出会った時にな」

 リザと旦那様は、口を揃えてそんなことを言う。


「あるんですか? 私に?」

「無ければこの結婚自体が、無かった話だ」

「旦那様、ちゃんと教えて差し上げてください」

 言葉が足りないのだと、リザは旦那様に文句をつけた。

「ちっ。お前には少々、弱みを握られ過ぎてしまったな。……まぁいい。アニエス。お前の魔力を見たやつは、器の小さいゴミのような魔力しか見れなかったらしい」

 言っている意味が、全くわからない。


「お前はこの部屋に目隠しで連れて来られたとして……この屋敷の全体像が分かるか?」

「え? ……いえ、見えるのはこのお部屋だけなのでしょう? 分かるはずがありません」

「似た話でな。お前を見ようとしたやつは、その大き過ぎる器が分からなくて魔力が無いと錯覚したのだろう。何せ、そいつは見ようとした時すでに、お前の器の中に居たのだから」

「えぇ……?」


「まだ発現していないだけで、器はとんでもなく大きい。という事だ」

「私の魔力って、そんなにあるんですか?」

「おそらくだが……発現した時の負荷に、体がまだ耐えられんから開かないんだろうな」

 旦那様の目は真剣で、嘘や冗談を言っているようには見えない。

「それなら……嬉しいのですが。でも、もう成人した十四歳です。どうすればその、大きな魔力に耐えられるようになるんでしょうか」

 身長は、女神だった頃と同じくらいになっているから、きっともう伸びない。

 普通の女性よりも、少し背が低いのが影響しているならもう……。


「だから、食い切れんくらいの食事を与えているだろう? とにかく、先ずはその痩せ細った体を元に戻せ」

「……もうずっとこんな感じですから、あまり増えたりは」

「馬鹿を言うな。一日一食の、それも残りカスのようなものだったと言うじゃないか。ちゃんと食えば人並みにはなる。とにかく、栄養のある食事をしっかり摂れ」

 ……そういうものなのだろうか。

「でも、一食にも慣れてしまいましたし。こう、おなかをぎゅう……っと締めておけば、空腹をけっこう誤魔化せるんですよ?」

「くっ……。アニエス。そういう不憫な話を急にするな。泣けてくる」

 ――旦那様のような方でも涙を浮かべる事があるんだと思っていたら、全員が涙を拭っていた。


「ええっと……すみません」

「とにかく、今は我慢する必要もないのだ。食べたいだけ食べればいい」

 元が女神で食事など必要なかったから、食べたいだけ、というのがよく分からない。

 けれど、言われた通りにしよう。

「分かりました。たくさん食べます」

 お腹いっぱいになると、手が止まってしまうけど……もう何口か、押し込んでみよう。


「アニエス様。そんなに難しいお顔をなさって……重く受け止めなくてもいいですからね? 無理に食べ過ぎてもいけませんから、徐々に慣らしましょう」

 リザは私を抱きしめたまま、優しく背中を撫でてくれた。

 食べきれない申し訳なさとおなかが苦しい時の顔が、はっきりと出てしまったらしい……。

「うん、ありがとうリザ」

「おい。リザには随分と甘えた口調になるのだな。俺にも言ってみろ」

「えっ……」

 そういえば、ついあの頃のような感じがして、そうなってしまった。


「い、いやでも、リザと過ごしていたのは五歳までだったのです。そんな急に言われても……出来ません」

「出来んか?」

「はい」

「……そうか」

 ――この会話は、何だったのだろう。


「えっと、それでは旦那様。アニエス様のお食事の時間ですから。私達は退室いたしましょう。アニエス様、私は仕事に戻りますが、何かあったらすぐにご相談くださいね? 普段はこの、リリアとヒルダに任せておりますので」

(ああ、もう行っちゃうんだ)

「フフ。呼んで頂ければいつでもお会い出来ますから。ね?」

 また、顔に出てしまったらしい。

「わ、わたくしリリアとヒルダ、及ばずながら精一杯お仕えいたしますのでっ」

 ――しまった。そんなつもりではなかったのに。


「ご、ごめんなさい。リリアとヒルダに不満があるわけじゃなくて。その、ほんとに久しぶりだったからで……」

 でもきっと、ものすごく寂しい顔をしてしまったに違いない。

 だから、余計に変な気を遣わせてしまったのだ。

「アニエス様。この子達はまだまだな所がありますから、どんどんご指導お願いしますね?」

「じ、侍女長ぅ!」

 私の話とは別の意味で涙を浮かべたリリスを横目に、リザと旦那様は部屋を出ていった。

 間際にリザは私に一礼をして、そして手を振ってくれたのが嬉しかった。


「えっと、それではお食事、お持ちしますね」

 リリスとヒルダもそう言って、食事を取りに行ってくれた。

 部屋にポツンと残された瞬間に、なぜかじわじわと、再会の感動が込み上げてくる。

「ほんとに……リザだった。このお屋敷に居たなんて……」

 信じ難い計画も聞いてしまった。

 もしも事前に相談されたなら、正気を疑うような内容だ。

 ――ううん、今でもどうかしてるんじゃないかって思う。


「それにしても、私に魔力……あるんだ」

 もしも五歳の時に発現していたら……こんなに苦しい目に遭わなかったのかな?

 それとも、旦那様みたいにもっと見る力のある人だったら……ほんとは優しくしてもらえたのかな。

 ……今更だ。

 今更だけど、やっぱりそういうことも、考えてしまう。

 ここでの厚遇と、どうしても比較してしまう。

 あんなに苦しい思いをしながら、耐え難い空腹と戦いながら……毎日の仕事もおぼつかないくらいにフラフラで。


「……悔しい」

 ――悔しい。

 リザと、ずっと一緒に居たかったのに。

「…………だめね。こんな気持ちじゃ」

 心が荒んでしまっては、神界に戻れなくなるかもしれない。

 それに今は、あの時以上に幸せになる予感があるんだから。



   **



 それから二カ月も経っただろうか。

 外は涼しくなってきて、季節があの寒い冬に近付こうとしている。

「今年はもう、毎日凍えなくてもいいのよね?」

 不意に漏れた言葉で、リリアとヒルダに聞いてしまった。

「えっ? どういうことですか?」

「あ。だ、大丈夫ですよ? 暖炉は毎日ずっとつけておきますし」

 ヒルダは突然のこと過ぎて私の意図が分からず、リリスは察して安心させてくれた。


「ごめんなさい。最近の私って、ちょっと情緒不安定よね」

 ずっと悪い環境の中に居た時は、それが普通なのだと思い込むことが出来たけど……。

 今の環境と、どうしても意図せず比べてしまう。

 比べると、悔しさが胸の中でドロドロとうごめいて、気持ちが沈んでしまうのだ。

 さっきは、本当に辛かった冬を思い出して、もう凍えたくないという強いストレスから声に出てしまった。


 今はもう違う生活で、旦那様に、皆に、護られて平和に暮らせている。

 食事もたくさん頂いて……体もふっくらとしてきた。

 骨と皮しかないような体から、女性らしい丸みが出て来たのだから。

 ――気持ち、切り替えなきゃ。


「そ、それよりもほら、私ってお肉付いたよね? 胸も心なしか、ふくらんできたような?」

 あばら骨の浮いた色気のない状態から、ムニっと触れることが出来るようになった。

「その通りですアニエス様。ですがこうなると、旦那様に気をつけてくださいね? あの人は呪われてしまってから、性欲を持て余していますから」

「こらっ! ヒルダ! 何てこと言うのよ! アニエス様が怯えちゃったらお可哀想でしょ?」

「え~、だって。ご助言は必要じゃないですかぁ」

 ヒルダはこういう子だから、見ていて面白い。

 リリスはきっちりしようとして、ヒルダに振り回されるのが可愛い。


「フフフ。旦那様とは結婚しているのだし、いつかは……という覚悟はしてますよ?」

「え~! あのお顔、直視出来なくないですか? お体見た事ありますか? もっっっっと、えっぐいですからね」

「ちょっと、ヒルダは言い過ぎなのよ!」

「アハハハハ! そう、そうね。とても直視し続けられないわ。でも……触れると普通の体なんですよ? 胸の辺りに本当の傷跡があって、それが呪いの原因かなぁ? なんて考えてるんですけどね」


「は~……アニエス様は、結構肝が据わってますね。私はあのお姿が見た目だけだと分かってても、恐ろしくて触れるのが怖いです」

「ひ~る~だ~? いい加減にしないと、扉の向こうで旦那様が聞いていても知らないからね」

 そんな会話を楽しんでいると、本当にドアをノックされた。

 コンコンコン。

「俺だ。入ってもいいか?」

 私の意志など気にせず、入ってくださって結構ですとお伝えしているのに。

 毎回必ず、ノックをしてこのように伺ってくださる。


「旦那様、どうぞお入りください」

 だから、私はなんだかそれが嬉しくて、毎回扉の前まで出迎えるようになった。

「なんだ。座っていろというのに」

「いいんです。私は何も返せませんから、せめて扉までくらいお迎えさせてくださいな」

「今が大事な時なんだ。ゆっくりしていろ」

「もう。まるで妊娠しているみたいな会話ですね」

 ――いや、そういうことは致してないから、ありえないはずだけど。

 もしかして、寝ている間に……?

「お前、失礼な事を考えているだろう」

「ひぇ? い、いいえ何も」


「妊娠ではなくて、魔力の発現だ。鍛えていないお前の体で、その魔力に耐えられるかギリギリの所なんだ」

「えっ? 発現するんですか?」

 まだお肉がついてきたくらいだし、まだまだ先のことかと思っていた。

「おそらくな。肉が少し付いただけで、これから鍛えて体力をつけさせたかったんだが……すでに暴走の兆しがある」

「暴走ですか? もっとこう、ふわっと開くものかと思っていました」

「普通はそうだが、お前ほど強大な魔力を持っていると話は違う。アニエス、お前何か隠していないか? 本当は何か苦痛に感じているなどはないか?」

「そんな。こんなに良くして頂いているのに」

 ――ああ、さっきのような、比較してしまって落ち込む様な?


「無いのならいい。とにかく、暴走が始まったら俺が少し抑えてやる。痛みまでは何ともしてやれんから、覚悟しておけよ?」

「痛いのは嫌です」

「嫌と言っても仕方が――」

「――いっっ!」

 突然、全身を貫く様な激痛が走った。

 そのせいで、きっと誰にも見せたことのないような、引きつった顔をしているに違いない。

 とにかく体の内側が、痛い!


「だんな……さま」

 体が引き裂かれる!

 血管が、裂けていく!

「アニエス!」

 激痛が広がって、今はもう、声も出せない。

 呼吸が引きつって、上手く息が出来ない。

 ――ひっ、ひっ、ひっ。

 いびつな呼吸が気持ち悪い。

「ひぃっ!」

 急に起こる最大級の痛み!


 それに引き続いて、断続的に特大と極大の痛みが交互に襲ってくる。

 ――痛い!

 痛い痛い痛い痛い!

 たすけて、たすけて、だんなさま。

「た――す、け…………」

 皆が何か声を掛けてくれているけれど、何も聞こえない。

 私を囲んで、きっと私よりも悲痛な顔をしている。



   **



 私は、これでも女神の端くれ。

 ポンコツと言われても、だからといって特別劣っているわけでもない。

 ただ皆よりも少し遅かったり、恋愛が分からないというだけ。

 のんびりしているとも、よく言われた。

 でもそれは、私は好きな言葉だった。

 私の笑顔で、皆も笑顔になった。

 私が微笑むと、怒っている男神も収めてくれた。

 精霊も聖霊も、私を見つけると集まってくれていた。

 皆のことが大好きで、皆もきっと、私を好きでいてくれた。



(あぁ。もう、神界に還らないといけないのね)

 人の身で耐えられる痛みじゃなかったから。

 きっと、あの体には女神の力は強過ぎたのね。

 せっかく、幸せな毎日を過ごして、旦那様のこともよく分かるようになってきたのに。

 もっと、仲良くなりたかった。


 ……この気持ちが恋愛の好きだというなら、少し分かったかもしれない。

 根は優しくて、気遣いをよくなさる方。

 一緒に食事をしましょうと言っても、忙しいと言って頑なに拒んだその裏に、ご自身のお姿を気にしていらしたのを知っている。

 ヒルダに「あいつの食欲を失せさせてはいかんからな」と、こっそり言っていたのを教えてもらったから。

 ヒルダがおしゃべりなのを知らない旦那様。

 そんなところも、可愛らしい。


 苛烈な性格なのは、仲間をお護りになるため。

 仲間を護るためのご自身が、死なないようにするため。

 ご自分を後回しにして、誰かのために動き続けているのを知っている。

 それが、辺境伯たる自分の役目なのだと、誇りに思っていらっしゃる。

 そんな旦那様を、私もお支えしたいと……。

 それなのに――。

 お別れも言えずに、申し訳ありません。


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