第4話


 私に優しくしてくれていた侍女達は、皆辞めさせられてしまった。


 最初はリザ。


 それから、新しい人が入る度に、入れ替わりで辞めさせられていった。


 父は、新しい侍女達にこう告げていた。


「アニエスを甘やかす者は即刻、首にする。笑顔一つ見せてはならん!」と。


 母がそうさせたのだ。


 父はそれを受け入れた。


 今はもう、私に笑顔を見せてくれる人は、この屋敷には居なくなってしまった。


 自分の部屋に居ても、まるで天涯孤独になったような錯覚に陥ってしまう。


 ……ちがう。


 錯覚ではなくて、一人になってしまったのだ。




 数日……もしくは数週間だろうか。私はふさぎ込んでいた。


 食事を満足に貰えなくなったせいも、あるかもしれない。


 一日に一度。


 まるで味のないスープと、小さな乾いたパン。


 数日に一度だけ、肉の欠片がついた骨が出る。


 それが今の、私へのご馳走らしかった。


 水だけは、死なないように与えてくれているけれど。


 このままでは、衰弱して死んでしまう。


 両親は私を、殺す気なのだろうか。


 体力が残っているうちに、窓から逃げ出した方がいいのかもしれない。


 ……せめて、女神の力が戻ってくれれば。


 食べなくても死なないし、弱りもしない。


 傷も瞬く間に治る。


 ――なのに、どうして。


 どうして力が戻らないの?


 今になって、ようやく焦りだした。


 もう手遅れだというのに。




 私は、冷静になったつもりで、窓から逃げることに決めた。


 ここは二階だから、なんとか降りられるかもしれない。


 そう思うと居ても立っても居られなくて、夜になるのを待って逃げようとした。


 結果は……カーテンを上手く結べず、高さに怯えて飛び降りようかと迷っているところを見つかってしまった。


 それからというもの、窓には格子をはめ込まれてしまった。


「もたもたしていたから……自分で逃げ道まで潰してしまったわね……」


 もう、自暴自棄になりそうだった。

 


   **



 毎日、母から罵声を浴びせられる。


「お前に魔力が無いせいで、婚約相手なんて一生見つからない! 自分の食い扶持くらい自分で稼ぎなさい!」


 毎朝、部屋に来てはこんな調子で怒鳴り散らして、去って行く。


 五歳の子供に、箱入り娘だった私に、随分と無茶を言ってくれる。


 ……でも、私は女神だった二百年、何をしていただろう。


 私はただの子供ではなくて、女神だ。


 経験の全てを生かして、なんとか本来の目的を達成しなくてはいけない。


 女神だった時の仕事は、人の身となった今でもそれなりに出来るはずだ。


 ――と、思ったけれど。


 全て女神の力を使ったもので、それを使えない私に出来るものが何もないことが、分かってしまった。


「毎日部屋でぼんやりして! 侍女の真似事でもしたらどうなの! お前はもう、令嬢でも何でもないんだからね!」


 ある朝、母からそんなことを言われてハッとなった。


(そうだ。侍女の仕事を覚えて、主神様のお子のお屋敷で雇ってもらおう)


 そうすればこの屋敷から出られるし、見初めてもらうチャンスも生まれるかもしれない。


 ……そのお屋敷がどこで誰の家かも、分からないままだけど。




 侍女に混じって仕事をし始めると、その姿に溜飲を下げたのか、母からの当たりは少しばかり落ち着いた。


 私が視界に入るとほくそ笑むようになった。


 侍女達と一緒にお辞儀をするから、それが心地良いのだろうか、冷笑される。


 ――私としては、怒鳴られるよりも断然良い。


 ただ、落ち着いた態度がまた気に障ったのか、すぐに怒鳴られるようになってしまった。


 それから何日かすると、侍女達からも激しく叱責されるようになった。


 私の仕事が遅いから、仕方がないのだけど。


 ……けれど、理由は仕事のせいではなかったのだと、すぐに分かった。


 彼女達は、母の前でしか叱責しない。


 そればかりか、仕事の指示以外で口をきいてくれなかった皆が、一言二言、話しかけてくれるようになった。


 私を庇うために、あえて母の前では厳しくし、見つからない所では「これ食べなさい」と、ひと口大のチーズを口に入れてくれたのだ。


「早く食べるのよ。見つかったらただでは済まないから」


 私はコクコクと頷き、「しー!」と合図をされるままに口を閉ざし、小さく、小さく頭を下げた。


 ――彼女達は、どうやら『貴雀会』という会員らしい。


 このお屋敷をクビにされた、前の侍女達……特にリザが声を掛け始め、私のために結成してくれたのだという。


 最初は、私が孤立して苦しまないようにするための会だったけれど、侍女達の相互扶助会としても十分に機能しているらしい。


 ここには、メアリー、ミンシア、エリー、ライラという四人が入っていると教えられた。


 けれど、私がうっかり名を呼んではいけないからと、誰が誰とは言ってくれなかった。


 どういう繋がりがあるのか……とにかくリザは、色々と動き回ってくれていたのだ。


「出来ることは少ないけど、あなたは一人じゃないからね」


 別の侍女もそう言って、母の目を盗んでチーズをくれた。


 皆の食事も、そこまで満足な量ではないはずなのに。


 ただ、自分では気付かなかったけれど、私は相当痩せこけているらしかった。


 確かに、夜に一度だけの食事で、味のないスープと小さなパンだけではお腹が減って辛かった。


 辛いどころではないけど、おなかをぎゅーっとへこませていると、少しだけ気が紛れる。


 それに気付いてからは、ずっとそうして誤魔化していた。


 あとは、仕事をしている間は、それに集中して気を紛らわせることが出来たから耐えられた。


 夜は、部屋に置かれている食事をゆっくりと食べて、そして水をたくさん飲んで寝てしまう。


 空腹で目が覚める早朝は、ちょうど仕事の時間だから目覚まし代わりになっていた。


 そんなことを、少し話をするようになった侍女達と仕事の合間に話していると、皆が泣いてしまう程度には酷い仕打ちだったらしい。




 神界では、特に決まった食事をするという概念が無かったので、空腹感さえ無視出来れば大丈夫と思っていたけれど……この体ではたしかに耐え難い苦痛だった。


 でも、私はどちらかと言うと痛みの方が嫌だったので、仕事でケガをしないようにと気を付けていたから、仕事への集中も相まって、なんとか耐えられたのだ。


 ともかく、そんな食事事情を知った侍女達は、母に『嘆願』してくれたらしい。


「フラフラしてばかりで仕事がはかどらなくて邪魔になる」と、上手くこじつけて。


 食事を与えていないことが外に漏れて、万が一にも憲兵や審問会に伝わると碌なことにならないと付け加えたら、母は顔色を変えていたから大丈夫だろうと言っていた。


 その言葉通り、それからすぐに、夜の食事に限っては侍女の皆と一緒に、同じものを食べられるようになった。


 暖かい味のあるスープに、両手でやっと包める大きくて柔らかいパン。


 焼いたお肉に卵と、サラダまで。


 こんなご馳走が毎日食べられるなんて、まるで夢のようだと思った。


 相変わらず、私にはその一食だけだけれど……おなかいっぱいに食べられて幸せだった。


 どんな理由であれ、夜の一食が頼りの私にとっては、大袈裟では無くて本当に救われた。




 でも、冬はさすがにそれだけでは、体への蓄えが足りなかったらしい。


 それというのも実は、夜の食事はまた部屋で食べるようにと母に言われ、そしてそのうち、少しずつ量も品数も減らされていたから。


 部屋は、娘として与えられたままだったけど、暖炉を使わせてもらえない。


 その寒さと栄養失調で、風邪を引いてしまったのだ。


 高熱が出て、喉が痛んで水さえ飲み込むのが辛い。


 体の節々も、動くたびに悲鳴をあげる。


 全身の皮膚さえ痛くて、何がこすれてもぴりぴりと痛む。


 私はこの風邪で、「もう死んでしまうのか」と本気で思っていた。


 侍女達が交代で看病をしてくれても、こっそり持って来てくれたチーズなどは固形物なので喉を通らない。


 だから、皆は水入れにスープを忍ばせて、なんとか栄養を取らせてくれた。




 ――侍女達は、どこにも嫁入り出来ない私を疎んだ母が、栄養失調にして殺す気なのだろうと噂している。


 私も、実はそうなのではないかなと、薄々思っていたけれど。


 母は、料理長や侍女達には、「娘本人が、量を減らせと言っているのだから」と言って、手ずから運んでいる。


 私が言ったということにして、餓死しようが私の責任ということにするのだろう。


 ……主神様のお子と良い関係になって、神界での玉の輿を目指すなどと、浅はかなことを考えた末がこのありさまだった。


 もはや、その人に出会うことも出来ないままに死んでしまうかもしれない。


 人間界とはこんなに厳しい世界だなんて、想像も出来なかった。


 主神様はもしかすると、のんびりとした性格で考えも浅い私に、思い知らせるために落ちる許可を下さったのかもしれない。


「それなら……納得……」


 声にならない声で、自分に言い聞かせた。


 それでも私は、私の意志で人間界に落ちてきたのだ。


 無様だろうと、苦しかろうと、目的としたことを最後まで諦めるわけにはいかない。


 状況が辛いからと諦めてしまうには、まだ早い。


 だって……侍女達は私のために……リザが私を想って……これまで命と心を繋いでくれたのだから。




 ――もっと真摯に、そして私を助けてくれる皆に、もっともっと感謝をして生きなくてはいけないと思った。


 もちろん、それに気付かせてくれた父と母にも。


 悪いお手本を見ているからこそ、良い行いを――無償の慈愛で行ってくれる人が居ることを、知ることが出来たのだから。



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