第45話


 天龍国を蝕んでいたすべての騒動が終結し、早数週間経った。朱亜シュアは城下町を歩く。城下町の賑やかさは、彼女が初めてこの世界に降り立った時と変わらなかった。


「皇子様のご誕生、めでたいなぁ」

「本当に!」

「太子様も公主様も、弟君様の誕生をお喜びになっているでしょうね」

「いやいや、これから跡目争いが始まるかもしれんぞ」


 噂好きの国民が口々に話をしている。みんな、王宮の中で何が起きたのか知らないのだ。朱亜はこっそりとため息をついた。隣にいる魅音ミオンも、やれやれと肩を落とす。


 春依シュンイー公主が主導して邪王を蘇らせようとしたこと、国民を殺し心臓を奪って、薬を作り続けたこと。そして、邪王と契約していた雨龍ウーロン太子が死んだこと。皇帝・颯龍ソンロンはそのすべてを闇に葬ることにした。新たな皇子誕生のお祝いの雰囲気を壊したくないのか。もしかしたら、別の事情があるのかもしれない。だって、王族の醜聞はやがて皇帝の悪評となる。100年、1000年もその悪評が語り継がれることに恐れをなしたのかもしれない、と朱亜は思った。とにかく、今回の事件について知っている人々には強い箝口令が敷かれた。森中をうろついていた妖獣が姿を消したことについても、たとえ聞かれても黙秘を貫くらしい。


 ただ、雨龍の死去は後々広く知らされるらしい。こればっかりは隠し通すこともできないことだから、仕方ないのだろう。


「お嬢さん方、暇かい?」


 突然、2人組の男に話しかけられる朱亜と魅音。朱亜は魅音をとっさに庇う。男たちはなんだが柄がわるく、朱亜たちを見てニヤニヤと笑っている。花街で死ぬほど見てきた男の顔だ、と魅音はげんなりと息を吐く。


「行きましょう、朱亜」


 魅音は朱亜の手首を掴み、今来た道を引き返す。幸いなことに、男たちは追いかけてこなかった。


「助かったわね」

「うん、ありがとう魅音」

「アイツらに言ってんのよ。朱亜に手を出したら、まずは朱亜にボコボコにされて、その後社会的に死ぬんでしょ?」

「社会的に? どういうこと?」

「あら~。しらばっくれちゃって。皇子殿下のご寵愛を受ける愛妾に手をつけたらどうなるか……殿下に今の事話して、どんな反応するか見てみたいわ」


 魅音はニヤニヤと笑っている。その顔がなんだか苛立たしくて、朱亜は魅音を小突いた。魅音は変な笑みをやめて、今度はとても深刻な表情を見せた。


「聞いた? 公主様の事」

「うん、明豪ミンハオが色々教えてくれるよ」


 春依は、後宮の地下牢に一生投獄されることになった。本来ならば死罪だったのだろうが、彼女がまだ若いこと、そして皇帝の実子であることが考慮されたようだ。彼女は真っ暗な地下牢で、雨龍や自分が殺め続けた人々の命への弔いをしているらしい。彼女に会うことができる人間は食事や身の回りの世話を焼くほんのわずか限られた役人のみ。実母である香玲シャンレイ皇后も会うことはできないそうだ。

 

 香玲は春依のことを嘆き、失った悲しみを紛らわせるように新たな皇子の世話に没頭しているらしい。一方、貴妃・美花ミンファは悲しみの中にあると明豪が言っていた。無理もない、最愛の我が子を失ったのだから。美花はすっかり気落ちして食欲もなく、彼女から頼られている明豪はしょっちゅう呼び出されている、とのこと。後宮は深い悲しみに包まれていて、これが癒えるまで果てしなく時間がかかりそうだった。


「魅音も、その……大丈夫? 劉秀リュウシウとか」

「アイツ、元々おしゃべりじゃないからね」


 劉秀が持ってきた証拠により、孟秀敏モン シウミンは捕らえられた。自殺してしまったシェン家の当主の代わりに、加担していた沈家の者たちが次々に逮捕されている。孟秀敏は取り調べもごねているようだが、証拠となった帳簿や沈家の新たな当主・沈泰然タイランの証言によって有罪はほぼ確定的。時期を見計らって今回の盗難事件にかかわっていた者たちの多くは死罪になるだろう、濡れ衣を着せられた魅音の父のように。


「まあ、素直に自供してる者たちの罪は軽くするよう、皇帝陛下にはお願いしたし、劉秀はすぐに釈放されたんだから……多分大丈夫でしょう? この際自分の家の事よりも、万家の心配しなさいって言ってあるし」

「魅音も、自分の家の事よりも劉秀の心配ばっかりしてたじゃん」

「うるさいわね!」


 劉秀は悪事を告発し事件解決に一役買ったため、数日王宮に泊まり込んで取り調べを受けることになったがすぐに釈放されて、鈴麗宮に戻ってきた。胸を撫でおろす皓宇ハオユーや朱亜、ジン。一番心配していたのは魅音で、戻ってきた彼に飛びついて泣きじゃくっていた。そのことをからかうと、今度は魅音が朱亜を小突く。

 そして、ワン家の名誉も無事に回復された。今、魅音は遠くに散り散りとなってしまった親族たちを再び都に集めようとしている。彼女と劉秀だけの手では復興は難しく、ひとつでも多くの手を借りたいのだ。彼女は皇帝の前で高らかに誓っていた。


「必ずや再び万家を盛り立て、私が当主となり皇帝陛下をお支えいたします。どうかその日までお待ちいただければ幸いでございます」


 疲れ切ってぼんやりとしていた皇帝も、その頼もしさに深く頷いていた。その時、王宮に自由に出入りして首飾りを探す許しも得ていたところを見ると、彼女もちゃっかりとしている。沈家も、さすがに国宝でもある天龍の首飾りには手を付けていないようだ。ならば、あれはどこへ消えたのか……そして100年後の邪王はどこでそれを見つけたのか。そればかりは【】に聞かなければわかりそうにない。


 魅音はまず、地道に信頼を勝ち取るためにも仕事を始めることにしたようだ。後宮や他の貴族の女性たちに、舞や楽器を教える。劉秀はそんな彼女に付き従っている。朱亜の目には皓宇に従っていた時よりも甲斐甲斐しく見えた。けれど、魅音はそれが気に入らない様子。


「アイツも煮え切らないっていうか……元々は許嫁よ? もっとぐいっと来てもいいものを」

「直接言えば?」

「いやよ、はしたないでしょ。あ、朱亜、これなんてどう?」


 魅音は店先に並んだかんざしを指さした。


「うーん……どうだろう?」

「アンタ、これで何軒目だと思ってるの? いい加減にしてよね」

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