四 邪王城

第41話


「……ッ!」


 朱亜は目を覚ます。


 あれ? 死んだはずなのに! 驚きのせいで心臓がバクバクと強く早く脈打った。朱亜は何度も深呼吸を繰り返す。口からもれる生温かい息。……生きている。自分、生きてる! 死んでいない! でも、ここはどこなの?

 真っ暗で身動きの取れない狭い場所に朱亜は閉じ込められていた。手足を動かすと、石同士がぶつかるような音が聞こえてくる。藻掻くように腕を伸ばすと、天井に触れた。朱亜はそこをずっと押すと、少しだけ浮いた。ほんの少しだけ光が漏れる。


「~~うぅ、よいしょ!」


 ぐっと力を込めて、天井を押しこんだ。ズ……ズ……と引きずるような音と共に、頭上に人一人が抜け出せるくらいの隙間ができた。朱亜はそこに身を滑り込ませる。そこがどこかわからないけれど、外だ! 狭苦しいところで動揺していた朱亜は自分を落ち着かせようと大きく息を吸うけれど、そこは朱亜にとって【嫌な臭い】で満ちていた。咽るように咳き込む。


「何なのよ、一体……」


 そこから抜け出し、朱亜は振り返った。彼女が閉じ込められていたのは、細長い箱、いや、棺のようなものだった。周囲を見渡す朱亜。自分がどこにいるのかすぐに気づいた。驚きのあまり体が震え始める。そこは見覚えのある場所だった。


「邪王城の宝物庫……」


 床はあの時の朱亜が荒らしたときのまま。どうしてここにいるのかわからない。だってここは、100年後の天龍国。皓宇たちがいた時代ではない。事態を呑み込めずにいると、棺の近くに天龍の剣と首飾りが落ちていているのが目に入った。朱亜はすがるようにそれらを取ろうとするが……。


「うわっ!」


 服の裾を踏んで転んでしまった。朱亜はすぐに立ち上がり、自分が着ている服を見た。深紅の下裳、絹でできた真っ白な上衣。そして、花柄の美しい帯。そして自分の頭にも触れた、今まで気づかなかったけれど髪が腰のあたりまで伸びている。頭のてっぺんはお団子が結われていて、かんざしも刺さっている。その姿、朱亜には覚えがあった。


 ――とてもよく似合っているよ、その恰好

 ――お前の時代も、そのような服が自由に着ることのできる世になるといいな


 花街に潜入していた時に借りていた服にそっくりだ。あの時の皓宇の言葉を朱亜は思い出す。棺の中を見ると水晶のかけらが一緒に押し込まれていた。きっと、天龍の首飾りを取ろうとした時に割った大きな水晶だ。その中に入っていたものは何だったのか、朱亜は改めて思い出す。


「あれはウチのそっくりさんでも人形でもなくて……うそでしょ、まさか……」


 あの中に入っていたものは、朱亜の死体のようなものではなくて【】だったのだ。あの時春依に刺殺された、! 


 その瞬間、彼女はすべてを理解した。皓宇が朱亜に何をしたのか。そして今、彼がどうなっているのか。


「……あのバカ! なんでこんなことをするの!」


 動きづらい下裳の裾を引き裂き、落ちていた天龍の剣と首飾りを手に、朱亜は宝物庫を飛び出す。走って向かう先は邪王の玉座。100年前と玉座の場所が変わっていないのであれば、もうそこは目をつぶってでも行くことができる場所。朱亜は廊下を這う死体で出来た兵を無視して一目散にそこへ向かう。


 玉座へ続く扉は、とても重たい。しかし朱亜はそんなことも気にせず、勢いよく開いていく。邪王の真の姿を見て、自分の予想が間違いであると思いたかったから。しかしその希望はいとも簡単に打ち砕かれた。


 玉座に佇む男は、金色の長い髪をなびかせていた。朱亜がその名を呼ぼうとするより先に、男は振り返った。


「時間がかかったな。100年か」


 その姿も髪も皓宇そのものだった。朱亜は愕然として、膝が震えだす。声を出すこともできなかった。皓宇と違う所をあえて探そうとするならば、尊大な態度と低い声、そして白目まで真っ黒に染まってしまった目。首から邪王の印章を下げて、手を背中に回して胸を大きく張っている。皓宇は身も心も、邪王に支配されてしまったのだ。


「完全に力を取り戻していなかったとはいえ……ずいぶんかかったものだ。これでようやっと我もこの依り代の願いから解放される」

「皓宇は……なんで……」


 朱亜の絞り出したような声に応えるように、邪王は口角をにやりと上げた。


「お前のおかげだ、天龍に選ばれた子とやら。お前が死んでくれたおかげで、この男は我と契約するに至ったのだ」


 邪王は嬉しそうに100年前の出来事を話し始める。それは朱亜が死んでしまった後の事。体が上手く動かなくて、朱亜はその話を聞く他なかった。


「お前はあの時、ほぼ即死の状態だった。この男は何度もお前に『目を開けろ』だのわめいていたなぁ……」


 再び印章の中に封印された邪王はほくそ笑んだ。朱亜を失い動揺している皓宇を利用して、再びこの世に蘇ろうとしたのだ。邪王は皓宇にある提案を持ち掛ける。


「我と契約したら、その女を生き返らせてやってもいい。一度そう囁いただけで、コイツはすぐに印章を手に取ったよ。愚かで浅慮な男で助かった」


 皓宇は躊躇しなかった。母・鈴麗、妻・翠蘭のみならず……信頼し心を許していた朱亜まで彼を残して死んでしまった。しかも、翠蘭と同じように皓宇を守るために。その事実が、皓宇の強かった意思を簡単に砕いていったのだ。


 彼の願いは『朱亜を生き返らせて、再び会いたい』という、傍から見たら身勝手で、彼にとってはとても切実なもの。邪王にとっては好都合な存在だった。彼は雨龍とは異なり健康な体だったことも邪王にとってはとても幸運な事で、皓宇を依り代にし再び力を取り戻した邪王はあっという間に天龍国を恐怖で支配した。あの豊かな国で生きていた人たちがどうなったのかと邪王は語りだそうとしたけれど、朱亜は聞きたくないと耳を塞いだ。


「唯一の誤算はお前だった。天龍の子よ。我の力で命を蘇らせることはできたが、目を覚まそうとしない」


 皓宇の願いには『朱亜と再び出会う』ことも含まれていた。邪王の力によって一命をとりとめた朱亜。しかし、一向に目を開けようとはせず、体もぴくりとも動かない。皓宇の願いは叶わないまま。契約を守ることができなければ邪王は三度印章に封印されてしまうだろう。せっかく得た機会、それだけは避けなくてはならない。邪王は仕方なく、朱亜を水晶の中に閉じ込めたのだ。


「お前の肉体の時間をできる限り止めるよう、あの水晶には我が力を込めた――だがその時から、この依り代の男の意識が時折蘇るようになっていった。それも誤算だったな」


 朱亜はハッと顔を上げる。


「その手に持っている忌々しい首飾りも、この男がどこからか見つけ出し、お前の首にかけたものだ。ふんっ、愛しい者を蘇らせたいなどというくだらない願いのせいかもしれない。100年経った今でもこの男を完璧に支配できていない……水晶が割れ、お前を棺に納めたのもこやつの仕業だ」


 邪王は「くだらない」と何度も繰り返して笑った。それが、朱亜の怒りに火を付けた。朱亜はまっすぐ邪王を見据え、剣を構える。


「くだらなくなんてない!」

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