第24話


 魅蘭の叫びに皓宇は動じなかった。朱亜が取り押さえているから安心している……というわけでもなさそうだ。もしかしたら、彼には初めから魅蘭にそう言われるのを覚悟していたのかもしれない。


「どういうこと? やっぱり、魅蘭が万家の生き残りの娘なの?」


 朱亜の問いかけに、皓宇は頷いた。皓宇は万家が罪人の一族となった5年前の事件のことを思い出していた。あれは、昏睡状態が続いた雨龍が目覚めたころだっただろうか。


「皇帝陛下! 申し上げます!」


 早朝の会議、みな雨龍が目覚めたことに安堵していた。そんな穏やかな時に飛び込んできた、騒々しい兵。その失礼な態度を諫めたのは万家の当主であると聞いている。


「よい、何か起きたのかもしれない。お前、話してみろ」

「はっ! 大変でございます、皇帝陛下。王宮の宝物庫から陛下所蔵の宝や芸術品のほとんどが……なくなっております」


 颯龍はとても驚き、まずは急いで宝物庫を確認した。あの中には歴代の皇帝たちが国内外から集めた高価な品が収納されていたはずだ。それに、天龍国の秘宝でもあり、万家の家宝として預かっていた天龍の首飾りだってある。宝物庫の前は兵士たちで騒がしいが、皇帝がお出ましになると皆静まり返り、道を開けた。


「な、なんだこれは……ほとんど空ではないか!」


 颯龍はがっくりと膝を地につける。孟秀敏がそれを支える。


「誰が、ここにあった物は一体どこへ行ったのだ?」


 その宰相の問いに答えたのは、初めにこの報を届けた兵だった。


「……わかりません。偶然通りかかった際に扉が開いておりまして、中を見たら、空同然になっていることに気付きました」

「誰かが盗み出したに違いない! 早く探し出せ! これは皇帝陛下を辱める、とても重たい罪だぞ!」


 王宮の兵による聞き込みは昼夜や場所問わず行われた。容疑をかけられたものは皇帝以外の全員。王宮に自由に出入りできる皓宇も疑われたが、妻・翠蘭がずっと共にいたと庇ってくれた。


 事件が大きく動いたのはそれから数日後。闇市で高級品や希少な芸術品を売りさばかれているのが見つかる。その売人は捕まり、皇帝の御前を汚した。


「私は、ただ買い取った物を売ろうとしていただけでございます! 皇帝陛下を侮辱するつもりなんて、そんな……」

「誰から買い取ったのか。その名を言えば、命を助けることも考えよう」


 売人はパッと顔を上げる。


「私に売りつけてきた者は、自らを『万』と名乗っておりました!」


 皆の視線が万家の当主に向く。彼は驚き、瞬きの回数が増えていく。


「陛下! 私たちは無実です! これは嘘にございます! 何者かが我ら万家を貶めるために……!」

「いや、万家の者なら自由にあの宝物庫に出入りできるであろう!」

「それは孟氏も沈氏も同じなはず! 我が万家だけが管理していたわけでは……」


 万家当主の反論に、孟秀敏はさらに追及しようとしていた。しかし、颯龍が口を開くと場は一気に静まり返った。


「もうよい。……お前は私が幼いころからよく皇帝一族に尽くしてくれた……残念でならない」

「陛下、ですからこれは何かの間違いで……我が一族は無実でございます! 本当です!」

「この期に及んで言い訳か!」

「本当に、皇帝陛下にも天龍様にも誓って申し上げているのです! この身にそのような悪行、覚えはございません! 沈氏も何か言ってください!」


 沈家の当主は口を閉ざし、視線を万氏から背けた。


「もうよい、と言ったのだ。私を貶した罪は重い、一族全員に償ってもらう必要があるな」


 万氏の顔は一気に青ざめる。体が震えだし、冷や汗が顔じゅうを伝った。


「万を捕らえよ。明朝、腰斬の刑に処すよう。準備を整えておけ」

「承知いたしました」


 腰斬とは、天龍国の法で最も重い刑罰である。罪人の胴体を大きな鋸で真っ二つに切断する。万氏は己の罪から抗いたかったのか、玉座の前から逃げ出した。その動きは素早く、この場では誰も捕らえることはできなかった。


 しかし、彼は自らの居宅に逃げ込んだところ、近衛兵たちによって捕まる。そして皇帝が命じた通りに翌朝には刑に処されていた。その死体は、まるで「悪いことをしてはいけない」と国民に広く啓蒙するように野ざらしに置き去りにされ、その数日後には心臓が盗み出されていた。


 皓宇は目を閉じる。魅蘭からすれば、余裕そうな態度が気に食わなかった。その首に通る太い血管を裂いてやりたいけれど、朱亜の力が想像していた以上に強すぎて身動きも取れない。ただ呻いて、父の最期の姿を思い出すしかなかった。


「お前たち、早く逃げろ!」


 妓女・魅蘭こと万 魅音。彼女はあの時、万家の屋敷にいた。父の言葉に、母ともども戸惑う。


「あなた、どういうことですか?」

「いいから! 早く逃げる支度をしなさい!」


 魅音がきょとんと母と顔を見合わせていると、外が騒々しくなり、男たちが屋敷にズカズカと乗り込んでくる。母は魅音を抱きしめた。


「早く捕まえろ! 皇帝陛下を侮辱した大罪人だ!」

「あなた!」

「お父様!」


 兵士たちに捕まり、父は引きずられるように連れていかれる。その時の叫びを、彼女は今も頭の中で繰り返している。


「天龍様の首飾りを! どうか、それだけは守り通してくれ!」


 それが最期の言葉だった。

 魅音たちも捕まりそうになるが、命からがら逃げだした。万家当主は死罪となり市中に無残に晒され、心臓も盗まれてしまう始末。親族たちも捕まり遠い島や開拓の進んでいない辺境の地へ流されていった。母と二人、万家の悪口ばかり話す国民の言葉を耳にしながら、その日暮らすのが精いっぱいの生活を送っていたが、魅音は人さらいに捕まり、母もどこにいるか分からなくなった。気づけば王宮の宝が売られていたのと同じ闇市の奴隷市場に置かれ、ここの楼主に買われていた。


 天龍様の首飾り。万家所蔵の家宝であり、天龍国の国宝。あれが今どこにあるのか、魅音なりにどこへ行ったのか調べてみたが……行方知れずのまま。それを探し出したい、そんな願いと共に彼女はある黒い心を育てていた。


「ある者から、心臓の血で作る薬について話を聞いた。その詳しい作り方が、万家が所有していた書物の中にあるという。その書物がどこに行ったのか、もしくは作り方を覚えていたら教えてほしい」


 魅音は皓宇を睨む。


「もちろん、褒美を遣わす。もしお前が万家の名誉回復を求めるというのであれば、私が皇帝陛下に直々に……」

「うるさい! 誰がお前たちの話なんて信じるか! 朱亜、離して!」


 ふっと朱亜の力が緩んだ瞬間を逃さず、組み敷かれていた魅音は起き上がって逃げ出していく。階上に上っていく音が聞こえてきた。ぽつんと落ちている暗器は朱亜が拾った。


「追いかけるね!」

「いや、いい。まさか彼女の恨みがここまでとは……」


 皓宇は強張っていた体の力を抜くように息を吐いた。


「劉秀の話もできなかった」

「劉秀? なんで?」

「彼女は、劉秀の元許嫁だ」

「えぇ!?」


 朱亜は叫ぶ。まさかあんな配慮の足りない男に、そんな色っぽい関係の相手がいたなんて!


「アイツは花街に万魅音がいるかもしれないという噂だけで、せっせと請け出すための金を貯めていたらしい。彼女を自由にするためだけに」


 請け出す――その言葉を聞き、朱亜はあることを思い出していた。皓宇に「ごめん!」とだけ言い残して、同じように階段を昇っていった。


「魅蘭!」


 彼女は屋根の上に登っていた。朱亜も同じように屋根に乗り、彼女を触発しないように恐る恐る近づく。彼女が飛び降りて死ぬつもりなんじゃないかと冷や冷やしてしまう。しかし、彼女の怒りは落ち着いたのか、その声はいつもと同じ調子だった。


「魅音でいいわよ。さっきの殿下の話、聞いてたんでしょ? 私の本当の名前も」

「うん……、あの、これ」


 朱亜は暗器を見せる。小さく鋭い刃先が、月光を鏡のように反射する。


「こういう武器は、あんな風に襲い掛かるのには向かないよ。誰かが寝入ったときとか、背後からこっそり襲う時に使う武器。……魅音、もしかして……」

「……そうよぉ。飛嵐の妾になれば、アイツもついでに孟秀敏も、それで寝首を掻いてやろうと思っていたの」


 やっぱり、と朱亜は思う。花街の座敷でそんな凶行に及んでも、人が多くてすぐに捕まってしまうだろう。しかし、そこまで警備の厚くない飛嵐の屋敷ならば……逃げられる可能性が億の一にも存在する。


「劉秀が知ったら、きっと止めるよ、こんなこと」


 朱亜が漏らしたその名を、魅音は聞き逃さなかった。大きく目を丸め、声音がわずかに震える。


「……どうして、アンタが劉秀のこと知ってるの?」

「ウチは今、皓宇と劉秀と一緒に、邪王を復活させようとしている奴を探しているの」


 朱亜は花街に来た経緯を、自分が100年後の未来から来たということだけは省いて話し始める。どうも、昨今度々発生している心臓をくり抜いていく事件は、邪王を復活させようとしている者と繋がりがあるかもしれないこと。心臓を持ち帰って何に使うのか? もしかしたら、心臓の血で薬を作ろうとしているかもしれないと考えたこと。花街で事件が多く発生して、ここにいた明豪を怪しいと思い調べていたこと。


「劉秀が言ってたの。万家の書庫で、心臓の血で作った不思議な薬について書いてある書物があって、もしかしたら花街に万家の生き残りがいるかもしれないって。だからウチが花街に潜入して、明豪の調査と一緒に調べることになったんだけど……」

「そう。……彼は元気?」

「うん! まあ、剣術ではウチには一度も勝ててないけど、まあまあ元気だよ」


 気を張り詰めていた魅音の横顔が穏やかになる。その様子を見て、朱亜はぽつりとつぶやいた。


「……劉秀の許嫁だって聞いたよ」

「だった、のよ。昔の話、もう反故になってるわよ」

「劉秀のことは、もうどうでもいいの?」

「なによ、それ。……どうせ彼だって、花街に身を沈めた私のことを、金や目的のためなら体だって売る下賤な女だって思ってるわよ。……私だって、もうどうでもいい。もうあわせる顔だってないわ」


 とても静かな声だった。それが本音だとは朱亜には到底思えない。朱亜は勢いよく立ち上がった。


「待ってて、魅音! 絶対に逃げないでよ!」


 魅音の返事も聞かず、朱亜は屋根から室内に入り、階段を駆け下りていく。玄関では、朱亜に『袖にされた』ばかりの皓宇が今まさに、馬に乗って帰ろうとしていた。


「ちょっと待って!」


 朱亜もその馬に飛び乗って、皓宇を後ろから抱きかかえるように手綱を奪う。


「しゅ、朱亜!? なんなんだ、急に!」

「ちょっと朱亜! アンタ、何大っぴらに逃げ出そうとしてるんだい!」


 楼主も追いかけてくる。朱亜は足で馬の胴体を叩くと、驚いた馬は一気に駆け出して行った。


「ごめん! すぐに戻るから!」 

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