第13話


 襲撃から数日経った。その間、皓宇は王宮の書庫に籠りっぱなし。事件の記録や書物を読みふけっては何かを書きだし、その脇にどんどん積んでいく。時折疲れたように首を回していた。朱亜はそんな皓宇に静から託されていたお茶を差し出す。朱亜は文字が読めないため、つきっきりそばにいてもやることと言えばそれくらいしかない。貰った上着は毎日着るくらい気に入っているから、その礼もしなければいけないし。


 劉秀は皓宇に命じられ、嫌々実家に戻っていった。実家で心臓の血の薬に関して記述されている書物がないか調べるらしい。だから今、皓宇のそばにいるのは朱亜だけ。彼女は「皓宇を守らなければ」という使命に燃えていたけれど、皓宇はなんだか落ち着かない。いつも一人で調べごとをしている書庫に朱亜がいるということもそうだが、女の服を着た朱亜とどのように接したらいいのかまだわからずにいた。

 

 出会ったばかりのころはまったく気にしていなかったのに、短い髪のせいで露わになっているうなじや、事故とはいえ直視してしまった柔らかそうな胸。彼も健康な男児だ、気にするなと考えれば考えるほど、煩悩は渦巻いていく。


「……朱亜、頼みがある」

「なぁに!?」


 そして、彼女はそれを全く意識していないのだ。皓宇が呼ぶと、ぐっと体を近づけてきたりニコニコと笑みを見せる。その度に皓宇の心臓は飛び上がる。いい加減慣れようと思ったけれど……彼にはできなかった。


「……すまないのだが、席を外してくれないか?」


 朱亜はがっくりと肩を落とした。その姿を見てしまったら申し訳ないという気持ちが強くなっていく。皓宇は必死に取り繕った。


「いや、朱亜が邪魔であるということではない! ただ、いつも一人で調べごとをしていたから、そう! なんだか気になって集中できないんだ!」

「それって、やっぱりウチが邪魔ってことじゃん……」


 朱亜は頬を膨らませながら書庫を出た。しかし行くところもないし、ここを離れたらまた皓宇が襲われてしまうかもしれないため離れることもできない。深いため息をつく。ようやっと見つかった邪王への手がかり。それを調べるのが人任せになっている。朱亜には刀を振るうことしかできない。彼女は自分の至らなさを痛感していた。皓宇から文字の読み方を教わったら役に立てるかな? と考えた時、足音が近づいてくるのが分かった。刺客かと身構える。


「……おぉ! そのような恐ろしい顔をしないでください、朱亜様」

「えっと、なんだっけ……」


 劉秀が話していた、胡散臭い占術士。名前を聞いた気がする。喉のあたりまで出かかっているのに出てこない。朱亜が人差し指を立てくるくると回していると、彼が「明豪と申します」と頭を下げてきた。


「そうそう、明豪! それで、何か用?」


 一度警戒した朱亜は、それを簡単に解こうとしない。明豪も朱亜からの敵意を感じ取っていて、それ以上近づいてこようとはしなかった。しかし、武器は刀だけではない。言葉ならば、たとえ遠くても相手に届く。


「朱亜様のお手並み、妖獣を倒す手さばき、大変感動いたしました。太子様も大変喜んでおられます。今一度、太子様のお側に仕えることをお考えいただけないでしょうか?」

「うーん、だから言ったけどさ、ウチは皓宇以外と協力するつもりはなくって」

「そうでしたか。ならば、諦めるように私から太子様に進言いたしましょう」


 明豪はさっと引き下がる……ように見えた。


「しかし朱亜様、一体どこで妖獣を倒す術を知ったのですか?」

「え?」

「妖獣が現れ5年ほど。王宮の御用学者も軍師も思いつかなかったのですよ、角を壊すだけで倒すことができるなんて! それなのに、あなた――失礼ながら、粗末な身分のご様子――はいとも簡単に!」

「あー……」

「あのような術は、どこで知ったのですか? ぜひこの不勉強な占い師に教えていただければ」


 朱亜が100年後の未来から来たということは、皓宇・劉秀・静だけの秘密にする。この決まりは皓宇が設けた。もし邪王の耳に【天龍の預言の剣士】がこの時代にいるということが入ってしまったら、真っ先に朱亜が狙われてしまう。ここでうかつに口を開くわけにはいかない。頭の回りにくい朱亜のために、皓宇はあらかじめ「嘘」を仕込んでおいてくれた。誰かに聞かれたら、こう答えればいい、と。


「ウチの地元で、そういう伝承が残っていて……」


 片田舎で伝わっていた話で、都には届いていなかっただけ。そう繕うことにしたのだ。しかし、明豪はぐいぐいと来る。


「ほお! 朱亜様はどこの集落のご出身で?」

「え?! えー、もう、ずっとずっと遠く!」


 嘘ではない。朱亜が答える気がないということを明豪は察したのか、一気に身を引いた――かのように見えた。


「皓宇様とはどこでお知り合いに?」

「えー……。そんなのを知ってどうしたいの?」

「別に何も? ただ、皓宇様がどうしてこんなにも妖獣について執心なのか知りたくて。朱亜様はご存じでしょうか?」


 コイツの目的は自分ではない、と朱亜は考えた。朱亜に興味がある振りをして近づいたけれど、目的は皓宇なのではないか? 朱亜は明豪を睨む。明豪の体がわずかに震えたように見えた。


「知らないよ、そんなの」


 朱亜は冷たく言い返した。そういえば、自分は皓宇のことをあまり知らないということに今になって気づいた。彼について知っていることといえば、天龍国の皇帝の弟で、邪王復活を阻止するために朱亜と協力している、ということくらい。


「私もいろいろな人に聞いてみたのですが、皆様あまり教えてくださらないのです……はぁ」


 明豪の白々しいため息が癪に障る。今にも切りかかりたいけれど、皓宇に武器は置いてくるように言われてしまって今は丸腰である。殴りつけることしかできない。


「春依公主様だけは、皓宇様には亡くなった奥様がいて、どうも妖獣に襲われて亡くなったということは教えてくださったのですが……。私が王宮に仕えるようになった後の事なのですが、内々に済まされて、私のようなものにはその話が伝わっておらず……」


 皓宇には妻がいたなんて、朱亜はこの時初めて知った。驚いてしまい、口があんぐりと開いてしまう。何で教えてくれなかったの! という気持ちが芽生えるが、朱亜はすぐさまそれを摘み取った。なぜ皓宇が朱亜にもその話をしてくれなかったのか、そんな単純な事、彼女でもすぐに理解できる。


「たとえ知っていたとしても、アンタには絶対に教えないから」


 朱亜は明豪にくぎを刺す。皓宇が妖獣について調べる理由を朱亜に話さなかったのも、周りの人々が明豪に皓宇のことを話したがらなかったのも、理由なんてたった一つしかない。


「たぶん、皓宇は嫌なの。自分とは関係のない人にまで皓宇自身のことを知られるのが」


 ならば朱亜も、皓宇のその思いを尊重したい。それ以上は何も語らない、と朱亜は口を堅く閉じる。明豪はまたため息をつく。今度こそ諦めたらしい。


「お時間をいただき、ありがとうございます。朱亜様」

「……」

「そのような可憐な服装もとてもお似合いですが、朱亜様には勇ましい姿もお似合いでしたよ。それでは」


 口の減らない男だ。朱亜はそう言わんばかりに睨むが、明豪は気にしていないのか笑みを浮かべながら朱亜に背を向けた。あの手の人間は好かない、と朱亜は思う。明豪が去っていた方向をじっと睨んでいると、誰かが彼女の肩を軽く叩いた。


「うわ!」

「……朱亜、今、いいか?」

「え? 皓宇!? も、もしかして、今の聞いてた?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る