<3> 邪王への手がかり

第12話


 劉秀は命じられた通り静に女の服を用意してもらい、朱亜はそれに袖を通していた。王宮に報告しに行っていた皓宇が鈴麗宮に戻ってきたのは、もう明け方近かった。それからの空気はというと、気まずくて仕方がない。


「……朱亜、お前はどうして男の格好を?」


 ひらひらとした袖の、淡い桃色の上衣。胸の上は赤い帯で締めあげられ、深い緑色をした下裳は長くひだが多くて歩きづらい。朱亜は短く刈り上げられた後頭部をくしゃくしゃとかき回す。


「危ないって言われたの! 故郷の長老に!」


 邪王を倒す旅に出る前のことを思い出す。集落を離れれば、盗賊や人さらいがうろうろしている。女の身なりでひとたび外に出ればどんな目に遭うか……身包みすべて剝がされるならまだいい方。攫われて娼館に売られるかもしれないし、ひどい目に遭いさらに殺されるかもしれない。実際、朱亜の故郷でも女が行方不明になることが度々起きた。そんな経緯から、朱亜と小鈴が旅に出る前に身を案じた長老にそう言われ、小鈴は泣く泣く、朱亜は何も考えずに髪を短く切った。そして男の服装で旅を始めたのだ。


「しかし、本当にすまなかった。好いてもいない男に裸を見られるなど……朱亜にとっては屈辱だったろうに」

「もうやめてってば! 気にしてないって!」


 何度も皓宇は申し訳なさそうに頭を下げる。いい加減見飽きてしまった。


「全然気にしてないから! 男だと思われるのはよくあったし!」


 小鈴はすぐに女だとバレたけれど、朱亜は男だと思われることが多かった。天佑と洋に「朱亜は女らしくないからな」と揶揄われたのは一度や二度ではない。


「……しかし、女性の格好をしただけで危険が及ぶとは。100年後のこの国はそんなにひどい状態なのか」


 皓宇の背筋がぞっと冷たくなる。この国の平和を守るために、決して邪王は復活させてはならないと決意を改める。


「ねえ、この服まだ着ていないとだめ?」

「だめに決まっているだろう?!」


 声を張り上げる皓宇。朱亜は「帯が苦しいんだよね」と胸元に手を添える。先ほど見てしまった【もの】を思い出しては勝手に赤くなっていく。彼は女性の裸なんて初めて見たのだ。

 朱亜は先ほど皓宇から借りていた上着を取り出した。


「そうだ。これ、返すね。ありがとう」

「……いや、いい。朱亜にやろう」

「えっ? いいの? こんな高そうなもの……」

「いい! 焼くなり煮るなり、売り払うなり好きにしろ」


 じゃあ、と朱亜はそれに袖を通した。着心地が良くてすっかり気に入った様子で、とても嬉しそうに笑っている。皓宇はため息をつく。その上着を見ていると、またあの時の朱亜の姿が思い出されて、何だか恥ずかしくなる。


「ところで、皓宇ってもしかして……めっちゃ弱いの? 剣術とか体術とか」

「殿下に失礼だぞ!」


 劉秀の怒声が飛んでくるけれど朱亜は気にしない。


「だって、邪王の影響があったとはいえ……あんな奴に簡単に殺されそうになるなんて。ウチや劉秀が来なかったらあのまま死んでたよ?」


 確かに、と皓宇は猛省する。油断していたのは事実だ。そして、彼が弱いのも事実である。


「一人で調べごとなんて危ないから、今度からウチがずっと一緒にいるようにするから!」

「え?」

「また襲われたらどうするの。あ、そうだ! 今度ウチが稽古してあげるよ」

「は?」

「もし一人になっても自分の身を守れるようにならないと。それに、ウチって弱いヤツ嫌いなんだよね」


 その朱亜の言葉に皓宇はがっくりと肩を落とし、劉秀は「我慢ならない」といった様子で朱亜の頭を強く叩いた。


「もうコイツの話はやめましょう。殿下、皇帝陛下はどのようなご様子で?」


 皓宇も姿勢を正す。事件が起きた後、皓宇は報告のため颯龍の元へ出向いていた。颯龍が一時的に、皓宇が後宮に立ち入ってもいいと許可を出してくれたおかげで、貴妃・美花の居室に赴くことができた。眠っていた颯龍を起こしてしまったことを詫び、皓宇は二人に経緯を説明する。どうして心臓を持ち去るのか、その目的に関して浮上した一つの仮説。そして皓宇を襲ってきた女官のこと。返り討ちにし捕らえたが、その女官の体は腐っていき、共にいた朱亜が邪王の気配を感じると話していた。女官が持っていた短刀が、ここ最近の事件で使われたものと類似しているという医官の話。颯龍は危機感を抱くと思ったのだが、彼の返事は皓宇の予想を裏切るものだった。


「よくやった、皓宇!」


 颯龍は喝采している。美花妃も隣に嬉しそうに微笑んでいた。


「後宮の女官であったというのは恐ろしい話ですが、もう犯人は死んだのでしょう? これで一安心ですね、陛下」

「あぁ、本当に良かった。さすが我が弟・皓宇、頼んでからこんなに早く結果を出してくれるなんて」


 皓宇が口を挟む隙も無い。彼が不安に感じていることを、颯龍は汲み取ろうとしないのだ。犯人が死に、もう事件は起きないのだと確信している。


「し、しかし陛下。邪王と関りがある可能性が高く……」


 颯龍は首を横に振った。


「そのようなもの、ただの伝承だろう? そんな子供じみた言い伝えをまだ信じているのか、皓宇は」


 皇帝と貴妃の笑い声が響く。


「邪王なんてものはいない。その証拠に、私はその邪王とやらが封印されている印章なんてものを見たことがないのだからな」


 王宮の宝物庫に残されている、と伝わる邪王の印章。それを使い邪王と契約したものは、どんな望みも叶えてもらえるが、代わりにその肉体を邪王に差し出さなければいけない。皆、それをすっかりおとぎ話だと思っている。邪王の印章を見たことがないのは皓宇も同じだが、彼は食い下がる。


「陛下! ならば、妖獣はどうして現れたのか、お考えになったことは? 伝承によれば妖獣は……!」

「もうよい、皓宇。今回の働きには感謝しているが、もう夜遅い。その話はまた今度でも良いか?」


 食い下がることもできず、皓宇は美花妃の居室を後にした。


「皇帝陛下が信じてくださらないのであれば……私たちで邪王と契約しようとしている者を見つけ、食い止める他ない」


 皓宇の言葉に、朱亜と劉秀は頷く。しばらくの間、心臓の血で作る薬とやらと並行に、過去の事件について調べることに決めた。

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