一 王宮

<1> 金色の髪の皇子

第5話


 起き上がった彼を、朱亜はまるで穴が開いてしまうくらいまじまじと見つめていた。黄金のように輝く髪。色白で細い腕。そして、見ただけでとても上等な物であることが分かる服。きっと偉い身分に違いない、と朱亜は思った。


「朱亜。君は今、どうやって妖獣を倒したんだ?!」


 聞きたいこと、というのはそのことだったらしい。彼は目を大きく丸め、朱亜と倒した妖獣を交互に見比べて、少し興奮した様子でそう尋ねてきた。朱亜は首を傾げる。どうしてそんな簡単なことを聞くのだろう? 答えようとしたとき、遠くから「殿下! 皓宇ハオユー様!」と叫ぶ男の声が聞こえてきた。


劉秀リュウシウ! こっちだ!」


 森の奥に見える人影に向かって、皓宇は手を振る。すると、瞬く間にがっしりと筋肉質な男が走ってきた。彼は朱亜と同じ真っ黒な髪だった。


「ご無事でなによりでございます、殿下」


 劉秀と呼ばれていた男は皓宇に向かって跪く。「殿下」ということは、思っていた以上にとても高貴な身分だ。学のない朱亜だけど、それくらいは分かる。慌てて持っていた刀を返した。


「この者が私を妖獣から助けてくれた。ほら、見てみろ! 妖獣が死んでいる、この者がやってくれたんだ!」

「なんと……!」


 劉秀は横たわったままの妖獣を見た。彼もとても驚いていた。


「妖獣を……、まさか。どうやって?」


 どうやら、妖獣を倒すことは彼らにとってはとても信じられない未知の所業のようだった。朱亜の故郷では弱い妖獣であれば子どもだって倒すことができるのに、と思い出す。


「君とぜひゆっくり話がしたい。時間はあるかな? ぜひ我が宮でもてなしたい」

「え?」

「私を助けてくれたんだ。礼を尽くさねば」


 皓宇は「行こう」とさっそく歩き出してしまう。朱亜はそんなことよりも先に、確認しなければいけないことがあった。


「あの、ここってどこ? 暦とかってわかる?」

「お前! 皓宇様に向かってなんて口の利き方を!」


 劉秀が刀を構えようとするが、皓宇がそれを止めた。劉秀は不審な人間を見るような目で朱亜を睨む。朱亜がむっと睨み返しても怯むことはない。


「ここは天龍国。今は天龍暦991年だよ」


 外の国から来たのかな? と思った皓宇が教えてくれた。天龍暦、それは朱亜の時代ではとっくの昔に使われなくなった元号で、邪王が復活した時期と近い。朱亜の表情はパァッと明るくなった。成功だ! あの首飾りは本物で、小鈴にお願いされた通りちゃんと100年前の世界に来ることができたんだ! ならば、やることはただ一つ。この時代で蘇ろうとしている邪王を倒す。まずは情報を集めなければ、と朱亜は自分が砕いた妖獣の角を拾ってから歩き出している二人についていった。皓宇は顔まで覆われている頭巾を被り、顔が見えなくなった。


「それ、前見えるの?」


 敬おうとしない朱亜の言葉に、また劉秀は怒る。それを皓宇はすぐに諫めた。自分の恩人に対して失礼である、と。


「見えるよ。それに、もう慣れた」


 その言葉の意味を深く考えず、朱亜は「ふーん」とだけ相槌を打った。


 3人は森を抜ける。人が徐々に増えていく。皓宇は「城下町を通っていくんだ」と教えてくれた。緊張で朱亜の体が強張っていく。100年前、まだ平和だったころの天龍国。その都は一体どんなものなのだろう? 狭い路地を二人に続いて抜けていく。薄暗いその路地を抜け開けた場所に足を踏み入れた瞬間、朱亜は感嘆の声を上げる。


「……わぁっ」


 どこを見ても、人! 人! 人! こんなにたくさんの人たち、今まで見たことがない! 群衆を上手く潜り抜けていく劉秀と皓宇に続く。けれど、2人とは違い朱亜は群衆の中を歩くのが下手で、肩や腕がすれ違う人とぶつかってしまう。


「朱亜、大丈夫か?」


 皓宇は振り返って、慣れない様子の朱亜を心配してくれる。


「うん! すごい人がいっぱいだね、こんなところ初めて!」

「世界の中心にある天龍国の都は天下一だと評判なんだからな。こんな都が他にあって堪るか」


 なぜか劉秀が胸を張る。それを見て、皓宇の頭巾からも小さな笑い声が聞こえてきた。朱亜はあたりを見回す。通りには所狭しと店が並んでいる。呼び込みをする男の声、はしゃぐ子供の声、それを叱る女の声。色んなから聞こえる話し声は賑やかで、とても楽しそうだ。そんなことよりも! と朱亜は鼻をスンスンとあちこちに向ける。


「すっごく美味しそうな匂いがいっぱいする……!」


 香ばしい肉の焼ける匂い、近くの店の店主が蒸器の蓋を取った瞬間香るふわっと甘い匂い。新鮮な野菜や果実の瑞々しい香り。目移りならぬ鼻移りをしてしまう。劉秀はそんな朱亜を見て「変な奴」と、さらに疑いを強める。けれど、朱亜にはその視線の意味が伝わっていない。


 朱亜の胸は期待で膨らんでいく。邪王さえ倒せば、100年後の未来にもこの豊かさや賑やかさがそのまま続いていくかもしれない。いや、もしかしたらもっと栄えているかもしれない。あまり育たなかった小さな野菜や臭くて固い妖獣の肉をもう食べなくて済む。家族だって幼馴染の三人だってみんな、絶対に喜んでくれる。朱亜は決意を新たにする。


 喧騒はやがて遠ざかっていく。竹林を進んでいくと、大きな邸宅が見えてきた。


鈴麗リンリー宮という。小さな宮で申し訳ないが、ぜひゆっくりと過ごしてくれ」

「小さい!?」


 朱亜の実家の数十倍は大きい。真っ白な漆喰、輝く朱色の柱。とんでもない家に招待されてしまった。そういえば、まだ皓宇が何者なのかも知らない。朱亜は劉秀の袖を引っ張る。


「おい、なんだよ」

「皓宇ってどんな人なの? もしかして、すっごくすっごく偉い人?」

「お前! いい加減その口を慎め、無礼だぞ!」


 こっそり聞いたつもりなのに、劉秀が大きな声を出してしまうから皓宇にバレてしまった。頭巾を脱いだ彼がクスクスと笑う。なんだか恥ずかしくて朱亜は俯く。耳まで赤くなってしまった。


「私はこの天龍国の皇子さ」

「皇子様!? めっちゃ偉い人じゃん!」

「まあ、私は先帝の側室で――異邦人との間にできた子だ。皇位継承権もない。まあ、私の身分なんてものは気にしないでくれ」


 朱亜は鈴麗宮というところに一歩踏み入れる。なんだか恐れ多いような気がする。この時になって初めて劉秀の視線に気づいた。まるで隙を見逃さないというように、朱亜の一挙一動に注意を払っている。それは、皓宇が皇子だからだ。彼を襲いに来た敵かもしれないと気を張り詰めている視線。その恐ろしいまでの殺気のせいで、朱亜の姿勢はしゃんと伸びていく。


ジンはいるか?」

「ここにおります、皓宇様」

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