ストロー

西順

ストロー

 もう9月だと言うのに、世はまだまだ暑さが拭えない。私が額に汗しながら逃げ込んだのは、行きつけの喫茶店だ。


 おしゃれなカフェと言うより喫茶店と言うのが似合うオールドウッドな店内には、マスターの好みなのだろうジャズが薄っすら流れている。


 店内に客はまばらで、こんなにスカスカでやっていけるのかいつも不安だが、常連で回転しているのだろう。あいさつを交わした事もない常連客が数名と、あと初顔のお客さんが一人いるだけだ。


 そのサラリーマン風の男性は、カウンター席に腰掛けながら、四角いメタリックな何かをもてあそび、ため息を吐いている。


 まあ、そんな事はどうだって良い。私がこの喫茶店に来たのは、執筆が目的だからだ。私の趣味は小説を書く事で、今日は今取り掛かっている小説の構成を固める為にやって来た。


「マスター、いつもの」


「かしこまりました」


 これだけで通じるのが、行きつけの店の良いところだろう。私はマスターに『いつもの』を注文すると、奥のボックス席に座った。


 さてさてとトートバッグからノートPCを取り出すと、現在途中まで進んでいる話の展開をひねり出す。と言ってすぐに出てくれば苦労は無い。


 やはりここは『いつもの』の力に頼るか。と思っていたところへ、


「お待たせ致しました」


 とマスターがスッとコーヒーフロートを持ってきてくれた。う〜ん、タイミングもばっちり。


 私の夏の定番であるコーヒーフロート。アイスコーヒーの上にバニラアイスを載せたそれは、暑い外から涼を求めてやって来た私には、輝く宝石のように映って見える。


 ここのコーヒーフロートは、バニラアイスも美味しいけれど、下のアイスコーヒーも美味しいのだ。スプーンですくったアイスを、下のコーヒーと溶かして食べれば、そのマリアージュに誰もが至福の時を味わう事だろう。


 おっといけない。ここに来たのはコーヒーフロートを楽しむのもあるけれど、小説を先に進めるのも目的だった。と私はコーヒーフロートにストローを刺そうとして、手が止まった。ストローがこれまでのプラスチックのストローから、紙のストローに変わっていたからだ。


「マスター」


 カウンターの向こうのマスターに声を掛けると、眉をハの字にされてしまった。


「すみません。時代の潮流ってやつなんですかね。どこ探しても紙ストローばっかりで、次までには別のストロー探しておきますから、今日のところは、それで勘弁してください。ふやけたら言ってください。すぐに代えを用意しますから」


 私もマスターにそこまで言わせるつもりは無かったのだけど。マスターが謝った理由も分かる。私はいつも喫茶店に長居するから、マスターが言っていたように、紙ストローでは途中でふやけて使い物にならなくなってしまうのだ。


 だったらふやける前に帰れよ。って話なんだけど、小説を書くのに夢中になっていると、時が溶けるのだ。1時間2時間は普通に経過している事が少なくない。


 まあ、マスターはふやけたら交換してくれると言っているし、気にせずこのストローを使おうと、私はコーヒーフロートに紙ストローをぶっ刺し、それを口に当てる。う〜ん、紙の味がする。これって紙ストローのもう一つの欠点だよねえ。


「うん?」


 小説を書くのに集中して1時間とせずに、私は上のバニラアイスが溶けて下のアイスコーヒーと混ざったコーヒーフロートを飲もうとして、それが出来なくなっていた。紙ストローがふやけてしまっていたからだ。


「マスター、すみません」


「ああ、はい」


 マスターにストローの代えを持ってきて貰って、小説の執筆を再開しようとしたのだが、さっきの一件で集中力が削がれてしまった。もう今日は書けそうに無いな。とドロドロのコーヒーフロートを、これも美味しいんだよねえ。と飲みながらぼーっと過ごす。そして考える。


 紙ストローはこの店には向かない。常連客には長居をする人間が多いからだ。となると、金属製のストローとか、シリコン製のストローとか、洗えるストローなんてどうだろうか?


 調べてみたら、百均でもステンレス製のストローが売っている。悪く無いんじゃなかろうか。私はノートPCとコーヒーフロートを持って席をカウンターに移し、マスターにこんなのありますよ。とプレゼンしてみた。


「金属製のストローですか? 中ちゃんと洗えるんですかねえ?」


 やっぱり店舗経営者からしたら、それは気になるところだろう。


「洗う用の細いタワシもあるみたいですよ」


「そうなんですねえ」


 あまり反応が良くないな。百均のだからだろうか? いやいや、最近の百均は馬鹿にならないものばかりだ。それにそれなら紙ストローなんて一ついくらだ。って話になるし。


「こっちのシリコン製の方が、綺麗にピカピカに洗えそうですけどねえ」


 そう言う観点なのか。マスターが指差したのは、開いて洗えるシリコン製のストローだ。中まで綺麗に洗えるという観点では魅力的だけど、この店の雰囲気に合わない気がする。それはマスターも分かっているのだろう。私とマスターは二人してう〜んと腕組みしてしまった。


「どこかにシリコンみたいな柔らかい金属ってないんですかねえ? それを使えば、ストローを開いて洗えるのに」


「それだ!!」


「うわっ!?」


 いきなり横の席から大声を発せられて、私もマスターもビクッとなってしまった。それは他の客も同じだったらしく、こちらを注視している。


「それですよ!」


 横に座っていたサラリーマン風の客は、店内に入った時に項垂れていた男性客だ。それが今や目をキラキラさせていた。


「な、なんですか?」


「いや、すみません。私、金属メーカーの開発部門で働いているのですが、私の開発したこの金属、触ってみてください」


 と男性客は私の手に、今まで自分がいじっていた四角いメタリックの物体を持たせたのだ。それはちょっと重く、確かに金属のような肌触りでありながら、柔らかいと言う不思議な物体だった。


「どうです? 私の開発したソフトメタルは?」


「あ、はい。凄いですね」


「そうでしょう! これなら、シリコンのような開いて洗えるストローが作れると思いませんか!?」


「え? はい。そうですね」


「ですよね! ですよね! フッフッフッ、見ていろよ馬鹿上司め! お前が馬鹿にしたこのソフトメタルで、世間をあっと言わせてやるからな!」


 男性客はそんな独り言を大声で吠えながら、きっちりコーヒー代を払って帰っていった。


「何だったんですかね?」


「さあ?」


 マスターと顔を見合わせながら首をひねり、その日はそれで有耶無耶になって帰ったのだが、後日、本当に開いて洗える金属製のストローが出回り、世間を席巻。私もマスターも驚く事になるのだった。

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