妖精の子

「ルゼルさま……!」

「ん……ああ、ソフィー、か」


 ルゼルが屋敷に帰って来なくなって二日後。人の気配を感じてルゼルの寝室を覗くと、ベッドに横たわるルゼルの姿を見かけてソフィーは思わずルゼルの元へ駆け寄った。


 窓から差し込む太陽の光を受けても色素の薄い髪色は、どこか不気味な気持ちに駆られて心配になった。しかしソフィーの声にルゼルはしっかりと反応し、体を起こした。


「よ、よかった……二日も帰って来なくて、やっと見つけたと思ったらベッドに横たわっているから、し、死んでしまっているのかと!」

「ふふ、大丈夫だよ。僕の顔色の悪さは生まれつきなんだ。血筋の問題だね」


 ルゼルは髪の色素が薄いが、それと同じく肌の色も白に近い。生者特有の血の気、というものを感じにくい色をしていて、先程ソフィーが不安な気持ちに駆られたのもこれが原因だろう。

 遠目に見ると、死んでいるように見えてしまったのだ。


「血筋……魔法使いのことですね」

「いや、魔法使いの方ではなく……ソフィーは魔法使いについてどれだけ知っているのかな?」

「この世界には魔法が使える魔法使いという存在がいて、その数は多くはない。その中でもルゼルさまは生ける伝説と呼ばれている方、というくらいでしょうか。あと、魔法はすごい」

「そうだね。魔法使いの数は多くない。そして僕は――私は長寿だ。生ける伝説なんて恥ずかしい二つ名つけられるくらいには。そしてそれは魔法使いだから、ではないんだ。私の母親は妖精でね。もう他界してしまっているのだけれど、妖精は高い魔力を持ち、なおかつ人間に比べて寿命が長い。そんな妖精と魔法使いの父の間に産まれたのがこの私、ルゼルというただ長寿なだけの男なんだ」

「妖精……⁉︎」


 魔法使い。それは人智の及ばぬ不思議な力を生まれつき持つ者。基本魔法使いの親から生まれ、魔法使いではない家庭から生まれてくることはそうそうない。

 そしてルゼルの言う通り、魔法使いは不思議な力を持ってはいるものの、長寿というわけではない。

 何千もの時を生きると言われているのは魔法使いの中でもルゼルだけだ。


「……怖いかい?」

「えっ」


 ソフィーが妖精という架空の生き物だと思っていた名前を聞いて驚いていると、ルゼルがぼそりとつぶやいた。

 たしかに、この話が嘘ではないのならルゼルは人ではない。いや、正式には半分だけ人間で、もう半分は妖精の血でできているのだろう。

 そしてルゼルは嘘をつくような人ではない。

 そう、嘘をつくようなではないのだ。


「……いいえ。ルゼルさまはとても優しい方だと私は知っています。それはその、私が生まれる前のルゼルさまがどんな人かとかはわからないけど……私はルゼルさまのことを優しい人だと思います。もちろん今も、きっとこれからも」

「……そう。ソフィーはやっぱり綺麗だね」

「いっ、いや、綺麗ではないですけど! まぁ、ありがとうございます。お休みのところを邪魔してごめんなさい。私のことは気にせずゆっくりしてください。ルゼルさまがいない二日間はちゃんと自分で自炊してましたし、なんでしたらルゼルさまの分もお作りしましょうか? ……いや、そのぉ、人並みの腕前でよろしければ、ですけど」


 ふっとこちらを見て微笑むルゼルから目を逸らしてソフィーは尋ねた。使用人とはいえ、調理を担当していたわけではないので料理の腕前は人並みだ。

 まずくはないと思うが、ルゼルの口に合うかはわからない。


「そう、ならお願いしようかな。僕もソフィーの手料理を食べてみたいな」

「わかりました。なにか希望はございますか? 私にできる範囲でお応えしますよ」

「なんでもいいんだ。きみの作ったものなら」

「そっ、そうですか! では胃に優しいものを作ろうと思いますので、私はこれにて失礼いたします!」


 ソフィーは早口にそう言うと足早にルゼルの寝室を後にした。

 だって、あまりにもルゼルの言葉が優しい音を奏でていたから。

 慈しむような、柔らかい声。包み込むような暖かな微笑み。


「はっ、はぁぁぁぁ」


 胸がどきどきする。ルゼルが死んでいるように見えて焦ったときよりも、何倍もの速度で心臓が波打っている。

 顔の周りが熱い。もしかして急に季節が変わって夏にでもなったのだろうか。そんなわけない。いくら魔法でもできることに限度はある。


「いや……私は恋人いたことない、から……」


 ソフィーにはおそらく男性に対する免疫、というものがないのだろう。だからルゼルの優しい声を聞いたとき、心音が少しうるさくなったのだ。


 そう、それだけ。きっとこれは恋なんかじゃない。

 ソフィーとルゼルの関係は愛のない結婚、のはずなのだから。


 へたり込みそうになる体を動かして、厨房に向かう。ルゼルがいない間の食事は自分で用意していた。もちろん食材の備蓄もある。

 買い出しに行くことなくソフィーは調理を始めた。

 胃に優しいもの、そして連日の仕事で疲れているであろうルゼルが食べやすくて栄養がたくさん摂れるもの。

 やはり柔らかいものがいいだろうと判断してソフィーは鍋を取り出した。


「はい、お待たせしました。ルゼルさまのお口に合うといいのですが……」

「ありがとう」


 椅子に座るルゼルの前に出来立ての料理を並べる。

 ルゼルの顔色は随分と回復していてほっと胸を撫で下ろした。


「いただきます」


 ルゼルは綺麗な所作でソフィーの作った料理を食べていく。

 湯気が立ち上る野菜をたくさん煮込んだスープを口に含むと頬を綻ばせていて、それを見るにソフィーの料理はルゼルの口に合ったようだ。


「美味しいよ」

「それはよかったです」


 微笑むルゼルに勧められてソフィーも料理を口に運ぶ。

 作っている最中に何度も味見をしたので、味見したとき通りの味だが悪くはない。薄過ぎず、濃過ぎず、ちょうどいい塩梅だと思う。


「何日も帰れなくてすまなかったね」

「いえ、それよりもルゼルさまの体調は大丈夫なのでしょうか?」


 連絡もなしに突然帰って来なくなったのだ。当然、ルゼルの身を心配していた。しかも帰ってきたと思ったら寝込んでいたのだから体調を危惧する言葉が出ない方がおかしいだろう。


「僕は大丈夫だよ。少しばかり疲労が溜まっていただけだから。もうなんともない」

「それならよかったですが……無理はなさらないでくださいね。普段魔法でしてくださっている家事の類いは私でもできますから。たしかに魔法でやった方が早いかもしれませんけど……それでも、やっぱりルゼルさまに頼り過ぎるのはダメだと思うんです」

「僕としてはソフィーには自由に暮らしてもらいたいのだけど」

「それなら家事を私にやらせてください。私、自分が思っているより仕事人間だったようなので」


 ルゼルの言葉に被せ気味に返事をすると、ルゼルは少し驚いた表情を浮かべて目を伏せた。しかしすぐに瞼を上げると微笑む。


「……そう、ソフィーのためにと思っていたのだけど、かえってソフィーには退屈な思いをさせてしまっていたのかな。ならお任せするよ。でももししんどかったらすぐに言って欲しいな。この屋敷は広いから掃除とか大変だろうし」

「大丈夫ですよ。週ごとに掃除場所を決めてやればいいだけですし、少しは私のことを頼ってくださると嬉しいです!」


 ソフィーが胸を張ってそう言うとルゼルは目を細めて笑った。


「わかった。ありがとう、ソフィー」

「い、いえ……」


 柔らかな微笑みと優しい声色に相変わらず慣れない。彼にとっては特別な意味を持たないとわかっていてもつい胸が高鳴ってしまう。

 この美貌に慣れなきゃな、と思いながらソフィーはスープを流し込んだ。

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