旬の終わり

椿叶

第1話

 十八歳の天才、と呼ばれた漫画家「ミムラアイリ」は二十を過ぎたところで失速した。


 デビュー作の「夕暮れマーメイド」は高校生の繊細な心情をよく描き上げていると話題になり、泡沫のような淡い物語はドラマ化までされた。しかし二年と少しを過ぎたところで連載が終わり、それからは新作を生み出すのに悩むこととなった。


 夕暮れマーメイドは半ば自伝だった。閉塞感のある人間関係に鬱々としていたときに、やり場のない気持ちを漫画にぶつけたのが始まりだった。儚い物語になったのは本当に偶々で、自分の気持ちを物語らしい波ができるように脚色した結果だ。美しい物語を書こうとして美しい物語を作り上げたわけではない。

 たまたま絵が上手くて、たまたま漫画を描いていた。自分の憂鬱を物語に変えられたのは「実力」というものなのかもしれないが、世間から好評だったのは偶然と評するしかない。苦労の末に生み出した二作目は一作目と比べたら霞むと評され、「一作目の繊細さはどこに消えたのだ」と嘆かれる始末だ。そしてあっさり打ち切りになった。だからあれは運が良かっただけなのだと言ってしまう方が楽なのである。


 そう、漫画家「ミムラアイリ」の旬はもう終わったのだ。憂鬱を美しく書き換えて書いていた漫画が終わる頃には、高校生のときに抱えていた憂鬱は自分の身体から逃げ出していた。漫画に全てつぎ込んだから、もう何も残らなかったのだ。通っている大学での人間関係に特筆するものはなく、漫画にぶつけられるほどの何かは無かった。


 想像力。欠けているのはそれだ。事実からしか漫画を描けない。だから現実に何もないと、描けない。理想を詰め込んだような物語は自分の年頃の女の子にはよく読まれているけれど、そういう理想を下らないと吐き捨ててきたのは自分自身である。だから、本当に何も残らなかった。


「恋愛でもしてみたら」


 今時マッチングアプリもあるし。担当編集はミムラのそういう性質を理解して、日常に刺激を作り出すことを勧めてきた。夕暮れマーメイドも二作目も、恋愛要素が薄いことをよく指摘されていた。主人公の恋がもっと魅力的に描ければもっと良くなるのに、と。それができなかったのはミムラに恋人がいた経験がないからだ。


 恋愛をしたことがないわけではない。ただ二度と恋愛はしないと誓うほどに、苦い思い出なのである。だから漫画でも恋愛がうまくいく描写が出来なかった、それだけだ。

 ただ、一作目が売れたときは気分が良かった。鬱々とした許しがたい感情も、形を変えれば人に受け入れられるのだと思ったのだ。日常の憂鬱も次第に憎む対象ではなく、共存していくべきものだと思えたのである。それから単純に、天才と持て囃されていたのたという事実は甘い陶酔感をもたらした。あの時の栄光を、ただ過去の物にしたくはない。


 恋愛をすることに乗り気にはなれないが、何もしないで世に溢れた漫画家たちに埋もれていくのは嫌だった。どうせなら足掻いてやる。足掻いて、それでも何も生み出せなかったときが、本当の旬の終わりだ。


 ミムラアイリ。本名、三村愛理。マッチングアプリに登録した名前は「ミア」。作り物だろうが何だろうが恋をして、また売れる漫画を描いてやるのだ。



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旬の終わり 椿叶 @kanaukanaudream

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