宇宙人と出会ったその日の夜、サーカスの大テントで火事が起こった。足りない観客席の代わりとして、リング手前に用意していた藁の塊から出火したらしい。火はあっという間に燃え広がり、溶けた帆布のパラフィン油が、逃げようとする人々や動物たちの上へ降り注いだ。そのときわたしは大テントの外にいたから、こういった惨状は後に新聞で読んだことだがね。


 夜間公演が始まってしばらくたった頃だった。夕食を食べ終えたら宇宙人に会いに行こう、昼間そう彼と約束した通り、わたしは再びサーカスを訪れていた。先に着いて彼を待っていると、大テントから出てきた人たちが横を走り抜けていった。


「火事だ!」

 

 慌てて上に目を向けると、大テントから出たばかりの煙が、まだ赤みがかった空をじりじりと焦がしているのが見える。

 

 わたしは呆気に取られ、紅白の縦縞を隠していく巨大な黒い手をしばし眺めていたが、「墓地」から出ようとする群衆とは逆に向かっていく彼の姿を、ふと目の端に捉えた。その背中はすぐに離れてしまったけれど、あいつが向かっているのはきっと宇宙人のところだ、そう直感したわたしは、突然の火事にうろたえている人々を避けて「墓地」の奥へ走った。


 昼間訪れた黄色いテントに入ってみると、予想に反し、彼はそこにいなかった。五つあった檻は一つだけを残してどこかに消えていて、テントの中は不気味なくらい静かだった。どこか遠くで発せられた像の鳴き声が、「墓地」に溢れる悲鳴に溶けていく。


「ボニー?」


 返事はない。どくどくと、頭の中で血の流れる音がする。わたしは残った檻に近づき、ちらりと足元を見て凍りついた。

 空っぽの檻の前に放り出されている、灰色で毛のない宇宙人の。その横に、わたしが宇宙人にあげたもの──何も入っていないと思っていたマッチ箱が──ぽつんと、置いてあったのだ。

 

 思わずひゅっと息を呑む。漠然と感じていた不安は別の形に変わり、頭に予期しない冷水を浴びせかけてきた。もしわたしの不注意でマッチがまだいくらか箱に残っていたとして、あんなに騒ぎになるほどの火事を起こせるはずがない。そう呟いてみたけれど、その言葉は自分の耳にも届きはしなかった。

 

 箱を踏みつけた。ぐしゃり。虫を潰したような、嫌な感触だったよ。


 わたしはテントを飛び出した。宇宙人のはどこへ行ってしまったのだろう? 胸を逆流していく冷たい焦りから、勢い余って派手に転び、地面の石に悪態をついて立ち上がる。と、大テントの裏口の方から彼の声が小さく聞こえてきた。


「ボニー!」


 太陽の赤いたてがみが完全に林の後ろへ消えていく。その歩き方でかろうじて確認できた彼の姿は、暗闇に薄れてしまった。すると、大テントから逃げてくる人々に紛れ、一際背の高い影が現れた。宇宙人だ。そいつは少しずつ歩いていき、彼の目の前で止まった。周りの人々は彼らを気にも留めず、サーカスの出口に向かって走っていく。


 彼が何か話しかける。宇宙人はこくりと頷き、長い右腕を伸ばす。彼の髪に触れ、頬に触れ、首に軽く手をそえると、キスでもするみたいに顔を近づけた。

 

 叫ぼうと思った。彼の名前を、叫ぼうと思ったんだ。だけど声が出てこなかった。足も動かすことができなくなった。わたしはその場に立ったまま、ぼんやりとした二つの黒いもやのような影に顔を向けていた。

 声の代わりに焦燥が喉元を震わせ、自分の呼吸だけが大きく頭に響く。ぎゅっと目をつぶり、心の中で数をかぞえたが、帆布の焦げた臭いがわたしを現実に引き戻した。

 

 瞼を開けると、宇宙人がこちらに顔を向けていた。辺りは真っ暗で、わたしたちの間には距離があったにも関わらず、その姿がはっきり見えたんだ。

 

 「ボニー」の中身は、いろいろな「骨」が集まって出来ていた。傘の骨、柱時計の振り子、マットレスのスプリング、自転車の車輪に、棚を止めるネジ、ピアノのハンマー、オルゴールの歯車……

 

 わたしたちはしばらく無言で見つめ合っていた。宇宙人の──もしかしたら彼の──頭蓋骨は大テントが放つ電球と炎の光にぬらぬらと濡れていて、眼球が入っていたはずの窪みは底なし穴みたいに黒かった。そして右手に、骨のなくなった彼のが握られていた。

 わたしはそのとき、夏の終わり、同じ場所に流れていた沈黙を、確かに聞いたような気がした。

 

 動けるようになった途端、わたしは走り出した。宇宙人から顔を背け、とにかく必死で逃げたんだ。どうやって家に帰ったのか、よく覚えていないよ。


 


 それから数日後、逃げ出した動物を捕らえ終えたサーカスは、また街を去っていった。わたしは街の人たちと一緒に、団員たちが動物の檻を列車に戻すところを眺めていたけれど、オレンジ色の覆いのついた檻は四つしか見つけられなかった。彼の骨を呑み込んだ宇宙人を見かけることは二度となかった。

 

 彼は自身のを誰にも見せることなく人生を終えた。あのとき、宇宙人に何を話していたのだろう。もしかしたら、あいつの腕についていたアザのことだったかもしれない。

 

 「墓地」に埋めたものを覚えているのはわたしだけ。ボニーBonnieの骨を覚えているのもわたしだけ。サーカスの音楽が途切れるたった一瞬を、わたしが恐れているのはそういうわけさ。子どもの頃に聞いた沈黙が、まだ耳について離れないんだ。

 





 






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