大テントの裏側に回ってみると、団員たちが宇宙人の檻を車輪のついた台に乗せ、運び出してくるところだった。空き地の奥、木々が暗く影を落としている場所までやって来ると、彼らは「見料/二ドル」の札がかけてあるテントの中へ消えた。

 ようやく追いついたわたしは、木の後ろで立ち止まっていた彼の肩を軽く叩いた。彼はちょっと飛び上がってこちらを振り向いた。


「なんだよ、ついてきてたの」

「急に走っていくからびっくりしたじゃんか。このテントに入るつもり?」


 彼は黙って頷いた。

 チケットを買ったせいでわたしたちは二人とも持ち金が底をつきていた。そこで、団員たちが出てくるのを待ってから中を覗いてみることにした。


 気味の悪いほどひそやかに、風が首のつけ根を掴む。晴れていた空には雲がかかり、背後の林は灰色の空気に沈んでいった。

 自動車整備工場の裏の「墓地」。それがただの呼び名でないことを、わたしは知っていた。真夜中の暗闇。月明りの下で力なく横たわる犬。二人で掘ったあの深い穴……。どうしてだかそのときだけ、先ほどまで肌に触れていたサーカスの賑やかな雰囲気が、消えてなくなってしまったような気がしたよ。

 

 しばらくして団員たちが出てくると、入れ替わりに中へ滑り込んだ。料金を取るための見張りはいなかった。その時間は客のほとんどが大テントに入っていたから、そこでの見世物は休憩中だったのだろう。

 日当たりの悪い場所に立っているテントの内部は薄暗く、両手を広げた五人が横に並べるくらいの幅があった。円錐形の側壁に沿って、檻が五つほど設置されている。

 

 入り口に立っているわたしたちを、いろいろな音が取り囲む。ぐるるる。ぴちゃんぴちゃん。ほうほう。だけど臆病なわたしは、檻にかかっているオレンジ色の覆いをはずし、何がそれらの音を発しているのか確かめようしなかった。

 

「子どものにおいがするねえ。怖がらなくていいから、近くにおいで」

 

 妙に高く、間延びしたしゃがれ声が突然聞こえてきて、わたしと彼は顔を見合わせた。左から二番目の、それだけ一つ覆いの捲れた檻から発せられているようだ。近づいてみると、鉄格子の反対側であの宇宙人がこちらに顔を向けていた。


「ハアーイ」


 暗い檻の中、ぼんやりとした灰色の影に見えるそいつは、大きな口の端を上げた。わたしは咄嗟に、ジッパーが見えないか、体の色にムラはないか、目を凝らして見たけれど、何一つ発見できなかった。と、宇宙人が声をかけてきた。


「あんたたち、さっき大テントにいたね」

「どうしてわかるの」

「あたしは視力がいいからねえ。それで、ショーはどうだった?」

 

 わたしは浅く息を吸いこみ、恐る恐る、気になっていたことを訊いてみた。本当のところ、あの赤い服の団員を食べるつもりはなかったのか、と。


「何だって? はっ、笑っちゃうね! あんな能天気な男、食べたって仕方ないさ」

「それじゃあ、あなたは何を食べるの?」


 宇宙人はにやりと笑って、興味津々なわたしたちに顔を向けた。


を食べてる」

「骨?」

「そうさ。言うなれば、内側から外に出せないでいるもの、かな。このサーカスじゃあ骨はいくつあったって足りないからね。ご覧。あの反吐が出るほどいけすかない団長に、ムチで打たれてこのざまだ」


 宇宙人が自分の右腕を前に出すと、それは肘のあたりから不自然に垂れ下がった。


「あいつ、何か上手くいかないことがあるとすぐ癇癪を起こすんだ。みんな迷惑してるよ。最初のうちは仲間同士で不満を流し合っているんだけど、なかなか口に出せないようなつらいことも溜まってくるみたいでね。そんなときあたしのところに来て話すんだ。

 聞いた話はあたしの体の中で固まって、縮まって、骨になるんだよ。そいつは悩みを忘れて心が軽くなる。あたしは新しい骨を手に入れる。一石二鳥だね」


 宇宙人は折れた腕をぶらぶら激しく揺らし、突然また口を開いた。

 

「あんたたちの話も食べてあげるよ」

「ほんとに?」

「ああ。何かくれるならね。金じゃなくてもいい。ここの団員たちは、みんなあたしの気に入りそうなものを持ってくるんだ」


 ぐいと身を乗り出して尋ねる彼に、宇宙人はそう答えた。檻の中には確かに様々なものが入っていた。暗くてほとんどよく見えなかったけれど、瓶とか、椅子の背中とか、ガラクタのようなものばかりだった。

 彼がわたしの方を振り向いて、何か持っていないかと訊いてきた。


「話したいことがあるのか?」


 すると彼はしばしわたしを見つめ、ついと視線を逸らした。


「うん」


 がるる。ぴちゃん。ぽちゃん。テントの中の不思議な音が頭に響く。わたしは頷いて、ポケットをひっくり返した。中身が地面に転がり出る。何かのネジが一つ。輪ゴム三本。空のマッチ箱。ビー玉が五つ。水に濡らしてしまった花火。

 これしかない、とわたしは肩を落とす。しかし宇宙人は満足そうに笑って、鉄格子の中から両手を出し、それらを全部受け取った。


「これで十分。さ、聞かせておくれ。ほらもっとこっちに来て」


 彼がわたしの前に出て、鉄格子に顔を寄せる。宇宙人もずるりと彼に近づいた。わたしはショーのことを思い出した。宇宙人が手を伸ばして、頭を掴んで、それで──そんなことは考えるな、と自分に言い聞かせ、彼の後ろ姿をぼんやり眺めた。

 

 タバコの火傷の跡がついた彼の首から、少しずつ、視線を下にずらしていく。細い肩。薄い背中。アザだらけの、白い腕。


「言ってごらん──」


 宇宙人は言いかけて、はたと顔を上げた。


「誰か来るねえ。あんたたち、ここに入るとき金を払っていないだろう。サーカスは明日の朝までここにいるから、夜にまた聞いてやるよ」


 彼はふっと息をついてのろのろと檻を離れた。それからテントの外へ出ようとして、もう一度、宇宙人を振り返る。


「ねえ、名前を教えて」

「名前なんてないね。好きなようにお呼び」

「それじゃあ、ボニー」


 わたしは思わず、歩き出していた足を止めた。けれど何も言わなかった。


「あなたのことは、ボニーと呼ぶよ」

 

 

 

 





 

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