第2話
「僕が持ちますよ。」
「なら持ちな。」
つっけんどんに小さな段ボール箱を僕に押し付け、背中を軽く叩きながら背筋を伸ばす老婆。きっと、悪い人ではない。僕は彼女の数歩後ろを無言で歩む。
角をいくつも曲がり、どんどん薄暗い場所へと吸い込まれていく。見た目の怖さとは反転して、吸い込む空気は優しく、清らかなものへとなっていく。
「着いたよ。」
目の前には途方もない階段が天高く続いている。
「あの、ここですか。」
「この上にお寺がある。そこの住職に供養してくれるよう頼んどいたから。」
「あなたは来ないんですか。」
「年寄りにこの階段は無理だ。それに、アンタは若い。アタシと違って。」
老婆は膝やら腰を元気に叩く。この人、僕が来なかったら一人で行く気だっただろうに。
「……わかりました。」
結局、自分が若い事には変わりはない。それに、これは自分が始めた出来事だ。彼女に責任を押し付けるのは筋違いだ。
「じゃあ、頼んだよ。」
そういって、すたすたと帰っていく老婆を尻目に、僕は一段ずつ、ゆっくりと階段を上っていった。
初めの50段まで数えていたが、半分にも満たない数だったので、やめた。そこからは、ただ無心で、ひたすらに上る事だけに集中した。
息が苦しい、足が痛い。帰りたい。
そんな思いとは裏腹に、己の足は前へと進み続ける。
漸く門前に着いた僕は、段ボール箱をそっと頂上に降ろし、隣に腰を下ろす。
息は辛いが、それ以上に手と足がキツい。
少し、体を整えてから。そう思い、天を見上げる。もう、日が高くなり始めている。
学校に行くのは午後からにしよう。何ならさぼるか。今日の僕は、よくやった。
髪を少し押さえつけ、額の汗を拭う。風が心地よい。まるで、春の風みたいだ。
「おや、君が佐藤さんの言っていた学生さんかな。」
背後から、気の優しそうな男性の声が聴こえ、振り返る。
「こんにちは、お名前は何というのかな。」
年齢は60、70歳程か。少し白髪の混じったグレーの長めの髪をきっちりと整えた住職であろう人が立っていた。
「あの、佐藤さんというのは。」
「あれ、君じゃないのかな。子猫の亡骸が入った小さな段ボールを抱えている制服姿の学生って聞いているけど。」
「あ、じゃあ僕です。すみません、態々。」
「何、気にすることは無いよ。佐藤さんは檀家さんだし、何より、供養の心がある若者というのは、今時少ないからね。」
「そんな事無いと思いますけど。」
「いや、そんなことあるんだよ。いつの時代の若い人も、死ぬこと自体は恐れるけど、死に触れる事は極端に嫌がるからね。簡単に死ねや死にたいと騒ぐのに、動物の死体でさえ毛嫌いするから。いつも死体を頂いているのに、困ったものだよ。」
そうか、僕達はいつも死体を食べているのか。当たり前のことだけれど、そういわれるまで自覚がなかった。そう思うと、僕も死を嫌う若者の一人でしかない。
「そんな立派な人間ではありません。それより、この子たちの供養を。」
「ああ、承っているよ。大丈夫。お金のことは気にしなくていいからね。」
「ありがとうございます。」
言われて初めてお金がかかるという当たり前のことに辿り着く。そうだ。僕はなんて甘えた思考を持っていたんだ。困っていればただで手を差し伸べてくれる。そんな事、夢物語だって思っていたはずなのに。いざ自分が助けてもらおうとすると、代価も払わずに助けてもらおうとする。そんな己の浅ましさが心底憎い。
「大丈夫かい。顔色が優れないようだね。中でお茶を出すよ。付いてきなさい。」
「あ、大丈夫です。もう動けます。」
「いいから。」
そういうと住職はゆっくりと僕を境内へと案内する。
僕は砂埃を払うと、小さな段ボールをもって、彼の後をついていく。
山の中にあるとは思えない、立派なお寺。案内された本堂には、大きな仏様が鎮座されていた。
「ここで休んでなさい。今、お茶を持ってくるから。」
「あ、」
僕が返事を言う前に、住職はすたすたと襖の奥へと引っ込んだ。
気を使われている。それは本来うれしい事のはずなのに、どうしてこうも居た堪れないのだろう。
住職は直ぐにお盆を持って戻ってきた。
「さあ、どうぞ。」
僕の前に円柱のグラスに注がれたお茶が差し出される。
「麦茶だけど、大丈夫だよね。」
「はい、ありがとうございます。」
麦茶を目にした途端、喉が渇いていることを自覚した。僕は素早くグラスに口をつけ、ゴクッゴクッと喉を鳴らす。旨い。確かに味は麦茶だが、この環境も相まってか、この世のものとは思えないほどに旨い。
「プハッ。」
「お、いい飲みっぷりだね。もう一杯いかがかな。」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。とっても美味しかったです。」
「それは良かった。」
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