第5話 従弟 2

「この授業にも出てらっしゃらないのか......」


 授業終了の鐘の音と共に教室を出た。

 授業が始まって数日経つ。

 あれからトリチェ様に会えていない。


 最後に会った時の様子が気になった。

 ふらつきながら校内を歩き、倒れ、俺の態度を責めずに感謝する──あの諦観を滲ませた笑顔が忘れられない。爵位を継げるのに嬉しくないのか。魔術師としても、貴族としても、嫁に出るよりずっとマシではないのか──なによりも、幼い頃のトリーと印象が変わりすぎていて、戸惑った。判然としない気持ちを抱えて、ひたすらに彼女の足跡を追う。


 しかし、未だに彼女が何の授業を受けているのか、全く把握できないでいる。自分の足を使っても人づてに聞いても「分からない」としか言われないのだ。トリチェ様は交友関係が薄いらしい。在学中は一度も社交場に出なかったとか。


 一度も? 話好きだった彼女が? 調べれば調べるほど、トリチェ様と"トリー"が乖離していった。困惑する俺に追い打ちをかけるように、聞き込み後、決まって投げかけられる言葉があった。


『"あの"ルドビカ様に用でもあるのか?』


 熱の籠った恋情、嫉妬、畏怖、軽蔑の念。

 彼女に向けられる執心の片鱗を感じ取って、都度眉をしかめてしまった。あの方は、俺が思っていた以上に目立つらしい。美しい容姿に加え、他を圧倒する実力と無視できない成果を挙げ続けている。プライドを折られた貴族たちは、彼女に悪態を吐いているらしかった。醜い。しかし、俺も一時的とはいえ、後継者の座に座った彼女を憎んでいた。彼らをどうこう言える立場ではない。

 苛立ちが募る。

 それでも彼女の行方が掴めるわけでもない。


 だからこそ、廊下でオパールグレーの長髪を見かけた時、思わず声をかけてしまった。


「トリチェ様!」


 彼女はゆっくり振り向く。

 深い紫色の瞳が、ぼんやりと俺を眺めていた。その表情に違和感がある。生気が無いのだ。美しい分、妙な冷たさが際立った。


「あの、トリチェ様?」


 手を伸ばして、彼女の腕に触れた瞬間。

 ぱしゃん。

 彼女の姿が弾けて消えた。

 



「主席魔術師トリチェ・ルドビカが失踪しました──」


 ホームルームで担任が告げた言葉を、上手く呑み込めなかった。彼女の隠蔽術を壊したのは俺なのに、何も信じられない。


 ホームルームが終わっても呆然としている俺に、級友が近寄ってきた。トリチェ様との縁談が上がっていた、グライス辺境伯の子・レオだ。

 

「クリストファー。ルドビカ様を最後に見たの、お前なんだろ」

「だったらなんだよ」

「あ、いや.....悪い、なんでもない」


 思いの外低い声が出てしまう。

 レオは慌てながら去っていった。


 彼女の選択が理解できない。

 魔術師は追跡されやすい。

 魔術が使われた場所で高度な追跡術を使うと、魔術師固有の魔力が魔術痕として露になるのだ。俺の場合は回復術に適した水色の魔力が。トリチェ様なら、転移や隠蔽等の空間操作に適した銀色の魔力を宿している。特にトリチェ様の魔力は髪色と同じオパールグレーを呈しており、量も多い事から魔術行使後に残る魔術痕も目立つ。逃げ続けられるはずがないのに。


 トリチェ様は隠蔽術で自分の幻を作りだしたのだ。

 教師人が幻だと認識できなかったのは、単純に隠蔽術の精度が高かったから。自動で光の角度を算出し、違和感なく"そこにいる"と認識できるようにする。膨大な魔力と、本人の手が離れても稼働し続ける複雑怪奇な魔術式が必要だった。学生は勿論、教師陣も騒然としていた。『優秀だと思っていた。しかし、ここまでとは──』俺が触れただだけで壊れてしまったから、とっくに魔力の供給が止まっていたのだろう。トリチェ様は国外に逃げたのかもしれない。術が壊れるまで、誰も彼女の逃亡は気づかれなかった。トリチェ様は逃げ延びたのだ。




 陽が落ちきった頃。

 入出許可証と共にトリチェ様の寮部屋に入る。

 学内にいる唯一の血縁者であり、今年度の主席に限りなく近い存在だったために得られた権利だった。なにか残っていないだろうか。彼女の行き先が分かるものが、何か。


 本棚に寝台、鏡付きクローゼット、照明に小さなデスクセット。それだけしかない。焦燥感が募る。


 本棚には使い古した魔術書が並んでいた。

 背表紙の字が読めない。摩擦で擦れたのか。

 ......それだけ読み返したのか?

 昨年度の教材から、見た事も無い高等魔術の本が並んでいる。ぞっとした。あの小さい机で、どれだけ魔術書を読み返したんだろう。俺なんかよりもよっぽど研鑽していたんじゃないだろうか。


 本棚を眺めていると、小箱を発見した。

 赤い薬瓶が十数本入っている。

 ボルケニアス──非常に強力な身体強化薬だ。現ルドビカ伯爵が作成した魔法薬の一つで、魔法薬師の処方箋が無ければ買えない疾病者用の品。それが大量にある。


 伯爵に飲まされていた?


 最悪の仮定だったが、一度考え始めると止まらなかった。愚かしくも、俺は彼女に逆恨みしたのだ。彼女は大切にされているんだと思っていた。ケガをした姿なんて見た事も無かった。昔はいつも笑っていたが......学園で彼女の笑顔を見た者はいなかった。


「どこにいるんだ、トリー」


 気が狂いそうだった。

 

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