第6話 お酒

 騒動の翌日の昼下がり、王城前の広場に繋がる大通りを歩いていると、魔術学院の塔が見える。昨夜の地下の大騒動など何も知らないかのように、学院の制服を着ている魔術師のタマゴたちが楽しそうに通りに出てきていた。


(昨日のあれは夢……? 実際酔っぱらってたしな……)


 昨日の今日でアレンやエルマはトーナの店にはやってこないだろうと予想が付いた。公爵令息を襲った犯人だと少しでもバレてしまうようなことは決してしない。のこのこと昨日のお礼に、なんて店に来たらそれこそ大変なことになってしまう。


 イザルテの錬金術店の前に立つ。いつ見ても立派な建物だ。まず大きさが違う。一等地にこの土地の広さを確保できているのがそもそもトーナには驚きだ。

 大きな両開きの扉を開け中に入ると、客一人一人に錬金術師が付いて商品の説明をしていた。商品の種類も多い。


(あ! あのマニキュア! 新しい色が出てる)


 だが今日は新色のマニキュアを買いに来たわけではない。


「トーナさん! お待ちしてました!」


 店の奥から、そばかすにはじける笑顔の女性が駆け寄って来た。くるくるとしたオレンジがかった茶色の巻き髪が可愛らしい。


「どうもダニエラさん今日は……」

「こっちこっち! こちらへどうぞ!!!」


 トーナが話し終わるより先に手を掴み、奥の部屋へと連れて行く。ダニエラは最近王都でちょっぴり話題の女性だ。


(あぁ~こりゃまた嫌な予感がするぞ~……)


 すでに諦めたような表情のトーナのことなどつゆ知らず、ダニエラはルンルンと嬉しそうにしているのがわかった。

 通された部屋は、トーナが用意しているお客用の簡素で質素な部屋とは違い、調度品もこの店にやってくるお客の階層に受けそうな豪華絢爛なものだった。


(やっぱ儲かってんだな)


 フカフカなソファの触り心地もこっそり確かめる。ベルベッドのような手触りだ。いい香りのするお茶が出されたテーブルの反対側ではダニエラ・イザルテがウキウキとしているのがわかる。彼女はこの店の代表錬金術師である、ラディム・イザルテの姪だ。


「ごめんなさいね! おじさん、ちょっとうるさいお客さんの対応してて……」

「大丈夫です。大丈夫なんですが、今日は結局どのようなお話で?」


 今日トーナがこのイザルテの錬金術店にやって来たのは、彼に呼び出されたからだ。いや、実際は彼がトーナの店に来たがっていたのを断って自分が行くと返事をしたのだ。


(イザルテさんは師匠のこと知ってるし、もしかしたらベルチェを見たらばれちゃうかも)


「それがですね、私……!」

「すみません。お待たせしてしまって……!」


 今度はダニエラの言葉が遮られ、ノックの後すぐにイザルテが少し息を切らして部屋に入って来た。そして姪っ子が自分の客の前にいるのを確認するとすぐさま部屋を追い出そうとする。


「ダニエラ! お前は今日アトリエ勤務だろう!? はやく行くんだ!」

「どうして!? 私の事を話すんでしょう!?」

「身内だからと贔屓はしないと言ったはずだ! 早く行きなさい!」

「はあ!? そもそも頼んでないし!」


 そう怒りをあらわにしながらもダニエラは言われた通り、部屋からは出て行った。


「トーナさん! また後で!」

「ダニエラ!」


 そう言い逃げをして。


「お見苦しいところをお見せして……」

「い、いえいえ~……」


(気まずいわ!)


 小さなため息をついた後、イザルテは今日トーナと呼んだ理由を話し始めた。


「まずはわざわざ来ていただいたお礼を……こちらが伺うべきでしょうに」

「いえ。なかなかこちらのお店に堂々と入る機会なんてありませんから」


 なんだか憔悴しているように見える彼にトーナは気を使い冗談っぽく振る舞う。イザルテはいつものキリリとした厳格さが足りない。


「実はトーナさんにお願いしたいことがありまして」

「……なんでしょう?」


 トーナはあのダニエラがやたらと絡んできた瞬間から、アレコレと予想を立てようとしたが、なにも思いつかなかった。


(ダニエラを弟子に……ってのは考えにくいし……なんだろ……)


 ダニエラはまだ15歳だと聞いている。このイザルテの錬金術店の後継者で、先日トーナが使った空中に文字を書けるマニキュアも彼女が作り出した新作だ。錬金術師としての才能は十分にある。


「姪のダニエラですが……」


 実に言いにくそうにゆっくりと話すのでトーナは不安と言う名のモヤが身体中に充満していくのを感じた。


「その……冒険者になりたいと言い始めまして」


(それをなんで私に言う!?)


 という言葉をグッと飲み込み、話の続きを待つ。


「率直にお願いいたします。トーナさんにダニエラのお守りをお願いしたいのです」


 背筋を改めて正し、イザルテはトーナの目を真っ直ぐと見つめた。


(お守り!? お守りって言った!?)


 相手は15歳。お守りと言うからにはそれなりに手がかかるという意味だと瞬時に判断した。


「え!? ちゃんとした冒険者にお願いした方がいいのでは?」


 相手の事を考えて言っています、というフリをして、トーナはなんとか回避しようと頭をフル回転させる。


「イザルテさんのお店の商品は騎士団の御用達ですし、冒険者ギルドにも商品を卸していますよね? そちらから当たられた方が確実だと思いますよ」


 あのテンションの高い15歳の子守なんてまっぴらごめんだとは言えない以上、他の人間を生贄にするしかない。もちろんなるべく穏便に。


「ええ。ですが実際の冒険者との付き合いと言うと……依頼を出すことはありますが……個人的な知り合いといえばランベルトさんくらいでして。あの方は例の体質がありますから、王都外だと護衛には向きませんし……騎士団に至っては事務方との打ち合わせばかりでして……」


 こちらもこちらで、あれこれ理由を上げ連ねていた。


「……女性冒険者にも心当たりがありますが」

「いやはや失礼を……やはりおわかりですよね」


 ダニエラの婚約話は王都で噂になっていた。相手はロッシ家とも繋がりのある家の次男だ。嫁入り前の娘がどこぞの冒険者と恋仲にでもなってはマズイと身元の分かる誰かに託したいのだろう。もちろんその相手は女性の方がより安心だ。


「貴女に憧れているのです」


 イザルテは困ったように笑っていた。ダニエラはトーナのことをよく調べていたようで、錬金術師であるにもかかわらず飛竜討伐に関わったことや、騎士団との仕事もこなしていると聞き、興味深々だったのだ。


「はは……光栄です……」


 しかしトーナも困ったように笑うしかない。自分がそそのかしたわけでもないが、なんとなく責められている気分だ。


「冒険者になることはよろしいのですか?」

「言い出したら聞かないことはわかっているのです。これまでもそうだったので……」


 遠い目をしていた。トーナは彼の疲れた顔の原因がわかり同情する。誰かに振り回される大変さはトーナもよく知っている……昨夜のような事件が彼には日常茶飯事なのかもしれない。と言うのも、風の噂でダニエラが家出をした、という話も聞いていたのだ。タイミング的にも婚約と同時期だったので、まさか嫌がっているのでは? と邪推されてもいた。


「だからせめてこちらでコントロールできる内に手を打ちたいのです。噂で聞くような華やかさだけではない、いかに危険な仕事か理解すれば気持ちも落ち着くでしょう」


 希望に縋るかのように言葉を絞り出してた。


「ダニエラは錬金術の才能にこそ恵まれましたが、まだ考えも幼く世間を知りません。それは我々のせいでもあるのですが……もちろん厳しく指導していただいてかまいません。どうか……どうかお願いいたします」 


 そう言ってイザルテは深々と頭をさげる。トーナのような若い錬金術師相手、それも店の格でいってもずいぶん下である者に対する振る舞いではない。トーナには彼の誠意がしっかり伝わった。


「では……期間限定ということでよろしいですか。私も店がありますし」


 急いでイザルテに頭を上げるように言うと、観念したようにトーナは了承した。


「それはもちろん! 必要があれば私の弟子を数人手伝いにうかがわせます!」


 彼のこんな嬉しそうな顔を見たのは初めてだった。願いが叶ったと安堵の表情を浮かべている。


「ダニエラさん、魔術の方は?」

「一通り教えてはいます。ですが魔力量はそれほど多いわけではありません。もちろん武器を使えるわけでもないのです」

「な、なるほど……」


 冒険者になりたいなどと言うからには、きっと錬金術よりも魔術の方が得意なのだろうと勝手に予想したが違ったようだ。


「ダニエラは煌びやかな活躍をしたいだけなのです……」


 少し言いよどんでいた。今からそれにトーナを付き合わせるのだから。


「あ、ああ~……そういう感じですか……」


 つまりは承認欲求だった。確かに、錬金術師より冒険者や魔術師の方が活躍は派手だ。話題としては強い。


「錬金術師は後世まで名前が残ることが多いんですけどねぇ」

「ええ……いいアイテムを創り出せばそれだけでも名を上げられます」


 フィアルヴァを除いたとしても、歴史上、この国でも有名な錬金術師は何人もいる。新しい錬金術のアイテムを創り上げれば、それだけでも名前が残る。主に錬金術師の中でだが。


「……錬金術師内だけではなく、多くの人に自分の存在を知ってもらいたいようでして」

「なるほど。納得しました」


 改めてなんともしょうもない依頼をトーナにしていると認識したイザルテが崩れ落ちそうなほど肩を落とし始めた。


「このようなお願い……本当に申し訳ありません」

「いえ、イザルテさんに貸しを作れただけでも私のような人間には大きな出来事ですから!」


(短期のアルバイトとでも思うとしよう)


 実際、トーナの言った通り、この王都で錬金術店を経営するにあたり、イザルテに貸しを作れたのは大きい。たいていのトラブルはどうにかなるだろうと思えるほど力のある人だ。保険はあって困ることもない。


「では、今日は一度店に戻ります。在庫の確認と今後の予定を確認してからダニエラさんと再度打ち合わせということでいいですか?」

「はい。もちろん!」


 帰り際、彼が弟子になにか指示をしたかと思うと、その弟子は急いで木箱に入った瓶を持って戻って来た。


「……これ!」

「トーナさんは果実酒がお好きとうかがいましたので」

「いやでも……こんな貴重なお酒は……!」


 開けられた箱の中にあったのは、酒好きの錬金術師として有名だったヴェウスの作った特別酒だった。酒の効果を残しつつ、魔力回復、傷の修復、さらには病気にすら効くと言う幻の酒だ。もちろん二日酔いはなし。味も絶品と聞く。彼はトーナと同じように瓶にこだわりがあったのですぐにわかった。彼は既に亡くなっており、レシピも残っていないという話だった。


「我が家と縁がある人でして。実はまだ在庫もあるのです。なのでどうかお受け取りを……!」


(こ、これは……これを出すほど大変なってコト!?)


 という不安が浮かばなかったわけではないが、トーナはそれを受け取り、ルンルンで自分の店に帰って行ったのだった。

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