第5話 マニキュア

「なんだぁ!?」


 まずは観客になっている学生がざわついた。見たこともない姿の女子生徒が突然勢いよく決闘中の2人に向かって駆け寄っていたからだ。しかも何やら見たことのないヘンテコなをつけている。


 トーナは空中へと飛び上がり、大袈裟にお辞儀をした。まるでこれから何かのショーが始まるかのように、片手を横に伸ばし、もう片手を胸の前にして。所謂ボウ・アンド・スクレープだが、トーナは貴族のマナーには詳しくないので、ただのイメージでやったに過ぎない。

 そして、ビシィ! とポカンと口を開けているセザールに指をさす。その爪には月色のマニキュアが塗られており、トーナが指を動かすと、そのが空中へと移動していった。


『正義のヒーロー参上! 権力乱用断固反対!』


 空中に浮かんでいるその文字が、ゆらゆらとした後、霧のように消えた。これも錬金術のアイテムだ。残念ながらトーナが作ったものではなく、イザルテの店の新作だったが、彼女はこれをとても気に入っていた。


(うわ! スベった!?)


 空間は静まり返り、その場にいる生徒達はただその文字を見て息をのんでいる。


(いやぁぁぁ恥ずかしい……!)


 今更だがもう遅い。

 取り乱したい気持ちをグッと我慢して、八つ当たりをするように公爵令息セザールに突撃だ。ぼっこぼこにして欲しいというエルマのお願いだったので、文字通り拳で狙う。トーナの手には風の魔術で出来た籠手が。これにぶつかると、弾かれて飛んでいく。もちろん、死なない程度だが。

 目の前には目を見開いたまま怯えたような顔をするセザールがいた。


(もらったぁぁぁ!)


 と思った瞬間、目の前に大きな土壁が立ちふさがる。勢いがついているので止まるわけにもいかず、そのまま右ストレートでその壁を破り崩した。


(んもぉぉぉ!!!)


 土壁を創り出したのは、まさかのアレンだったのだ。セザールの前に立ち、彼を庇っているのがわかる。


「誰だ!!!」


 鋭い目つきで変装したトーナを睨みつけた。もちろん、トーナは困っている。これではセザールを殴る前にアレンを倒さないといけない。いったい何をしに来たのか……。

 エルマの方に振り向いて確認したいところだが、彼女が関わっているのがバレるのはまずいだろう。変装したトーナが秘密の決闘中である公爵令息を殴るから話なのだ。


(う~んどうしよう……)


 変装薬では髪と瞳の色を変えることが出来るが、声はそのままだ。トーナの声を聞けばアレンはわかってくれるだろう。だがしかし、アレン目当てでたまに店にやってくる女子生徒たちも今このにはいる。店ではアレンでなければベルチェにしか興味を示さない彼女達だが、トーナの『いらっしゃいませ~』くらいの声に聞き覚えくらいあるかもしれない。公爵令息を襲いに来たなんてことがバレたらお縄待ったなしだろう。


 考えたトーナは、自分の周囲にふよふよと水の玉が浮かばせた。そしてアレンの方を指さす。


(気が付け~気が付け~!)


 念を込めて攻撃態勢に入る。ただの水鉄砲だが、このポーズも覚えてれば、目の前にいる真っ白髪の謎の女がトーナだと気づくはずだと。これはトーナとアレンが初めて決闘した時にアレンが使っていた技だ。


(私のこと大好きでしょ!? ちゃんと覚えてるよね!? ね!?)


 アレンの方を見ると、一瞬目が見開いた。そして……、


「え? は? ……え!?」


 と、わかりやすく動揺する。


(信じてたよ~アンタの愛!!!)


 ガッツポーズしたいのをグッと抑え、指先に水の弾を蓄える。当たっても大したことはないが、派手に水が飛び散る魔術だ。


「下がってください!」


 アレンがセザールの方を振り返って大声を上げたのを確認し、トーナは水弾を発射した。


「クッ!」


 バシャァン!!! という大きな波のような音が地下空間に響く。水滴が他の生徒達をびしょ濡れにしていたが、アレンとセザールは無事だ。アレンが水の膜を防御魔術のように使った。彼はトーナの魔術がたいした攻撃力のないものだともちろんわかっていたのだ。


(意外と役者ねぇ~)


 ノリノリなのはトーナだけではないようだった。


「す、すまない……!」


 セザールは青ざめながらアレンにお礼を言っている。


「ここは俺が食い止めます! セザール様はお逃げください!」

「い、いい、いいのか!?」

「俺もすぐに追いかけますから!」


 トーナはあえて同じ技を何度も繰り出し、アレンへ向けて放つ。もちろん全て防がれるがかまわない。激しい戦闘風景に見えればいいのだ。


「他の奴らも逃げろ!!!」


 びしょ濡れのまま呆然としていた学生たちは我に返ったように急いで出口へと走って行った。


「アレン様~!!!」

「俺も手伝います!!!」


 しかしアレンの取り巻きの2人は覚悟を決めたような表情で走って向かってくる。


(やだ~アイツら逃げないの!? 偉い! 見直した!)


 彼らが放った渦巻く炎と、かまいたちのような風の刃がトーナの方へと飛んでくるが、彼女は指一本で周辺に浮いていた水の玉を動かしてそれらを飲み込んだ。


(よーしよし。全員部屋からでたわね~?)


 最後の学生が狭い通路の中へと消えていったのを確認して、トーナは大地の魔術で土壁を作り、その通路を塞いだ。エルマが初めにいた場所からヒョコッと顔をだし、頷いたのが見える。


(やれやれ)


 地面に着地し、アレンとエルマの方へと歩き出すトーナだったが、アレンの取り巻き2人は逃げ遅れた生徒がいたと焦っていた。急いでエルマの方へと走り、自分達が壁になるようにトーナの前に立ちふさがる。


「やぁね~私の目的は意地クソ悪い男だけよ」


 ニヤリと笑うと、取り巻きは冷や汗を流していた。


「おい。そいつらまでイジメんじゃねーよ」


 いつものアレンの呆れ声だ。だが顔は嬉しそうに笑っていた。


「なーにしてんだお前」

「正義の味方よ~権力者にいじめられてる可哀想なアレンくんを助けに来たの」

「そりゃありがとよ」


 笑いをこらえられないようだった。そして結局耐えられずに次第に声を上げて笑い出すアレンに取り巻き2人はどういうことかとオロオロしている。


「いやだ! まだわかんないの!?」


 ゴーグルを外して2人の前に立つと、あっ! と声を上げた。


「アレン様を助けに来てくれたのか!」

「なんていい奴なんだ!」


 急に感動したように駆け寄ってきた。純真な目を向けられたトーナは途端に怯む。


(眩しい……よくわからん内に連れてこられただけなんて言えない!)


「エ、エルマ様が知らせてくれて……」


 そう話を振るのが精いっぱいだった。2人はトーナの時と同じように尻尾を振ってエルマの元へと向う。


「ありがとうございますエルマ様!!!」

「いえそんな……私自身が加勢出来ればよかったのですが……」


 だがそう簡単にいかないのが貴族社会だ。万が一バレて公爵家の不興を買っていいことはない。ちょっとした誘いを断るだけで決闘リンチにまで発展するくらいだ。


「本当に助かった。感謝する」


 アレンが珍しく素直に頭を下げた。彼もどうしようかと考えあぐねていたようだ。


「貸しにしとくわ」


 トーナも柄にもなく照れた。あまりにアレンが普通のさわやかなイケメンのような振る舞いをしたからだ。


「エルマ嬢。ありがとうございました。貴女の機転に救われました」

「とととと、とんでもございませんわ! トーナ様がいなければどうにもならなかったでしょうし……!」


 アレンを前に顔を真っ赤にしてアワワと取り乱すエルマの姿が微笑ましい。


(青春だなぁ~)


「エルマ様、ぼっこぼこにできなくてすみません」


 アレンが取り巻き達と話しているうちにコッソリと小声で伝えると、


「そんな。私も興奮していて……うまく収まってよかったです」

「確かに。丸く収まりましたね」


 アレンの機転が上手く効いた。セザールをアレンが庇ったのは一目瞭然だった。実際、初撃に関しては本気で防がれた。いびっている相手にそんなことをされて、この後もいびり続けるなんてこと普通の感覚ではできない。妹を泣かせたと言う大義名分も吹っ飛ぶ。周囲も認めないだろう。


「私がこなきゃどうするつもりだったの?」

「適当に相手をして降参するつもりだったんだ」

「首席のプライドはいいの~?」


 最初にトーナに突っかかって来たのもそういうものを大事にしていたからだ。


「今後のゴタゴタを考えればたいした痛手じゃないさ」


 どうやらその気持ちは本当のようで、肩をすくめていた。彼は最近、良くも悪くもトーナの影響を受け、何が1番大事かを考えた末に行動するようになったのだ。今回であれば、公爵家と敵対した場合のオルディス家の損失だ。


「アレン様の無敗記録に傷をつけるなんて!」

「それも気に入らなかったんだろう」

「アレン様の器の大きさに助けられましたわね!」


 もちろん取り巻きとエルマは鼻息荒く憤る。そしてその姿を優しい目でアレンは見つめていた。


「お前らがそうやって怒ってくれるから救われるよ」

「アレン様~!!!」


 という青春シーンがまたもトーナの前で繰り広げられていた。

 

 今晩はその青春の一端を担えたと、トーナは満足気に1人心の中で年長者ぶった。今世ではここに残っているメンバーは同じ年なのだが。


「さ! 学生はさっさと帰った帰った! 夜遊びはいきませんよ!」


 そう言って自分で作った土壁に火の弾をぶつけガラガラと崩す。

 あまり間を開けすぎて、学生が先生達でも呼びに行ったら大変だ。ここにいたことがバレてしまえば全員が大目玉だが、アレン派の人間がその罰すらかまわないと思う可能性もある。


「悪いな! また礼に行く」

わたくしも!」

「俺達も!」

「はーい! おやすみ~」


 そう言って地上へと帰っていく彼らを見送った。


 その日は楽しい夜としてトーナの記憶に残ったのだった。

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