第4話 ノーマン

「──それでは爵位の売却について、前向きに検討願います」

意気消沈といった様子の男の向かい側に座り、ノーマンは営業用の笑顔を浮かべたまま交渉を進めていた。


場所はバックリース男爵の屋敷。

ノーマンとの交渉で対峙するのは、最近後を継いだ男爵家の嫡男だ。

つい最近まで当主だった彼の父親は、浪費家であった夫人に出て行かれ、一人で賃貸の小さな家に移り住んだ。

次男は既に婿入りして不在。

そして三男は、

「そういえば、弟君はお元気にされていらっしゃいますか?」

にこやかに聞けば、どちらの弟を指しているのかすぐに気づいて苦虫を潰した顔となった。

「あれのことは聞かないで頂きたい」

これは新しい交渉への幸先の良いスタートになりそうだと、ノーマンは心の中でだけほくそ笑む。

「いえ、失礼。

先日のことがありますからね、アシュリーが、妻がどうしているのか聞きたがって」

その途端、一気に顔色が悪くなった若き男爵は、ノーマンから視線を外して湯のように薄い紅茶へと手を伸ばした。

「……まだ許してもらえそうにないのですか」

深い息と共に吐き出された問いかけは、彼の苦悩が色濃く現れている。

三男に振り回されたせいでか、自分とあまり年が変わらないはずなのに幾分と老け込んで見える。

まあ、こちらは若くて綺麗で商才に溢れた自慢の奥さんがいるのだから老け込みようがないなと悦に浸りながらも、目の前の男爵の顔色からアシュリーを恐れているのだと察して苦笑を顔に貼り付ける。

「妻も忙しい身ですからね。今は何かしようと思ってはいませんよ」

そう、アシュリーは何もしない。

何かしようと思っているのはノーマンなのだから。


「バーラント商会としては貴方達の負債も既に売り飛ばしていますので、こう言ってはなんですが縁が切れた状態ではあるんですよ。

でもほら、回収できないような負債を買い取らせたというのも信用問題でして」

ノーマンが両手を広げる。

「お戻りになられた弟君の扱いに困っていらっしゃいますよね?

私でしたら良い提案をして差し上げますよ」

ノロノロと戻される視線を根気よく待って、ようやく視線が合ったところで口を開く。


「先日グレイス・ハーバリー子爵令嬢が娼館に売られたのはご存知でしょう?」

知っている。

そう言おうとして口を噤んだ男爵家の当主に、鷹揚に頷いて見せた。

「いえいえ、いいんです。療養を建前にされていらっしゃるのを忘れていました。

貴族の方は大事ですからね、そういったことが」

オリバー・バックリースの真実の愛とやらだったグレイス・ハーバリーは、表向きの不在の理由としてオリバーに唆されて傷心なことから子爵家の親戚に預けられたことになっている。

一年ほど経てば、裕福な平民と幸せな結婚をしたと新しい噂が流れるだろう。

実際は娼館から逃げないように軟禁されたまま、男達への奉仕を繰り返す日々だ。

大人しく金持ちの後添えに納まっていれば今よりかはマシな生活を送れていただろうに、とノーマンは短く切られた赤毛と鬱鬱しいまでの闇を孕んだ緑色の瞳を思い出す。

いかにも清純そうだといった風情は変わらなかったが、内包した絶望や憎悪がいい具合に彼女に怪しい魅力を与えていた。

堕ちた貴族という売り文句によって大人気らしいので、とうが立って客がとれなくなる頃にはまとまった金を手に入れて生家に帰されるだろう。

その後に少々の寄付金と一緒に修道院へ入れられようが、他のもっと安い娼館に売られようがノーマンの知ったことではない。


不安気な空気を抱えて仄暗い陰を落とす瞳に見つめられながら、殊更明るい声でノーマンは続ける。

「この街に娼館がいくつあるのか、生真面目でいらっしゃるバックリース男爵はご存じないでしょう。

そして娼館がどんな商品を取り扱うかも」

本来の目的は爵位の買取を勧めるだけだ。これはアシュリーが最初に望んでいたことから、ノーマンの第一優先事項である。

けれど、お土産話は多いほど喜ばれるもの。

4年もかけて嫌がらせを成し遂げるほどに、合理的な商人たらんとするアシュリーを怒らせたのだ。

妊娠して身動きのしにくいアシュリーの代わりに、夫であるノーマンが綺麗に後始末をするつもりである。

いつまで経っても新婚気分を味わっているノーマンにとって、アシュリーの喜ぶ姿を見るのは最大の幸せなのだ。


「少し変わった趣向で人を集めている娼館を知っていまして」

目の前のバックリース男爵の顔色が変わる。

これから言われることを、何となく察したのだろう。

「女性だけではなく、男性も客を取るのですよ」

浮かんだのは嫌悪の表情。

僅かに含むのは迷いと焦燥だろうか。

「それは、さすがに……」

堅物だった父親の血を引いているのか、常識的な部分が邪魔をしてバックリース男爵の言葉の歯切れが悪い。

「弟君の意に添わぬ行為をさせられるのは確かですが、身元の確かなお客様しかいない完全な会員制です。

名は明かせませんが高位貴族のご婦人もいらっしゃるので、乱暴なことはされないと保証しますよ」

むしろ今より食べさせてくれるし、商品として売れている間は甲斐甲斐しく世話をしてくれるだろう。

「貴方の弟君は少しばかり貴族としての責任感に欠けていらっしゃいましたが、それとは別に大変貴族らしい外見と、恵まれた容姿をしていらっしゃる。

今更まともに働くことなど不可能だと、バックリース男爵が一番ご存知でしょう」

暗い瞳がわかりやすいほどに揺れている。


「私の紹介であれば、買値に色をつけてくれますよ。

それともバックリース男爵は弟君と一緒に貧民層に沈まれますか?」

兄弟であった温情か罪悪感かは知らないが、家で働かそうとするも使用人の真似事はできないと反抗的な態度で労働を拒否し、元あった自身の部屋に引き籠ってばかりかと思えば、家族として迎え入れろと声高に叫んで同じ食卓に参加しようとするため男爵夫人との口論が絶えない。

そうして仕事もせずに出かけたかと思えばバックリース家の名前でツケて、無駄な買い物をする始末。

つい先日に、夫人が子どもを連れて実家に帰ってしまったのも知っている。

どうせ夫人の実家から事実の確認と苦情の手紙が届いているだろう。

遅かれ早かれオリバー・バックリースを処分する必要があるのだから、彼の平凡な常識から外れさえすれば、ノーマンの提案は魅惑的なはずだ。

「ハーバリー子爵のように、周囲には療養のため親戚に預けたと言えばいいんです。

大丈夫ですよ。会員制とだけあって、それなりの地位でなければ客にはなれません。

バックリース男爵のお知り合いには嘘がバレることはないですよ」

暗に貧乏人に来れる場所ではないのだと馬鹿にしたのだが、目の前の男も誠実なだけの考えなしなせいで嫌味に気付かない。

「このままだと弟君は仕事に就くことなどないまま、長い年月を貴方に寄生して生きていくことになるでしょう。

それならばいっそ、稼いできてもらえばいいではないですか。

弟君を気に入った客人が現れたら、娼館を出た後に身請けてくれるかもしれないですし」


暫くの沈黙の後、絞り出すような声で男爵が言葉を紡ぐ。

「少し考える時間をください」

消え入りそうな声は、それでも静かな応接室なので容易く耳元まで届いてくれる。

「ええ、勿論。弟君の行く末を決める大事な話ですからね。

しっかりとお考え頂き、その気になりましたら私宛に手紙を送ってください。

すぐに馳せ参じますよ」

疲れたのか顔を伏せたままの男爵に暇を告げ、使用人の案内を受けて狭い応接室を出る。

使用人に見送られながら家を出て、馬車に乗り込んで扉を閉めた後、ずっと黙ったままであった秘書が我慢できずに笑い出した。

「商会長代理、嘘は言っていないにしても、本当のことも言っていないあたり、後で男爵様に恨まれますよ!」

「言葉を額面通り受け止める貴族なんていやしないよ」

営業用の笑顔は既に取り払われている。

「もし、さっきの言葉に何も気づかないのなら、貴族としては向いていないから、やっぱりほら、爵位なんて売り飛ばしたほうがいいんじゃないかな」

バックリース男爵に対して嘘は言っていない。

オリバー・バックリースを売り飛ばす先の娼館は確かに会員制だし、高位貴族のご婦人もいる。

割合としては男女の比率が8:2ぐらいだということと、8割いる男性客の何人かが見目のいい若い男性を望んでいるぐらいだ。

知っていろとは言わないが、少しぐらいは話を疑ったほうがいい。

それができないのならば、やっぱり貴族なんて向いていないのだ。


「あの男爵様、弟を売りますかね」

「売るよ」

即答で答えて、胸元の手帳を取り出す。

念のため確認したが、今日の予定は全て終わっている。

後は家に帰るだけだ。

「あの男爵の性格を考えると、今までなら即答で断ってただろうに。

けど今日はそれができなかった。

色々と崖っぷちで切羽詰まっているからね。売るしかないよ」

その気持ちを後押しできるように、後日買値を確認して送ってやろう。

あの男も目先のことしか考えていないから、爵位を守ることしか考えず、弟を売り飛ばしてくれるに違いない。

「……帰ってきたら修羅場になることなんて、全く考えていないだろうけど」

ぽつりとつぶやいた言葉は、明日の予定を確認し始めていた秘書の耳には届いていなかった。

あのプライドしかないオリバーを男娼として売るのだ。

オリバーは男爵が平民へと落ちぶれてしまったとしても、何の責任も感じずにいるだろう。むしろオリバーを売り飛ばしたのに、男爵位を守れなかったのだと怒りが増すに決まっている。

あの手の人間は怒る理由なんて、あればなんでもいいのだから。

まだまだアシュリーを楽しませてあげられそうだと思い、ノーマンは満足気に三日月を唇で形作ってから、馬車のクッションへと深く沈み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛の無い結婚の常套句には、倍にしたざまぁを返します 黒須 夜雨子 @y_kurosu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ